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パーティーでの突然の婚約宣言~謹んでお断りいたします

作者: 一理。


 普段はがらんとした学院のホールは色とりどりの花や美しい布で飾りつけられ、眩いばかりのシャンデリアの下で着飾った紳士淑女……の予備軍が笑いさざめく。


 今日はハノーベル王国一の名門ハノーベル学院の前期終了パーティーである。


 こそこそと入場したジェイミーは、目立たないようにホールの隅に移動する。

 ジェイミーに話しかけてくる者は誰もいない。彼女は現在この学院で孤立しているからだ。


 ジェイミー・ブロウ男爵令嬢。

 つい半年前まで平民だったなんちゃって令嬢だ。

 ふわっとしたピンクブロンドの髪に大きな翡翠色の瞳、小さな唇。平民の時は相手になめられるこの容姿がジェイミーのコンプレックスだったがこの容姿は貴族男性にはうけるらしい。これまたコンプレックスだった小さめの身長や大きな胸も。


 というわけでこの学院の二年生に編入した当初、彼女はかなりモテたものだった。もちろん編入したのは底辺クラスなので周りにいたのは男爵家や子爵家の令嬢令息たちだ。

 下位とは言え貴族なので平民だったジェイミーには雲の上の存在なのだが、中には没落しかけや平民とあまり変わらない生活の方たちもいて少しだけどお友達になりかけの人達もいたのだ。あることが―――


「ジェイミー!ジェイミー・ブロウ男爵令嬢はいるか!?」


 ホールに凛とした声が響き渡る。大きめな声ではあるが怒鳴っているわけではない。それでもよく通る美声だ。その声にジェイミーの思考はかき消された。


「ジェイミー・ブロウ男爵令嬢!私の前へ!」


 ジェイミーは壁の一部になりたかった。でも彼女の容姿は目立つようで周りの人達は一斉にジェイミーを見た。身長が低いといってもありんこみたいに小さいわけではない。周りの目はジェイミーを逃してくれない。

 

 ジェイミーはこっそりため息をつくと声の主、この国の王太子の元に向かう。

 ジェイミーが歩き出すと彼女の行く手に立っていた人たちがさっと避け、王太子クリフォード殿下へ続く道が開ける。

 開けた道をジェイミーは歩みクリフォード殿下の少し手前で歩みを止めた。

 覚えたてのカーテシーをして覚えたての挨拶をする。


「参上いたしましたジェイミー・ブロウでございます。クリフォード殿下にご挨拶———」


「どうしてそんなところで立ち止まる?もっとこちらに来い、私の隣に」


 ジェイミーは困ったように立ち尽くす。


 ジェイミーが動かないのを見てクリフォード殿下は諦めたのか、皆を見回して声高らかに宣言した。


「皆の者、聞いてくれ!私、クリフォード・ライナス・ハノーベルはこの愛らしいジェイミー・ブロウ男爵令嬢を婚約者に迎える!!今後一切彼女に嫌がらせ等を行うことを禁ずる!!」


 失敗した!殿下の隣に行って口を塞ぐんだったーー!!

 ジェイミーは只プルプル震えることしかできなかった。


 ホールで一斉にざわめきが起こる。無理もない。この国の王太子が平民から貴族になりたての男爵令嬢を婚約者にすると言ったのだ。泣き崩れる令嬢や憎々し気にジェイミーを睨みつける令嬢、事の成り行きを興味深く見守る人々。

 しかし驚いているのは一部の人達で、ほとんどの者はこの場で婚約宣言をしたことには驚いていてもジェイミーが相手だということについては予想の範囲内だった。

 クリフォード殿下が男爵令嬢のジェイミーに入れ込み下位貴族の教室や下位貴族が利用する食堂に足繁く通っていることは有名であったし、ジェイミーの手を引いて高位貴族が利用するサロンに姿を現したことも一度や二度ではなかったのだ。





