第29話 本当の願い
会談当日。
金桂の女官たちが配膳してくれた昼餉を済ませた後、白琳は翡翠、三公と共に理玄の先導のもと内廷の秋陽宮に向かった。
普段、理玄と三公たちが会議をしている広間——銀桂と同じ会議の間があり、そこが今回の会談の議場になっていた。
「ここが、今日会談を行う会議の間だ」
警備兵によって開かれた扉の先には、やはり広大な空間が広がっていた。銀桂のそれよりも、少し広めで奥行きがあるように感じる。
中央には立派な長机と両端に豪奢な椅子が配置されており、理玄は右側の席の方へと移動した。
「白琳様は左側の御席に」
「分かりました」
仁鵲の指示に従い、白琳たちも反対側の方へと向かう。
翡翠が進んで椅子を引いてくれ、白琳は腰掛けた。
「ありがとう」
白琳の礼に頷くと、翡翠は一歩下がり、白琳の背後に控える三公の隣に並んだ。
金桂の面々も同様の順列で臣下たちが控え、こちらを見据えていた。
「それではこれより、二国会談を始める」
理玄の高らかな宣言が広間に響き渡る。
その声と同時に双方の陣営に緊張が走り、厳かな空気に満ちた。
「まず初めに、改めて中央荒原での戦に対する銀桂国の意向をお聞かせ願いたい」
「はい」
理玄に促されて首肯した後、白琳は深呼吸して心を落ち着かせる。
——大丈夫。理玄様はきっと分かってくださる。
白琳は澄んだ瑠璃の双眸をもって、眼前に対峙している青年王を真っ直ぐに見つめた。
「我が王祖、初代銀桂君が中央荒原で戦を仕掛けてから約七百年……。その間、我々は幾度も停戦と再戦を繰り返しながらただただ怒りと憎しみに身を焼いてきました。しかし、六師であった先王・銀桀の急逝による自軍の混乱、そして両軍の激しい兵力消耗により、今日まで停戦状態が続いています」
理玄は相槌を打つことなく、ひたすらにこれまでの経緯を語る白琳を熟視する。
「七百年の時を経てようやく、終戦の契機が訪れたように思います。わたしはこの千載一遇の機会を逃したくはありません」
段々と声音が明瞭になり、白琳の意志と願いが強く表れていく。
「ゆえに、わたしは貴国との和平条約を締結したく存じます。もうこれ以上、両国の犠牲と怨嗟を生み出さないために」
理玄は静かに瞑目した。
——ここで顔を縦に振れば、もう民を失わずに済む。
怨嗟を断ち切り、平穏を齎すことができる。
『理玄。お前には、信じる心が必要だ』
『己の心に迷うことはあれども、決して嘘を吐いてはならぬぞ。嘘を吐けば、必ず後悔することになる』
昨夜、鳳凰に諭された言葉が脳内を席巻した。
早く決断しろと、催促するかのように。
理玄は背後に佇む臣下たちを見やった。
彼らは自分を信用してくれている。
お前の判断に従う、と。
お前に付いていく、と。
そう言外に自身の背を押しながら、彼らは頷いてくれた。
理玄もまた口角をあげて頷き返し、再度白琳を見据えた。
「そちらの考えはよく分かった」
和平条約締結に、賛同する。
理玄も己の意志をはっきりと示した。
白琳は目を大きく見開き、思わず感極まる。
控えていた翡翠や三公たちも息を呑み、各々驚愕していた。
「……寛大なるご決断に深く感謝申し上げます」
これでもう誰も失わずに済む。
兄の悲願が、ようやく叶う。
だが、まだ実感が湧かずに呆然としている自分もいた。
——今更だけど、聞き間違いじゃないわよね……?
急に不安が押し寄せて、白琳は確認せざるを得なかった。
「あの……本当に和平を承諾していただけるのですか?」
恐る恐る問われ、理玄だけでなく仁鵲たちも思わずといった風に朗笑した。
「先ほどまでは凛々しい銀桂女君のお姿だったのに、今じゃ年相応のあどけない娘さんのようですね」
「理玄は嘘をつかない。いや、そもそも嘘とか騙し合いとか一番嫌いな男だから大丈夫。安心して」
仁鵲と紅鶴の茶目っ気を含んだ返答に、白琳は安堵して頬を緩める。
「私は確かに和平条約締結に賛同すると答えた。七百年以上の長きにわたる血戦に終止符が打たれ、互いにとっての悪種が消え去った」
これでようやく、各々自国の平和と安寧を維持することに専念できる。
「え……?」
理玄の最後の一言が、妙に引っかかった。
白琳の小さな疑問の音吐に、理玄は小首を傾げる。
「さっき仰った言葉は、どういう意味ですか」
「? そのままの意味だが。和平に合意したのだから、今後互いに矛を交えることは無い。互いに干渉することもなく、私たち国主は自分たちの国を豊かにすることに集中できるということだ」
「つ、つまりそれは……実質上相互不可侵の関係になる、ということですか?」
「ああ。そういうことになる」
それ以外に何の関係があるというんだ。
直接理玄が口にしたわけではないか、何故かそう言われたように白琳には思えた。
仁鵲たちに視線を向けても、彼らも白琳の戸惑いを疑問に思っているようだった。
「貴女も、そのつもりで和平交渉を願い出たのでは?」
理玄の何気ない発問に、白琳は面伏せて「……違います」と消え入りそうな声で否定する。
金桂陣だけでなく、銀桂の重臣たちも怪訝そうに眉を顰める中、白琳は顔をあげて堰を切ったように言った。
「わたしは、相互不可侵の関係になるために和平を申し出たのではありません。両国の国交を強化し、時間をかけて信頼関係を築いていき、そして——」
いずれは、かつて存在した桂華国を再興させたいと思っています。




