第7話 小金井本町住宅 B1棟駐車場 午前10時5分
「どうした? 内田滋彦くん。ガタガタ震えているじゃないか、雨で身体が冷えたのか?」
俺はわざとらしく彼の名前を繰り返し、その様子をうかがった。背中に押し付けた棒きれを本当に拳銃と信じているようだ。
「あんた……誰なんだ、どうして僕を……」
「そうやって自分のことを認めたってことは、やっぱり内田滋彦くんで間違いないということだな。まさか本当に本人様に出会えるとは思わなかったよ」
冷たく降り続く師走の雨。伝説の内田滋彦は車のシートをめくろうとした体勢のままで固まっていた。雨のしずくが髪の毛をつたってポタポタと落ちていく。
「やっぱりあんたは警察なのか? いや……警察がこんなに早くここに来るはずがない。そうじゃなくて真犯人の共犯だったら僕を知っていることがおかしい。じゃあ、いったい本当にあんたは誰なんだ? あんたの狙いはなんだ! カネか!?」
彼は心底わからないというふうに首を横に振り、そこまで一気に喋った。伝説の内田滋彦の口から真犯人という言葉が発せられたことに俺は少々驚いた。
「俺は警察じゃない。フリーのジャーナリスト……はカッコつけすぎだな、三流雑誌のフリーライターだ。謎多き伝説の事件『三億円事件』の主犯とされている内田滋彦くんに話を聞きたかった、それが俺の目的かな」
「雑誌の記者? なんでそんな人がここに……。とにかく僕は抵抗はしない、話を聞きたいならピストルを外して欲しい」
「いいだろう、そのかわり下手な動きをしたらサイレンサー付きの拳銃でズドンだからな。じゃあこっちを向いてもらおうか」
俺は木切れを持った手を内ポケットに突っ込み、いかにも拳銃を持っているように装い内田滋彦を振り返らせた。
こちらを向いた彼の顔は報道の写真で見たよりも童顔で、こんな大それた事件を起こす青年には見えなかった。そしてそれよりもその横顔をみて、俺はある種の違和感を覚えた。
――さっきの強奪現場の白バイ隊員とは、なにか雰囲気が違う……
先ほどの府中刑務所脇の現金輸送車強奪現場、そこで見た白バイ隊員はこんなに線が細い感じでは無かった気がする。それに現金を奪ってたった数十分でこんなに眼光が弱くなるものだろうか? なにしろ用意周到に計画した強奪計画だ、あの白バイ隊員の眼光はもっとギラギラしていた気がした。
「おい、お前、本当に内田滋彦か?」
その質問に自称内田滋彦は黙って何度も頷く。
「じゃあ何でここで一台一台ご丁寧に車を確認していたんだ? 積み替え用の車なら用意してるんだろう。本当に内田滋彦ならすぐに現金の積み替えをするはずだが、お前はよく似ているけど偽物か?」
「違う! 僕は間違いなく内田滋彦だ。三億円事件の真犯人じゃないけど、三億円事件の犯人になってしまっているんだ! なんて言ったら説明できるか思いつかないけれど、三億円事件の犯人になってしまったんだ。そしてバカな僕はここからどうやって逃げるか知らないままに来てしまった。頼むから警察に通報するのだけはやめてくれ!」
俺にはこの男の言っていることが半分も理解できなかった。犯人になってしまった、ってどういうことだ。ここから逃げる方法も知らないって、こいつは何を考えているんだ。ここにきての会話すべてに疑問符がついてまわる。
「お前本当に三億円を奪ったのか? ちょっと一緒にカローラに来てもらおう」
駐車してある濃紺のカローラの助手席に内田滋彦を乗せ、俺は運転席に座る。後ろを見るとジュラルミンケース三つが銀色の鈍い光を放っていた。
「間違いなくこれが三億円。僕がセドリックから積み替えたお金です。真犯人はここから別の車に積み替えて逃走するつもりだった、でも僕にはどの車が準備された逃走用車両かわからない。だからその車を探していたんです」
真剣な目をして俺に説明する彼はウソをついているようには思えなかった。しかしそんな真犯人が別人物だと説明されても信じられる訳もない。