「殿下、少々よろしいでしょうか?」


 声を上げたのはディアドラ・プレイステッド公爵令嬢だ。

 まごうことなき高位の貴族令嬢。豪奢に結い上げたプラチナブロンドの髪、少しつり目がちだが凛とした美貌、常にトップクラスの成績を保ち優雅な立ち居振る舞いの彼女は、クリフォード殿下の婚約者に一番近いと目されている人物だった。


 彼女は扇子で口元を覆うと立ち尽くすジェイミーに近寄った。

 足早に歩きながらも実に優雅な歩みに周囲は感嘆の声を漏らした。


 ディアドラはジェイミーに歩み寄ると彼女を見下ろした。扇子を広げたままこそこそと何かを囁く。

 ジェイミーは震えながら頷くとクリフォード殿下に向かって口を開いた。


「恐れながら申し上げます。王太子にあらせられますクリフォード殿下の婚約者という立場は男爵の娘である私には過ぎた立場にございます。教養も身についていない私でありますので平にご容赦願いたく存じます」


 その言葉を聞いてクリフォードは激高した。


「プレイステッド公爵令嬢、ジェイミーに何を吹き込んだ!貴様が可愛いジェイミーを苛めているという噂は本当だったのだな!ジェイミー!そんな女の近くにいることは無い、私の元に来るのだ。私がすべてのことから守ってやる!」


 その言葉を聞いてもジェイミーは首を振るばかりだ。


「どうした?遠慮はいらない。恐れることなど何もないのだ。その女のこともな」


 と、冷たい眼差しでジェイミーの横に立つディアドラを見下ろす。


「この際だ、言いたいことがあるなら申してみるがいい」


 今度は甘い微笑みをジェイミーに向けた。

 その微笑みに周囲の令嬢たちは甘い溜息をもらす。クリフォードは漆黒の髪に冬の空を思わせるような青い瞳。怜悧で秀麗なその美貌は睨まれると体中が凍ってしまいそうな恐怖を感じるが、一転微笑むと厳しい冬から一気に春が来たような雪解けの小川のせせらぎのような、見るものを虜にする破壊的な魅力を持っているのであった。


「あの……でも……」


 それでもジェイミーは口ごもっている。「不敬になります」という小さな声が聞こえた。


「不敬!不敬など気にすることは無い。私が許可したのだ!」


 それでも口を開かないジェイミーに本音を語らせようとクリフォードは重ねて言った。ジェイミーは隣にいるプレイステッド公爵令嬢に脅されているに違いない。可哀そうに、この場で彼女の罪を暴いてやろう。彼女に虐げられていた哀れなジェイミーを救ってやるのだ。クリフォードはそんな気持ちでいっぱいだった。


「皆の者!君たちが証人だ。今からジェイミーが話すことを不敬に問うことは一切ない!そもそもこの学院に在籍中は身分の上下は無いのだ。言いたいことを言うがいいジェイミー!」


 身分の上下が無いなどということは無い、それは建前上だ。社交界のように下位の者から口をきいてはならないなどという厳格な上下はないものの、ある程度の上下関係や礼節は存在する。しかし今クリフォードはこの場でジェイミーが話すことは不敬に問わないと誓った。


