第32話 悲涙
白琳の僅かに荒い呼吸音だけが残響し、広間はたちまち静寂に包まれた。
銀桂陣、金桂陣共に惚けた顔をして白琳を見つめたまま硬直している。
「……理玄様、いかがいたしますか」
すると、理玄が開口するより先に義隼が耳打ちした。
彼の言葉に理玄もようやく我に返り、どう答えるか必死に思い巡らす。
「理玄……」
仁鵲も懸念を露にして彼の名を呟いた。紅鶴も仁鵲と同様の眼差しを彼に向けている。
――両国の国交と桂華国の再興……。
白琳――ひいては彼の兄の本望を理玄は再度脳内で反芻する。
――夢物語のような話だ。
しかし、彼女の気持ちも分からなくはない。
誰よりも国と民を想い、亡き兄に代わって大望を成し遂げようとするその志と、他を圧倒させる弁論には正直感嘆した。敬意を表するほどに。
どうやら眼前の少女は、書簡通り清廉潔白な銀桂女君のようだ。
思うところがなければ、このまま彼女の主張を受け入れていただろう。だが、忘れもしない十五年前の記憶が彼女との間に壁を隔てる。
理玄は苦悶の面持ちを俯かせ、小さく返答した。
「…………できない」
「え……」
苦しさが表れた悲痛な音。
聞き取れるかどうか怪しいほど小さく薄弱とした返答を白琳は確かに聞いた。
「やはり、貴女の考えには賛同できない……」
民意が反映されていないこともそうだが、何よりも己の過去が彼女の意志に応えることを許さなかった。
自身の想い全てをぶつけても、理玄を説得することができなかった。
兄と自分の願いを叶えることができなかった。
そのことがあまりにも悔しくて、悲しくて。
白琳は気づかぬうちに、両の目から透明なものを流していた。
「白琳殿……⁉」
顔をあげて白琳を視界に入れた理玄は思わず狼狽してしまう。
その様子を見た白琳もようやく自身が泣いていることに気づき、すぐさまそれを拭おうとする。だが、どれだけ拭っても涙は一向に止まらなかった。
「え、ど、どうしてっ……」
「白琳様……!」
翡翠が一歩踏み出して、白琳の隣に立った瞬間――
「……申し訳ありません。少し、席を外させてください」
白琳は一目散に出入口の扉まで走り、警備兵の制止を振り切ってそのまま退場した。
「白琳様!」
翡翠もすぐに彼女の背を追いかけ、会議の間を後にする。
今度は出入口の方を見つめて、理玄を始め取り残された者たちは再度呆然とした。