「いいかよく聞け。お前が内田滋彦だとすると史実ではここでカローラを乗り捨てて逃走するのは間違いない。何に乗って逃げたのかは不明だけど、ここからの逃走には成功した、それは事実だ。そしてその一ヶ月後には謎の通報で逮捕されるわけだが……」
ここまで喋ったところで、しまったと思ったが遅かった。俺の話を聞いていた内田滋彦が首を横に振って喚きはじめた。
「僕が逮捕されるって何ですか!? 謎の通報ってどういうことですか! いま僕の存在を知っているのはアンタだけなんだよ。っていうことはアンタが通報して僕をハメたってことじゃないか! もういい、僕は降りる! 逮捕されるくらいなら僕はやめる!」
「おいやめろ、ちょっと待てって!」
カローラから降りようとする内田滋彦の手を掴み、車の中に引き戻す。この時、俺は自分の心の変化を感じ始めていた。このカローラに乗りこんで現金三億円を見てしまったことが、俺の心に「金欲」という名の種を植え付けたのだ。
――たとえ半額でも一億五千万円……、このまま俺の知っている史実の裏をかけば。
「いいか? 俺はお前がどこでどんな風に逮捕されたのか、その後にどうなったかを知っている。つまり逆に言えば俺の知っている知識を動員すればお前は捕まらない。これがどういうことか意味が判るか?」
俺の言った意味がすぐには理解できないのか、彼はしばし呆然としていた。が、その直後に目を見開いて何度も頷き始める。
「そうだ、俺達二人で逃げるんだ。現金は山分けでいいだろう、お前は逮捕のリスクから逃れる、俺は一生働いても手に入れられない現金を手に入れる、どうだこれで文句があるか?」
「文句が無いわけじゃないけど、いまの僕はアンタの言うとおりにしたほうが良さそうだ。ここから逃げたところでどっちみち通報されそうだからな。じゃあどうやってここから逃げる? このカローラで逃げるのか?」
真剣な表情で内田滋彦が聞いてくる。どうやら俺の方針に従ってくれるらしい。
「いや、駐車場の残りの自動車を確認しよう。史実ではカローラはここで乗り捨ててあって、お前はここから逃げられたんだから何か手段があったはずだ」
俺と内田滋彦は駐車場の残りの車を調べ始めた。何台目かのシートをめくった時、その車はあった。――プリンス・スカイライン1500、数カ月後にこの場所で見つかることになる盗難車と同じ車種だった。
「これ……、動きますかね?」
内田滋彦は何故かまた敬語に戻って俺に聞いてくる。
「さあな……、でもこれでビンゴだと思うぞ。見てみろ、後部座席に何が積んである?」
「あっ、麻袋……」
「そうだ、これに現金を積み替えて逃げるんだ!」
その後の動きは機敏だった。まず麻袋をカローラに持ってきて現金を移す。空になったジュラルミンケースはカローラに残したまま、スカイラインに使っていたシートを車体に掛けて隠す。最後にスカイラインの後部座席の足元に麻袋を隠して出発の準備は整った。
「やっぱりこの盗難車も、カローラと同じように直結でセルを回すみたいですね」
運転席に座った滋彦がやっぱり敬語で話しかける。
「おまえ詳しいんだな……、運転できるか?」
「この車もコラムシフトですけど、さっきのカローラでちょっと慣れたから大丈夫です」
エンジンが掛かったスカイラインは、駐車場を後にして小金井本町住宅を出ていく。俺は積んであった毛布や着ていたレインコートで後ろの麻袋をできるだけ隠した。
「どこへ逃げたらいいと思いますか?」
時計を見ると時間は午前10時5分。まだ現金輸送車のセドリックは発見されていない時間で、検問対象は黒いセドリックに限定されているはず。あと20分程度で危険地帯を抜けてひとまず息を潜めたい。
検問が解除される順番でいうと、最初に神奈川、山梨が午後1時頃。次にその他近隣県と23区内が2時半頃、最後に午後4時前には多摩地区の検問も解除されるはずだ。
「多磨霊園だったらここから近いだろ、どう思う? 夜まで何とか身を潜められると思わないか」
「確かにあんまり近寄りたくない場所ですね、数時間なら身を潜めることができそうです」
滋彦の運転するスカイラインは南の多磨霊園に進路を向けた。