「本当に?」


 ジェイミーが上目遣いでクリフォードに訊ねるとクリフォードは大きく頷いた。


「それでは言わせていただきます」


 ジェイミーは背筋を伸ばしクリフォードを見た。


「私は好きでもないクリフォード殿下の婚約者になるなんてまっっぴらごめんです!」


「私はお慕いするなどとは恐れ多いクリフォード殿下の婚約者を辞退いたしたく存じます」


 ジェイミーが言った言葉をディアドラが言い換えた。


「だいたいどうして私の事を呼び捨てにするんですか?そんなに親しくもないのに」


「クリフォード殿下に名前を呼んでいただくなど恐れ多い事でございます、どうか家名でお呼びくださいませ」


「殿下が用もないのに下位貴族の教室に来たり食堂に来たりするから落ち着かないんです」


「御多忙の殿下に私の元にわざわざ来ていただくことはとても恐れ多く身の縮む思いにございます」


「うわあ!さすがディアドラ様!勉強になります。『恐れ多い』と付け加えとけばだいたいいけますね」


 ジェイミーとディアドラがキャッキャウフフと盛り上がるのを青ざめた顔で見ていたクリフォードは、やっと言葉をひねり出した。


「ジェイミー、本当のことを申せ。君は震えていただろう?プレイステッド公爵令嬢に脅されていたのではないか?」


「あ、それは怒りのあまり震えていたんです。ディアドラ様は私に貴族の言葉遣いを教えてくださっていただけです。しつこい殿下をどうやって追い返したらいいかを」


「少し意に沿わぬことがあり体が震えてしまいました、ご容赦くださいませ。ディアドラ様はわたくしに貴族の立ち居振る舞いをお教えくださっていただけにございます。殿下が心安らかにお引き取り下さるように」


 ディアドラは律儀に翻訳する。

 クリフォードは崩れ落ちそうになる身体を何とか支えかろうじて立っていた。信じられない……ジェイミーはいつもつつましやかに「私が高位貴族のサロンに行くなんて無理です」とか「私のようなもののことは放っておいてください」と言っていたが遠慮しているのだと思っていた。だいたい弱々しくではあるが彼女は微笑んでいた。そのうちに彼女が数々の嫌がらせを受けているとの話も聞いた。嫌がらせに健気に立ち向かい愛するクリフォードには弱みを見せず遠慮をする。そんなジェイミーを救うべくクリフォードは全ての生徒が集まるこのパーティーで婚約宣言をすることにしたのだった。


「う……嘘だ!ジェイミーは私が行くと嬉しそうに笑ったではないか!だいたいこの私が婚約者にしてやると言っているのだぞ、この私が!」


「そりゃあ愛想笑いの一つもしますよ、相手は王子様なんですから。でも私、俺様系って好みじゃないんですよねえ」


「殿下に失礼が無いようにと心がけておりましたのでにこやかに相対させていただきましたが、私の好む男性像は……俺様系って何かしら?」


 スラスラとジェイミーの言葉を貴族の言葉に翻訳?していたディアドラは初めて詰まってジェイミーに聞き返した。


「あ、平民の言葉で自分が世の中で一番偉いと思っている男の人っていうか、女性を見下してマウントを取りたい人っていうか?」


 ジェイミーの言葉にまたわからない言葉が出てきた。


「マウント?」


「上から目線ってことですよ、ディアドラ様。俺は偉い、俺が付き合ってやるんだから感謝しろ!みたいな。全く何様だって言うんでしょうねぇ」


 憤慨するジェイミーと「わたくしも勉強になりますわぁ」とうんうん頷くディアドラ。


 呆気に取られて見ていた観衆たちは思わずぷっと吹き出した。


 繰り返して言うがクリフォードはこの国の王太子である。艶やかな漆黒の髪とサファイアの瞳、非の打ちどころのない完璧な美貌、長身で均整の取れた体躯、頭脳明晰で試験では必ず首位をとっている。

