第33話 変わらぬ優しさ
「白琳様!」
長い回廊を無我夢中で走り抜ける白琳を翡翠は必死に呼び止めようとするが、彼女が立ち止まる気配は無い。いや、そもそもこちらの声が聞こえていないのかもしれない。
ならば無理矢理にでも引き止めるしかないと翡翠は足を速める。
「白琳様、お待ちください!」
彼女の右手首を掴んだ途端、その衝撃に驚いたのか、白琳は朱を帯びた双眸を見開いて振り返る。捕まってしまっても、彼女は手を振りほどいたり放してと喚いたりしなかった。
だが、すぐさま翡翠から顔を背け、
「見ないで……!」
ただ一言、小さく叫んだ。
「……わたし、今とてもひどい顔をしているから」
「大丈夫ですよ。私は気にしません」
「翡翠が気にしなくてもわたしが気にするの」
「どうしてそんなに気になさるのです?」
「だって、以前東屋でもみっともない泣き顔を晒してしまったから……」
翡翠は目を丸くした後、くすりと笑みを零した。
「どうして笑うの」
少しだけ首を捻ってこちらを睨めつける様子も愛らしくて、益々笑いが止まらなかった。
白琳はとうとう耐え切れなくなって、翡翠に向き直る。
「もう、翡翠!」
「申し訳ありません。しかし、これではもう白琳様の御顔が完全に見えてしまっていますね?」
「あっ……!」
わざとらしい口調で指摘してくる翡翠に唇を尖らせると、彼はまた朗笑した。
その笑顔につられて白琳の頬も自然と緩む。
翡翠はひとしきり笑い終えた後、いつもの穏やかな笑みを湛えて言う。
「みっともなくなんかありませんよ」
「え?」
「あの時、申し上げたではありませんか。貴女の喜怒哀楽を共にする、と。ですから、わざわざ顔を隠さずともよいのです」
白琳様の涙顔を見て、私が見苦しく感じると本気でお思いですか?
そんなことあるはずがないだろう、と言外にほのめかす翡翠の強い眼差しに、白琳は「いいえ」と首を横に振った。
「でも、どうして追いかけてきてくれたの?」
「白琳様が突然会議の間を退出されて心配になったからに決まっているではありませんか。それに私は白琳様の護衛役ですし、お一人にするわけにはいきません」
「そ、そうよね……。ごめんなさい、手間をかけさせてしまって」
「何を仰いますか。手間なんかじゃありませんよ」
義務である前に、私自身の意志で白琳様を追いかけた。ただそれだけのことです。
幼馴染の優しさは昔から何一つとして変わらない。
それが何よりも嬉しくて、白琳は笑みを深めた。
「翡翠はどう思う?」
「どう、とは?」
「金桂国と国交を結び、いずれは桂華国として両国を統合することについて、どう思う?」
「それは……」
返答に窮す翡翠に、白琳は自嘲気味に呟く。
「やっぱり、無謀に思うわよね。お兄様とわたし自身の願いとはいえ、民の気持ちに寄り添おうとせずに我儘を押し通そうとしたのだから」
「我儘なんかではありませんよ」
「え?」
「確かに最初は驚きました。ですが、白琳様と白璙様のお考えを聞いて納得しました。ああ、この方々は自国だけでなく他国の幸福をも願っておられるのだと」
「翡翠……」
「だから私は貴女様のご意志に従います。それに、私は――」
「白琳殿」
彼の言葉を遮るように、突如自身の名を呼ぶ声が鼓膜を震わせた。




