第28話 信じる心
その日の夜。
理玄は私室の臥榻に腰かけて、昼間のやり取りを回想していた。
「羨ましい、か……」
あの時、面伏せて微かに呟いた白琳の言葉。彼女の本音とも言える感情。それは決して演技などではなかった。
「やはり彼女は書簡通りの人間なのか?」
清廉潔白で純真な少女。
今日一日で垣間見た彼女の素顔からは、仮面を被り、自分たちを陥れようと秘かに画策している悪女とは到底思えなかった。
もし、今日彼女が見せていた言動が偽りであれば、相当な役者だと敵ながら賞賛していただろう。
——信じても、いいのだろうか……。
『まだ決心がつかぬか』
すると、耳朶に響く神秘的な音がした。
振り返ると、いつの間にか窓の外に鳳凰がいた。
冴え冴えとした秋月の光が夜闇を照らすなか、赤金の翼をゆっくりと上下させる神鳥に理玄は苦笑しながら問う。
「お前は俺にあの少女を信じて欲しいのか?」
『信じて欲しい、か……。あながち間違ってはおらぬ』
鳳凰は秋月を見上げながら続ける。
『人より感情が乏しい我とて、人が憎しみ、争い合うことは本意ではない。人の血と骸が染み込んだ地に降り立つのはとても心苦しく、耐えられるものではない』
普段は感情の起伏が無い凪のような声音が、今は一抹の哀感と寂寥感に満ち溢れていた。
『もしこのまま戦乱が続けば、我はいずれ人そのものを強く恨んでしまうだろう。我と鸞が愛するこの地を、憎しみと怒りで燃え盛る炎で焼き尽くさんとするお前たちを』
理玄は眉間に深い皺を刻み、唇を噛む。
『理玄。お前には、信じる心が必要だ』
「信じる心?」
理玄の鸚鵡返しに、鳳凰は目で頷く。
『母のことがあってから、お前は特に疑い深くなったように思う。そして、自分一人で何でも背負い込むことが多くなった。それは詮無きこと。だが、今日あの少女と邂逅して、何も思わなかったか』
ひゅっと、喉が微かに鳴いた。
『何も感じなかったか。きっとそうではあるまい』
——どうしてお前は、いつも俺の心を見透かす?
両の拳に力が籠る。
『穢れ無き心を持つあの少女ならば、信用出来るかもしれない。彼女の手を取ってもいいのかもしれない』
いや、むしろ信じたい。手を取り合って和平を実現したい。
『そう思っておるのではないか』
拳を握りしめる力が更に強まった。
完全に本心を見抜かれてしまい、最早反論し返す気力すら浮かばない。
理玄は無言を貫くことで鳳凰の指摘を肯定した。
鳳凰もまたそれを悟り、目を眇める。
『己の心に迷うことはあれども、決して嘘を吐いてはならぬぞ。嘘を吐けば、必ず後悔することになる』
「……ああ」
低く沈んだ返答に、鳳凰は僅かな憂慮を浮かべる。
『明日、お前の勇気が実を結ぶことを祈ろう』
そう言い残して、鳳凰は夜天へと飛翔し夜闇に溶けていった。
月光に煌めく黄金と真紅の羽が舞い落ちるのを呆然と見つめて、理玄は右手で顔を覆った。
「参ったな……」
己の心を揺さぶるあの少女にも。
己の心を的確に見抜くあの神鳥にも。
「信じる勇気、か……」
覆っていた右手を降ろし、その掌に目を落とす。
「母上……」
貴女が掴み取ることが出来なかった未来——。それを俺は掴めるのでしょうか。
今は亡き者に問うても、答えは何も返ってこない。
だが、窓に差し込む月明かりの輝きが増したような気がした。
信じたい、掴み取りたいという思いが引き起こした錯覚かもしれない。
しかし、自分の思い込みではなく、ちゃんと母が応えてくれたと信じて。
理玄は再度拳を握りしめた。
「明日で全てが決まる」
腰を上げ、窓の方へと歩み寄る。
そして、爛々と光り輝く秋月と星空を仰いで、理玄は覚悟を決めた。