 ただ、そのことは本人も自覚しており、言葉の端端に『私は偉い』『私は優秀だ』『私は格好いい』と思っていることが感じられた。

 実際にその通りだったので今までは気にもならなかったのだがジェイミーの『俺様系』の言葉に「あー」と思ってしまったのだった。



 クリフォードは小さく呟いた。


「何様って……私は王子様じゃなかったか?」


「うんうん、完璧な王子様だな。だけどブロウ男爵令嬢の好みではないらしい」


 クリフォードが振り向くと側近候補のレスリー・プライサー侯爵令息がそっと近づいてクリフォードの肩を気の毒そうに叩いた。


「う……」


「う?」


「うわーーーん!」


 クリフォードは大声で泣きながらホールの外に駆け出して行った。


 今までどんなことも簡単にできて望む物は全て手に入っていたクリフォードは、人生で初めての挫折を味わったのであった。









 この事件でクリフォード殿下は『泣き虫王子』と『俺様王子』という相反する二つの呼び名で呼ばれるようになった。もちろん本人のいないところで。


 それによりクリフォード殿下の評判が落ちたかというと微妙なところである。

 全てにおいて完璧で怜悧な王子というイメージは崩れ去ったが、「意外と可愛いところがある」とか「ちょっと親しみやすくなった」などと言い出す令嬢令息も少なからずいるのだ。そして優秀だというのは本当のところだ。意外と打たれ弱かったが。














 八か月ほど前までジェイミーは市井で母と二人身を寄せ合って生活をしていた。


 幼い頃は貧しかったらしくジェイミーを育てるのに苦労をしたらしいが、物心がつく頃には母は有名な商会でバリバリ仕事をしており人並みの生活を送ることが出来ていた。今王都で急成長のあの商会である。

 平民の幼年学校を卒業した後上の学校に行くかと母に聞かれたがジェイミーは断って母の勤める商会に見習いとして十歳から働き始めた。唯一の肉親である母を早く支えたかったためであるが、商人の道はジェイミーの気質に合ったようで見習いながらに仕事は面白く様々な知識を吸収した。そろそろ見習いという肩書が外れるときに父親が現れた。


 驚いたことに父親はこの商会のオーナーであるお貴族様だった。


 若い頃男爵家に勤めていたジェイミーの母は男爵家の令息に見初められジェイミーを身ごもったものの、当時の男爵夫妻に屋敷を追い出されたそうだ。男爵家の令息は一念発起し商会を立ち上げ大きくし、借金まみれの男爵家を救って実権を握ると当主を交代して、前男爵夫妻を田舎に隠居させたうえでジェイミー母子を迎え入れたのだった。


 ジェイミーの母は父であるブロウ男爵とずっと密かに連絡を取っていたらしいがジェイミーは寝耳に水の出来事である。正直貴族令嬢になどなりたくもなかったが父が将来は商会の経営を任せてもいいと言ってくれたことは非常に魅力だった。

 貴族の子女はハノーベル学院に通わなくてはいけないらしい。卒業したら商会の仕事に関わらせてくれるという父の約束の元、ジェイミーは渋々ハノーベル学院に通うことにしたのだった。

 早く卒業するために二年生に編入することにした。学力は意外なことにあまり問題は無かった。商会で働くうちに身に付けた知識はかなり役に立った。困ったのは礼儀作法や言葉使いだった。最低限の知識だけ身に付けてジェイミーはハノーベル学院という貴族の子女の真っただ中に飛び込んだのであった。


 学院に通い始めて一か月。

 ジェイミーは寡黙で物静かな令嬢で通っていた。口を開くと平民言葉が飛び出すので極力黙っていただけだったが。それでもそれなりに友達と言える存在もでき始めた頃の事だった。


 お昼休み、ふと通りかかった木の上で子猫の泣き声が聞こえた。迷い猫が木に登って下りられなくなったらしい。

 すぐさまジェイミーは木に登り子猫を救出した。子猫を片手で抱いて木から飛び降りようとした時、木の下に両手を広げて駆け込んでくる男の人が見えた。

 見えたのだけど時すでに遅し、身体は既に宙を舞っていた。


 ゲシッ!!


 男の人の顔に蹴りをくらわしジェイミーはスタッと地上に降り立った。


 恐る恐る背後の男の人を振り返る。

 彼は地面から起き上がるところだった。


「ご、ごめんなさい!下に人がいるとは思わず……」


「いや、君に怪我は無いか?」


「はい、私は大丈夫です」


 あなたの頬には靴跡が付いていますけど……という言葉をジェイミーは呑み込んだ。


「君に怪我がなくて何よりだ。ご令嬢が木の上にいて吃驚したよ。慌てて助けに来たんだがうまく下りられて良かった。私のおかげだな」


 ジェイミーはいらんおせっかいだと思ったがその言葉も呑み込んだ。下りられるから登ったのだ。

 それでも心配してくれたので一応「ありがとうございます」とお礼を言っておいた。


「クリフ!クリフォード殿下!急に走って行ってどうしたんだ?」


 側近候補で親友のレスリー・プライサー侯爵令息が駆け寄ってきた。


 クリフォード殿下!?

