黒い影
「うっ……」
身体中を迸る熱が、まだ生きている事をリガルに伝える。
──奇跡だ。
どれぐらい気を失っていたかは分からないが、ゆっくりと瞼を持ち上げる。血糊がベッタリとくっついており、目は半分しか開かず、視界はとても狭い。
目を擦りたくても腕は動かず、身動きが取れない。どうやら、体はまだ木に縛りつけられているようだ。
──ならなぜ生きているのだろう。
魔族が哀れんで、命を助けてくれただとか。いいや、ありえない話だ。不気味な奇跡について考えていると、視界が黒に染まった。
目を閉じたとかではないし、何かを頭から被されたわけでもない。
「ん~。やっと目を覚ましたね」
「……ッ!?」
戯ける声でリガルに話をもちかけたのは黒い影。
「ナニモノ、ですか?」と、実に失礼であり礼儀に欠ける発言。けれど、彼を目の前に何者以外見当たらなかった。
「ん~しがない村人だよお~」
──嘘だ。
白魔道士であるリガルは、生命反応には敏感である。目の前のソレには、人の命というものがまるっきり感じない。かと言って、魔族でもないようだ。
彼からは何か──そう──何か不思議な何かが感じる。驚異的な恐怖や絶対的な絶望などではない。黒い影を見て覚えた感覚は懐かしさだった。
リガルが訝しげな目で見つめれば──
「ありゃりゃ~すぐ見破られちゃったね~仕方がないか」
冷たい風が髪を撫で、何かが立ち上がった事が分かった。
次の瞬間、縄が切られリガルは地面に倒れ込む。
「うぐっ……」
拍子に柔らかく血腥いモノが、顔全体を包む。
「いやあ~流石に臓物を枕にするのは勧めないなあ~」
「臓……物?」
瀕死の影響か、危機感知能力が著しく低下しているリガルは、それ相応の反応が出来ずにいた。
それでもどうにか、震えた腕を使い四つん這いになると顔に付着したソレは、ベチャリと音を立てて剥がれ落ちる。
「もしかして、アナタがこれを?」
真っ赤に染る臓器を見た後に、首を左右に向けると魔獣やアンデッドのバラバラ死体が散らばっていた。
「うんうん、楽しかったなあ~。血が飛び出でる音、骨が砕けて臓器が飛び出す時の感覚、いつ感じても心地がいいものだよ~」と、恐ろしい内容にも関わらず、リガルには恐怖心が一切なかった。
その声には、凡そ悪意や敵意、好意と呼ばれるモノが含まれているようには感じなかったからかもしれない。
リガルは、状態を起こして木に寄りかかると何かに訊ねた。
「なら、なんで僕を殺さなかったのですか?」
「それは簡単さ。君を玩具にしよ~かなあって」
「玩具?」
「そうそう。殺すのも良いけど、飽きちゃったんだよね~。だからね? 君は玩具となって、オイラを楽しませてくれよ」
それはなんだ。所謂、道化師とかになれとでも言うのだろうか。
痛みに顔を歪めながら、問いかけた。
「楽しませるって、具体的には……」
「オイラがワクワクするような死を齎してくれればいいよ! で、どうかな?」
顔も何もわからない黒いナニカだが。それでも、もし表情と呼べる物がソレにあったなら、間違いなく満面な笑みを浮かべてるだろう。
リガルは、踊った声に眉を顰め、目を逸らす。
「どうって……そんな」
白魔道士が人の命を奪うだなんてあっていいはずがない。リガルの口は静かに閉じ、目線は血だらけの足へと向けられた。
「いいじゃないか~! 本来、命を救う白魔道士が死を撒き散らす悪魔となる!! 凄い面白そうじゃないか!」
「僕にはそんな……」
「ふうん? 君はお人好しだね。つまんないな。あんな奴ら、助けるに値しないとおもうけど?」
先程までの様な戯ける声ではなく、冷徹で棘のある声に変わり、悪寒を誘う。
「だとしても……」
「まあ、いいや。もしオイラの玩具になる気になったら【ムエルト】って心の中で念じるんだね」
息を呑んで、黒い何かを見て口を開く。
「もし、念じる事がなかったら? 僕を殺すのですか?」
「殺すとかは考えていないよ。だって君は絶対にオイラを求めるからね。君の内で燻るドス黒い感情──妬みや怒り怨みがオイラに反応しているのさ」
「僕は白魔道士です。人を癒し導く聖職者──絶対に」
立ち上がろうにも、力が入らなかった。歯を食いしばっても、足に力が入っているのかも分からない。
「助けるだけじゃ本当に大切な者は護れない」
「……?今なんか言いましたか?」
「君は神経がズタボロだろうし。仕方がない、街まで飛ばしてあげるよ。って言ったんだよ!」
「飛ば──」
「今回は大サービスだよ~! ほりゃ!」
「──え?」
気が付いた時、リガルは既に見慣れた街・ファルルにいた。辺りを見渡せば、そこは冒険者ギルドの真ん前だ。
「一体何が」
展開の速さに頭の回転が追いつけず、座り込んでいるリガルは、ただ呆然どブロック調出できたギルドを見つめた。
「なにあの人……」
「血だらけだし、不気味だな」
行き交う人々が、リガルを素通りしている中で冒険者が数名近づいてきた。
「お、おい! 大丈夫か!」
「誰か! 怪我人だ! 早く病院へ!」
「力のあるやつは、手を貸してくれ!!」
冒険者の大きい声が響き、リガルの周りはいつの間にか人集りとなった。そこを掻き分けて入ってきた男性は、心配そうな声と共に駆け寄る。
「リガル!! 大丈夫か!?」
「なんだ、お前さんの仲間か?」
「はい! 魔物に襲われて……」
「ビスケ……」
逃げたくても力が入らない。
「コイツは俺が病院へ連れていきます」
ビスケは、リガルを軽々しく背負って立ち上がった。
「そりゃあよかった」と、肩を撫で下ろす冒険者にも聞こえるぐらいには、どうにか大きな声を出した。
「離して……ビスケ」
「手──離すわけねぇだろ。お前は、俺達の宝物なんだからよ」
顔を横に向け見せた笑顔の奥底に宿る欲望を感じ、リガルの腕はピクリと震えた。