第4話 小金井本町住宅 B1棟駐車場 午前9時55分頃
国分寺街道を横切る東元町三丁目の信号へと、僕の運転するカローラは差し掛かった。
街道を右に折れると事件現場となった府中刑務所方面に戻り、左折すると国分寺駅前を回って小金井本町住宅へと向かえるルート、そして直進すると細い小道ながら小金井本町住宅へとショートカット出来るコース。犯人はどうしたかを考えた場合、僕は以前から犯人は直進ルートを選択したと考えていた。
主要道路で現金輸送車のセドリックを対象にした一斉検問が始まったのが、このあとすぐの9時50分。これは今の僕だから知っている情報だけれども、当然この時の犯人は知る由もない。主要道路である国分寺街道を進むリスクを犯すよりは、生活道路を縫って小金井本町住宅へと抜けたはずだ。
僕は信号を直進し、慎重に方向を確認しながら国分寺市と小金井市の市境の小道を進む。50年の時間の経過は大きく、バイクで通った時の風景とはかなり違う。雨の中、北東へ北東へと進むと国鉄中央線の線路が見えてきた。当然中央線は高架化などされておらず、小さい踏切を気をつけて渡り小金井本町住宅へと向かってカローラを走らせた。
腕時計を見ると9時50分を回ったところ。自分のことながらよく迷わずにここまで来たものだ。
――カローラのエンジンのことと言い、僕はツイている。ここまで来れば大丈夫
女性に泥を掛けてしまったことと、親子連れに顔を見られたかも知れないことの二つは真犯人も史実でやったことだ。それ以外に僕は何も間違いを犯していない、このまま小金井本町住宅で二度目の乗り換えを済ませれば安全に違いない。
そう思って小金井本町住宅の団地群が見えて来た時だった……。僕は自身が大きな闇に飲み込まれていく感覚がした。
――何か勘違いをしているか、抜け落ちている部分がある。何だ? 何かが抜け落ちている。
僕は小金井本町住宅の入り口に差し掛かったところでその闇を、その抜け落ちていた部分を発見し、そして愕然となった。
――このカローラを捨てて、ここから僕はいったいどの車で逃げるんだ?
すっぽりと抜けていた部分とは、犯人の足取りがこのカローラを捨てたところでプッツリと途絶えていたことだった。現金を取り出し、空のジュラルミンケース三つを乗せたカローラを乗り捨て、犯人はこの団地から去った。しかし何に乗って去ったのか、その後の捜査でも判っていない。
そもそも考えてみれば、この小金井本町住宅に乗り換えの車を用意していたかどうかも不明なのだ!
「落ち着け、落ち着くんだ。史実ではこの団地のB1棟横の駐車場でカローラは発見されるんだ。それは事件後四ヶ月のことだけれど、明日撮られる自衛隊の航空写真にはこのカローラが写っている。つまり今日ここで再び現金を載せ替えたのは間違いない。落ち着いて考えろ、今日や明日にここで警察に見つかることは無いんだ……」
僕はゆるゆると車を動かし団地内B1棟の隣の駐車場にカローラを停めた。
外の雨は相変わらず降り続いていて、冬の団地内に人影は無い。この場所でもう一度現金の積み替えの作業をしてカローラの車体にシートを掛ける、この行動を犯人がしたことだけは間違いが無い。
――問題は……、どんな車に乗り換えて逃走したか? もしくはこの団地内に強奪した現金を仮置きをして隠したか?
駐車場に停めたカローラの中で、僕はその二つのケースについて比較して考えた。この団地内に現金三億円を犯人が仮置きをしたとしても、その場所が今の僕にわかる訳がない。そっちの方向に行動を起こしても無駄だろうという結論に至る。
それならば今すぐに乗り換えの車を探したほうが見つかる可能性もある。ここに停めてある車でカギがついている車、もしくはこのカローラと同じく三角窓が壊され、盗難されたと思われる車があればビンゴだ。探す車はこのB1棟横で精々30台程度、全部見て回っても10分くらいか。
降り続く雨の中、僕は一台一台と停めてある自動車を見て回る。半分程度を確認しても逃走用と思われる車は発見できなかった。
残りの半分を確認しようと駐車場の端に停めてある車のシートをめくろうとした時だった。雨の音に紛れて後ろから近づく足音に、僕は気づかなかった。
突然、金属のような硬いものを背中に突きつけられた感触が僕を襲う。次に雨音に混じって悪魔のような声が聞こえた。
「動くなよ、三億円事件の犯人さん。背中に押し付けているのは拳銃だ、俺は人殺しはしたくない。そのまま動かずに俺の言うことを聞け、イエスなら首を縦に、ノーなら……死んでもらうしか無いな」
若い男の声だった。なぜか僕を三億円事件の犯人と知っている、なぜ?どうして……
――この男は誰だ!? 警察か? いやまさかこんなに早くにここに来るはずが無い。
「さあ俺の言うことを聞くのか、イエスか? ノーか? どっちなんだ」
つづけて男に言われて僕は首を縦に振り、言うことを聞くしか無かった。
「待ってくれ、言うことは聞く。アンタはいったい誰なんだ?」
僕の問いに男は可笑しそうに背中の後ろでクスクスと笑う。
「フフッ……、キミが俺のことを知らないのは当然だな。だが俺はキミを知っている。なあ、可笑しいだろう三億円事件の犯人、自称内田滋彦くん?」
その男が発した僕の名前を聞いて、僕は全身から力が抜けていくのを感じた。