 ジェイミーは卒倒しそうになった。王族の顔に蹴りを入れてしまった!!!

 え!?まさか死罪になんてならないよね?


 ジェイミーの心配をよそにクリフォードは何事もなかったように制服に付いた土を払い(頬の靴跡はそのままだった)ジェイミーの名を訊ねた。


「ジェイミー・ブロウと申します」


「そうかブロウ男爵令嬢、いやジェイミーと呼んでいいな、君と私の仲だし」


 いや、君と私の仲ってどんな仲よ?勝手に人の名前を呼び捨てにするし……だけど死罪にならなかったのは良かったわ。とジェイミーは憤慨しながらホッとしていた。が、ホッとした次の瞬間爆弾が投下された。


「こちらの令嬢は?」


 レスリーの問いかけにクリフォードは「私の運命の相手だ」と答えたのである。


 ウンメイノアイテってなんだっけ?と真っ白になった頭でジェイミーは必死に考える。


「私とジェイミーはたった今運命の出会いを果たしたのだ。私は彼女を愛してしまった」


 ジェイミーが黙っている間にクリフォードの妄想は加速していく。え!?蹴りをくらわして頭がいかれた?不味い!やっぱり死罪一直線なの?


「あああの、殿下は頭がいかれ……いえ、混乱しているのでは?」


「殿下などと水臭いクリフと呼んでくれ」


 そう言ってクリフォードはジェイミーの頬をひと撫ですると「またな、愛しのジェイミー」と言って去って行った。混乱するレスリーを従え頬に靴跡をつけたまま。



 もう二度と会いませんように、靴跡が消える頃には王子様の頭が正常に戻っていますように、というジェイミーの願いは神に聞き届けられなかったようである。

 クリフォードとの関わりはこれだけで終わらなかった。

 ジェイミーを熱烈に愛するクリフォードは昼休みや放課後、事あるごとにジェイミーのところにやってくる。王太子が下級貴族の教室や食堂に顔を出すので周りは騒然となった。

 なりかけの友達はジェイミーから去って行った。

 教科書を破かれたり通りすがりに嫌味を言われたり噴水に突き落とされそうになったり、といういじめが始まった。

 ジェイミーの容姿は可憐で小動物のような可愛さがある。背が低いこともあって庇護欲をそそるらしい。それは男性にとっては可愛いと映るらしいが女性にはあざといと映るらしい。

 誓って言うがジェイミーは男性を、ましてや王太子殿下を誘惑したことなど一度もない。そんな性格ではないのだ。クリフォードがやってくるたびに断っている。それでも王太子にどんな言葉で断ればいいのかわからなかったので「私が高位貴族のサロンに行くなんて無理です」とか「私のようなもののことは放っておいてください」というような消極的な断り方になってしまっていた。機嫌が悪くならないように愛想笑いもした。それがクリフォードには遠慮深いとか慎み深いと映っていた。

 クリフォードの方は、ジェイミーはクリフォードを慕っているのに周囲に遠慮して言い出せないでいる、私がリードしてあげなくては、と思い込んでいた。クリフォードはこの国の王太子で、二人といない高貴な身分なのだ。高貴な身分に加え、見目麗しく頭脳明晰。自分に惚れない女性がいるなどと思ってもみないクリフォードだった。



 何度やんわり断ってもやってくるクリフォードに疲れ果てジェイミーが助けを求めたのがディアドラ・プレイステッド公爵令嬢だった。


 どうしてディアドラだったのか?

