第8話 「三億円事件」と「三億円事件」 その1
多磨霊園は府中市にある都立最大の霊園で政治家から官僚、元軍人や文化人まで多くの人が眠っている霊園だ。お盆や彼岸ならともかく、年末の忙しい時期に墓参りをする人も少なく、園内は寒々しい様相で閑散としていた。
ここに来るまでに小金井街道で検問が実施されていたが、車種がセドリックでなかったために注意を向けられることもなく、そのまま通過を許された。あと10分も遅ければ通過する全車両を確認していただろうことを考えると、やはり歴史は史実通りに動いていると思われた。
ひとまず雨の霊園内をぐるっと周回したあと、できるだけ目立たない場所に車を停めさせる。スカイラインの天井を叩く雨音だけが車内に響いていた。
俺は不意にタバコが吸いたくなった。スーツやコートのポケットを探るとタバコのソフトケースの手触りがする。掴みだしてみると白とライトブルーのカラーリング、銘柄はハイライトだった。
「チッ、ハイライトかよ……。おっさんタバコだな」
五本ほど残っているタバコの一本を取り出し口に咥え、一緒にポケットに入っていたマッチで火をつける。マッチでタバコを吸うのも久しぶりだし、ハイライトのように重いタバコを吸うのも久々だった。
隣を見ると滋彦が嫌そうな顔をして、車内に充満する紫煙をパタパタと手で扇いでいる。
「お前、タバコ吸わないのか? まだ残ってるぞ、吸うか?」
「僕の周りの人間は吸ってるヤツの方が少ないですよ。だいたいタバコなんて百害あって一利なしじゃないですか」
「なんだ、お子ちゃまだなあ……」
俺は窓を開けて換気をしながら、半分ほど吸ったハイライトをもみ消し灰皿に捨てた。
「さて滋彦くん。夕方までここで身を潜めるとして、お互いの身の上でも話し合おうじゃないか。君はどうして三億円を持ってあそこに来たんだ? 俺にはよく分からないことを言っていたな、真犯人じゃないけど犯人になってしまったって……」
「そうです。でもその前に僕はあなたのことが聞きたい。得体の知れない人だと思いながらもここまで来ましたけど、もうそろそろ正体を明かして下さい! どうして僕のことを知っているのか、そのあたりから自分のことを話してくださいよ」
滋彦の話し声には不貞腐れたような怒気が感じられる。本当に怒っている訳ではないだろうが、俺のことを未だに気味悪がっている様子は明らかだ。
「そうだな、まあそれもいいだろう。今から俺の言うことを信じる、っていうなら話してやろう、どうだ?」
「まあ、信じますよ。僕の名前から何から知ってる人なんですから……」
隣で不承不承に頷く滋彦を確認し、俺は自分の話を続けた。
「驚くなよ、俺はなあ、この時代の人間じゃないんだよ。50年以上後の世の中から来ちまったらしい。だから三億円事件のことを一通り知っているのさ。名前は菊沢典弘、職業はフリーのライターで年齢は31歳、離婚歴有りの現在独身。一時間ほど前に府中刑務所の脇で三億円事件の秘密、という記事の取材をしていたら事故に巻き込まれてなあ、気がついたらお前さんが現金輸送車を強奪した瞬間に立ち会った、っていう訳さ……。どうだ? これを信じるか? ハハハッ」
俺はこの一時間の出来事を思い返し、自分でも可笑しいと笑いながら隣を見る。どうせ運転席に座る三億円事件の犯人は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしているに違いない、こんな話を信じろという俺のほうがどうかしている。しかし――
助手席の俺を見る滋彦の表情は予想とは違っていた。静かに首を横に振り、「ありえない」と二度三度呟きながら値踏みするように俺をみていた。
「ありえない? まあそうだろうな。だが君のその反応は意外だな、俺はてっきり笑い飛ばされるかと思ったよ。あの三億円事件の犯人さんから意外にも素直な反応を頂いて……」
冗談を言いながら俺が二本目のハイライトを吸おうとした時だった、隣から予想外の言葉が聞こえた。
「僕もなんです……」
「ハア?」
いったん口に咥えたタバコを手に戻し、もう一度聞き直す。
「はあ? 何が僕もなんだ?」
「僕も……、僕も一時間前にあの現場に飛ばされちゃったんです……。あなたと同じように府中刑務所脇の道路をバイクで走っていて、事故に遭って、気がついたら現金輸送車の運転席に座っていました」
滋彦の顔は青白く緊張していて、決してウソを言っている雰囲気では無い。今度は俺がタバコを持ったまま首を横に振る番だった。
「ウソだろ……、おい……。お前、俺の話を逆手に取ってそんなこと言ってるんじゃないのか!?」
「アンタだって分かってるだろ! こんな馬鹿げたことを嘘ついてどうするんだよ、僕だって50年後の世界から来ちゃったんだよ! 自分でも信じられないよ、気がついたら三億円事件の犯人になっていたなんて!」
俺と滋彦はしばしのあいだお互いを睨み合った。再びスカイラインの車内には雨音だけが響く。
「証拠を見せろよ……、お前が50年後から来たっていう証拠を。何か持ってないのか?」
「証拠を見せろって言ったアンタから見せて欲しいな、僕はこの通り気がついたらニセ警官の服装だったんだ。持ってるものはなにもない」
50年後の人間だと言い張っても、持っているものが無いのは俺自身も同じ、しばらく考えた俺は滋彦に質問をした。
「じゃあ、いま現在の人間では知らない事柄の質問をしようか。そうだな……、昭和の次の元号は何だ? 何という元号だった?」
「平成だよ。合ってる?」
この時代では誰も知らないはずの『平成』という元号がするりと出てきたことに、俺の鼓動は早くなり始める。
「あ、合ってるな……。じゃあ平成の次は?」
「令和、これも合ってる?」
平成に続いて令和という元号まで言い当てた。
「じゃあ、総理大臣は?」
「長い間安倍晋三だったけど、今は岸田……、名前なんだったっけ?」
「岸田……文雄?」
「それそれ、菅さんの次だよ」
あっさりと固有の人物名まで答えられてしまった、それも連続で。こんなことは偶然には程遠く、これだけでも目の前の彼が50年後の人物だと信じられる情報のように思えた。
「ねえ、菊沢さん。その表情を見ると合ってるんでしょ」
「ああ、合ってる。信じられないけどな……」
それから俺達はお互いを確認しあった。この時代の人間にはわからないこと、ロッキード事件やソビエトの崩壊、中国の躍進、9.11同時多発テロ、そして東日本大震災。そのすべての歴史の記憶が同じ結論を導き出していた。
「どうやら本当らしいな、お互いに。それで『三億円事件』の真相がこんなことだったなんてな……」
ようやく二本目のハイライトに火を付けて煙を吐き出す。まさか三億円事件の犯人が50年後の時代から来ていたなんて、それならこの時代に彼の生きた痕跡なんてあるはずがない。
どこの誰だか判らなかった犯人の内田滋彦。そんな長年に渡るミステリーの解決に、俺は笑い出しそうになった。
「菊沢さん? 菊沢さんの中では何か解決したのかも知れませんけど、僕の方は全然解決してませんよ」




