第10話 親友との一時
大島の東に位置するは、黄金の花が万年舞い散る金桂国。
国内における極東地には、銀桂の宮廷と対峙する形で金桂のそれが厳然と構えられている。
内廷中央にある秋陽宮の二階最奥には金桂君の執務室があり、今まさにその部屋の主が公書に目を通しては玉璽を捺印していた。
そこで、侵しがたい静謐な空間にコンコンと規則正しい音が響く。
「入れ」
理玄が視線を執務机に落としたまま許可を出すと、一言も断りを入れずに一人の青年が入室した。
一つに束ねられた赤銅の長髪に、吊り目が特徴的な整った面立ち。上等な文官衣服に身を包んだ彼は、齢二十四にして官吏の頂点に君臨する丞相だ。また理玄とは付き合いが長く、気心の知れた唯一無二の親友でもある。
「相変わらず精が出るな」
やれやれと言わんばかりにそう切り出して、彼は執務机の方へと歩み寄る。
「さっき紅鶴姉さんと修練したばっかりだろ。ちょっとは息抜きついでに金苑でも散策してきたらどうだ」
ようやく理玄が視線を持ち上げてかの青年を見やると、両手いっぱいに抱えられた大量の公書が目に付いた。
「そう言う割には俺に新たな仕事を持ち込んできたようだが? 矛盾してるぞ。仁鵲」
「あのな、お前が今ある仕事を全部持ってこいっていうから仕方なくそうしてるんだよ。俺自身はお前の体調を少なからず心配してるんだ」
「お前に心配されるほど柔な体じゃないから安心しろ。むしろ、俺にとっての息抜きは長時間腰を下ろしたせいで凝り固まってしまった体をほぐすことだからな」
「それで紅鶴姉さんに手合わせをお願いしてると?」
「ああ」
はぁ、と溜息を吐きながら、仁鵲は公書を机の隅に置いた。
「武官顔負けの並外れた体力が羨ましいよ」
「ならお前も紅鶴に稽古をつけてもらえ」
「え、何。俺に地獄を見ろって?」
運動音痴な俺に金桂最強の女将軍が師匠につくとか、想像しただけでぞっとする。
仁鵲が身震いする様に秘かに笑みを零して、理玄は彼が持ってきてくれた新たな公書を手に取った。
北にある大陸の一国、ロサ国との交易に関する議案書。百年ほど前から茶葉や酒、工芸品等を輸出しているのだが、輸出品の需要が国内で高まっていることにより、新たな交易地点を設置して欲しいとかの国から申し出があった。その候補地を列挙したのが今回の議案書だ。
外交関係を一切持たない銀桂とは異なり、金桂は大陸国との交易や交流に力を入れている。
異文化を受容することで得られる新たな発想や価値観が自国の発展にも繋がる。それが理玄の先祖である歴代王の考えであり、代々受け継がれてきた大陸国に対する寛容な姿勢だった。
「あ、そういえば」
理玄が候補地に目を通していると、仁鵲が何かを思い出したように口火を切る。
「銀桂の第一王子がとうとう病で亡くなったらしいぞ」
ぴたりと視線が止まり、理玄は顔を上げる。
「あの病弱で王位継承を辞退したという第一王子がか?」
「ああ。しかも、女王が即位したその日の夜に容態が悪化して、そのまま逝ってしまわれたらしい」
「……そうか」
銀桂では男女間の格差や差別風潮が根強いと聞く。それは兄妹も例外ではない。特に異母兄妹ともなれば、どちらの母親が妃としての位が高いかによっても待遇や周囲を取り巻く環境に大きな差が生じる。
――だが、もし彼らに兄妹特有の強い絆があったとすれば……。
もし第一王子が実妹である公主のことを大切にしていて、彼女の即位を心から祝福していたのだとすれば。
愛する妹の晴れ姿を見届けてから逝けたのは、幸いにして本望だったことだろう。
――いや……妹をおいていくこと自体、心残りではあったか。
何にせよ、女王が兄を看取り、彼は大切な者たちに囲まれて逝けたことに変わりはないはずだ。
――俺は、母上の死に目にすら立ち会えなかった。
自ずと眉間に皺が寄り、歯を噛み締めていたことに気づいた理玄は、すぐさまいつもの冷徹な表情に引き締め直す。
「仁鵲。候補地はこれで全部か?」
「そうだけど。あ、もっと候補地を出した方がいいか?」
「いや、十分だ。あとはこちらで絞って、太守(郡の長官)宛ての書簡を用意しておく」
「分かった」
仁鵲は「じゃあ、またあとで」と一言残して踵を返す。
彼が退室したのを見届けて、理玄はふうと一息ついた。
「銀桂はこれからどう動くのか……」
いずれにせよ、引き続き用心するに越したことはないと、理玄は再度公書に視線を落とし、交易地点となる沿岸地域を吟味した。