 ディアドラが唯一面と向かってジェイミーに苦言を呈したからだった。


 ディアドラは「近頃王太子殿下が下位の令嬢とイチャイチャしているが、窘めた方がいいのではないか?」と周囲の令嬢たちから頼まれジェイミーの元に話に来たのだった。


「まあ!そうでしたの。あなたも大変だったのですね」


 ジェイミーの事情を聞いてディアドラはいたく同情した。


「それでわたくしに助けて欲しいとは?いじめをなくして欲しいということかしら?」


「いえ、そっちは自分でやり返しますから。プレイステッド公爵令嬢様に助けていただきたいのは言葉遣いに関してなんです。あ、今私の言葉使いって合ってます?公爵令嬢様に対して失礼じゃないですか?」


「え?いえ大丈夫ですわ」


「そうですか、良かった。でも私お貴族様特有の言い回し?って言うんですか?それが全然できなくて。もっとガツンと殿下に断りたいんですけど絶対に失礼な言い方になっちゃう自信があるんですよねえ……だからお貴族様特有の言い回しを教えて欲しいんです」


 このやり取りでディアドラはジェイミーの事を気に入ってしまった。

 そうしてジェイミーに上品な言葉遣いを教え始めた矢先にパーティーでの婚約宣言が起こってしまったのだった。












「お嬢様、王太子殿下がお見えになっておりますがこちらにお通ししてもよろしいでしょうか?」


 執事の問いかけにディアドラがわずかに眉を顰める。


「先ぶれはあったのかしら?」


「いえ、ございませんでした。王太子殿下はブロウ男爵家を訪問なさったそうで、そこでご令嬢が当屋敷においでになっていることを聞かれたそうでございます。急な訪問で申し訳ないがブロウ男爵令嬢に会わせてもらえないかと仰いまして」


 執事の言葉にため息をつくとディアドラは、今日のお茶の相手ジェイミーを見て言った。


「ジェイミー、クリフォード殿下をお通ししてもいいかしら」


「うん、いいわよ」


 ジェイミーは軽く答えた。




 ディアドラとジェイミーがお茶をしているプレイステッド公爵家のサロンにクリフォードが案内されてやってきた。


「ジェイミー!会いたかったよ」


 思わず駆け寄るクリフォードをジェイミーは片手をあげて制した。

 そう、クリフォードはあんなにこっぴどく振られて泣きながら退場したのに、まだジェイミーの事を諦めていないのだった。


「王太子殿下、どのような御用でしょう?」


 冷たくジェイミーが問いただすとクリフォードはしょんぼりしながら言った。


「愛しのジェイミーにプレゼントを持ってきたんだよ。君の家に行ったけどプレイステッド公爵家に行ってると言われて」


「私、会うお約束なんかしていないですよね?」


「毎日君の顔を見に行くと言ったじゃないか」


 それって学院での話じゃなくて休日も含まれるの?とジェイミーは唖然とした。学院で毎日来られるのも迷惑なのに……





 あのパーティーの後、学院は夏期休暇に突入した。

 

 ジェイミーは王宮からお咎めがあるんじゃないか、衛兵が捕まえに来るんじゃないかと数日ビクビクしていたが何事も起こらなかった。

 ディアドラとは定期的にお茶会に招かれ会っていたのでそれとなく聞くとクリフォードは国王陛下に叱られ数日謹慎していたようだ。

 しかし現国王陛下に息子は一人しかおらず三人の姉はもう嫁いでいる。王太子を廃嫡することは次期王位をめぐって国が荒れる原因になるし繰り返し言うがクリフォードは優秀な王太子なのだ、ジェイミーのことを除いては。

 それで数日の謹慎で済んだらしい。


 ところが夏期休暇の終盤、突然クリフォードはブロウ男爵家を訪れジェイミーに宣言した。


「私は君を諦めない。これは運命の恋だ。いつかきっと君を振り向かせるし周囲にも君とのことを認めさせてみせる!!」




 有言実行、学院が始まると毎日のようにクリフォードはジェイミーの元を訪れる。

 王太子として暇ではないので一目だけ会いに来る方が多いが、それでも毎日やってくるのである。

 

 そうして休日の今日、プレイステッド公爵家にまで押しかけてきたクリフォードだった。


「ジェイミー、これを受け取って欲しいんだ!」


 おずおずと差し出された箱を見てディアドラが歓声を上げた。


「まあ!これは近頃王都で人気の『お饅頭』とかいう異国のお菓子では?」


「そうだ!人気のあまり常に品切れで滅多に手に入らないという『お饅頭』だ。君たちまだ食したことがないだろう?私に感謝して味わいたまえ」


 クリフォードの鼻が十倍ぐらいに高くなったように見える。ぶんぶん振っている尻尾も見えるようでジェイミーは目を擦った。


「さすがですわ殿下、早速いただきましょうジェイミー」


 実はその『お饅頭』を輸入したのはジェイミーの父の商会であり『お饅頭』に目をつけ異国まで販売契約に赴き商談をまとめたのはジェイミーだ。立場上は見習いとして上司にくっついて行ったことになっているが。

 しかし単純に喜んでいるディアドラと得意満面のクリフォードを見ているとそんなことは言い出せず結局「ありがとうございます、楽しみです」とジェイミーは言葉をひねり出したのだった。


 お茶といただいたお饅頭をメイドがセッティングしている間にクリフォードはもう一つ箱を取り出した。

 恥ずかしそうに顔を赤らめながら「これを」と差し出す。


 ジェイミーが次は何のお菓子?と受け取ろうとするがクリフォードは渡さず「私が」と箱を開いた。


「まあ!」


 ディアドラが感嘆の声を上げるほど大粒の見事なサファイアのネックレスだ。サファイアの周りの金の細工も見事である。

 そのネックレスをクリフォードは手に取るとジェイミーの背後に回り首にかけようとした。


「ちょ、ちょっと待ってください!!」


 慌ててジェイミーが叫ぶとクリフォードは「ん?」と首を傾けた。


「ん?じゃないですよ、ん?じゃ!なんで当たり前のように首にかけようとしているんですか!!」


 ジェイミーもかなり遠慮がなくなってきた。最近は愛想笑いもしないし言葉使いに気を遣うことも無くなってきた。ディアドラのレッスンも無駄になったようである。


「私の最愛の超絶可愛いジェイミーの身を私の瞳の色で飾るのは当たり前の事だろう?」


「はあっ?いりません!絶対に受け取りません!」


 ジェイミーの剣幕に恐れをなしたのかクリフォードがしょぼんと項垂れた。


「……ダメか?」


「ダメです!」


「殿下、お茶が入りましたわ。ひとまずお座りになっては?」


 場をとりなすようにディアドラが声を掛ける。

 すごすごとソファーに座りクリフォードはジェイミーを上目遣いに見る。


「プレゼント受け取って欲しかった……特注で作らせたのに……」


「そんな高価なもの受け取れません。だいたいそんな無駄遣いしていいんですか?殿下の使うお金は税金でしょう?」


「無駄遣いじゃないよ、私に割り当てられた予算の範囲だ。向こう一年間私の服を新調しなくていいって言ったんだ」


「なっ!?」


「ジェイミー、少しは私の事好きに……」


「なりません」


 きっぱりしたジェイミーの返事にクリフォードは益々項垂れる。地面にめり込んでしまいそうだ。


「プレゼントは……」


「いりません」


 さすがに気の毒だとディアドラがジェイミーを見た。

 ジェイミーは一つため息をつくと言った。


「お菓子なら……受け取ります」


 その途端クリフォードはパアッと嬉しそうな顔をした。


「そうか!!次は何のお菓子を持ってこようか、王都で有名なあの店の……いや、王宮のパティシエに……」

 

 満面の笑顔でブツブツと呟くクリフォードを見てジェイミーは思わず笑ってしまった。


「ジェイミー!笑顔も素敵だ!」


 尻尾をぶんぶんと振るクリフォードにちょっとほだされかけているジェイミーは気を引き締めた。


 俺様系からわんこ系に変わりつつある王太子に気を許してはいけない、ましてやうっかり惚れたりなんか絶対にいけないとジェイミーは決意を新たにしたのだった。










 クリフォードに脳裏に誰とも知れない声が響いている。彼は覚えていないが子供のころ聞いた優しく溌溂とした少女の声。


「大丈夫、あなたならできるわ。私と競争よ!」


 クリフォードは全てのことがそつなくできた。勉強も剣術も簡単にできてしまうクリフォードは傲慢な少年だった。他者にも厳しくできないことを馬鹿にするクリフォードを見て侍従は彼を王都の街にお忍びで連れ出した。王太子に市井の民の暮らしを知って欲しかった。

 王太子の学びが将来民の暮らしに、民の安寧につながってくるのだと知って欲しかった、そしてクリフォードの生活を名もない民が支えていることを知って欲しかったのだ。

 

 初めて見る王都の街は活気があってキラキラしてクリフォードは夢中になった。夢中になって気が付くとあたりに侍従や供の者がいなかった。不安になり大きな木の根元で蹲り泣いているとふいに頭から声が降ってきた。


「どうしたの?迷子?」


 顔を上げるとクリフォードより幼そうな女の子が彼を見ている。


「ち、違う!ちょっと疲れたから休憩していただけだ。それより君こそどうしたんだ?こんな小さな女の子が一人で出歩くなんて」


 ピンクブロンドのふわふわ髪の可愛らしい女の子に訊ねると彼女はちょっと口を尖らして言った。


「小さなって私はもう十歳よ。これでもりっぱに働いているんだから!……見習いだけど」


 クリフォードは驚いた。こんな小さな女の子が(クリフォードと同じ十歳には見えなかった)既に働いているなんて。


「父上や母上はどうしたのだ?」


「父上?母上?あ、お父さんとお母さんってこと?私にはお母さんしかいないの。大好きなお母さんを支えたくて働くことにしたのよ」


 少女はエッヘン!と胸を張った。クリフォードは生き生きと輝く大きな翡翠色の瞳に魅せられた。


「君は偉いんだな……私は……私は今まで周りを馬鹿にしていた……君みたいに立派な子がいることを知らなかった……私は駄目な人間だ」


「どうして?あなたはとっても澄んだ綺麗な瞳をしているわ。私こんな綺麗な瞳の人は見たことない!それだけでも特別なことだわ!ねえ、私たちはまだ子供でしょ?未来は希望にあふれているの。私にもあなたにもたーーくさんの未来が待っているのよ!」


 そうして彼女はクリフォードの手を握って言った。


「私は大商人になる!っていう大きな夢があるのよ!あなたは?」


「私は……私は……父上のようになることだ。偉大な父上の……」


「出来るわ、あなたなら!」


「本当に?」


「うん!あ、競争しましょ、どっちが夢をかなえるのが早いか!」


「競争?」


「うんそう」


「わかったよ」私の女神……という言葉は口の中に消えた。


 名前も知らない女の子と暫く過ごして発見された後クリフォードは熱を出した。だからその時の記憶は一切ない。ただ時折頭の中に溌溂とした女の子の声が響くだけだ。

 しかしその後彼の態度が少しだけ変わった。周囲をいたわるようになった。その後また成長と共に傲慢さが頭を持ち上げてくるのだが他者を馬鹿にすることは無くなりレスリーという友人もできたので侍従は少しホッとしている。








 クリフォードの恋は叶うの……か?


 


 ———(おしまい)———











お読みくださってありがとうございます。

ポンコツ王太子ですが評価やブクマをいただけると嬉しいです!!

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[良い点] 童話としては面白い [一言] リアルとしては侍従(教育係)ごとポンコツ王子切り捨てて、 王妃様、側室様に頑張ってもらった方が安心できる。
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