第24話 国分寺市 ふくなが不動産 その3
「横山さん、横山さん? ちょっと、聞いてる?」
タコ親父さんは何度か俺に呼びかけたのだろう、額にシワを寄せた顔をして心配そうにこっちを覗き込んでいる。
「あっ、ああスイマセン。まさか拾った上着の持ち主が警察の方とは思わずに、ちょっと考え込んでしまいました。ハハハ……」
緊張のためか一瞬で喉が渇き、少し掠れたような声しか出てこない。そのことを誤魔化そうとタバコに火をつけるものの、見事に煙で蒸せて激しく咳き込んでしまう。
「ああ、そうだ。お茶も出してなかったねえ、ちょっと待っておくれよ」
福永氏は湯呑み茶碗と急須を用意し、ストーブにかけていたヤカンからお湯を注ぐ。やがて湯気を立てた湯呑みが俺の目の前にそっと置かれた。熱々のお茶だけにグイッと飲む訳にはいかないが、喉の渇きを潤すために少しづつ口に入れる。
「いやいや、お茶まで頂いて申し訳ありません、ちょうど喉も渇いていたんで助かりました。それで、その木幡氏は家賃も払わずに失踪しちゃったんですか、それはひどいですねえ……」
「そうなんだよ、なんでも『息子の自立のために』って息子さん用に部屋を探している風だったんだけどね、聞いた話ではその息子も一緒にいなくなったらしくてさあ、もう困っちゃったよ」
これ以上怪しまれないように、何気ない会話をして適当にこの場を切り上げたかったところ、また驚きの事実を福永氏が話し出す。
――木幡だけじゃなくてその息子まで失踪している? つまり警察官の親と息子が失踪……、これってどこかで聞いたことがあるような話に似ている……。
俺はアタマをフル回転させて過去の記憶を引きずり出した。
――そうだ! これは三億円事件当日に滋彦と話し合ったものと似た話だ。現役警察官の不良息子が三億円事件の前後に家出したとか失踪したとかいう噂の話。しかも今回の話だと父親も息子も蒸発、失踪したことになっている。このタコ親父の言っていることが全部事実だという前提の話だが、俺が失踪した木幡に転生したと仮定したら、まさかその息子って!?
「あ、あの……」
再び口を開くが今度も喉が引っかかり上手く発声できない。茶碗に残ったお茶をすすり、ゴクリと嚥下して話を戻す。
「あの社長さん、もしかしてその息子さんは結構な不良で家出をしただけとか、そういう話でもないんですか? 親子で失踪って普通は無いですよね」
「ああそうそう、悪ガキは悪ガキだったらしいよ。少年院だか鑑別所だかにも入ってたらしいし……。でもねえ、ここだけの話……」
店内には俺とタコ社長の二人しかいないのにもかかわらず、タコ社長は手招きをして顔を寄せ声を小さくする。
「ここだけの話、木幡親子はあの三億円事件のちょうど当日に親子揃って失踪したらしいよ。まさかとは思うし、滅多なことは言えないけどねえ」
「えっ、それって……」
やはり出てきた『三億円事件』の言葉に心臓がドキリと脈を打つ。福永氏は唇に人差し指を当てて「それ以上言うな」というポーズを取った。
「まあそれから、これは今のところボクと警察だけしか知らない情報なんだけど、その木幡氏が借りた部屋っていうのも意味アリでね」
「と、言うと?」
「実はさあ、木幡氏が借りたのはそこの日本信託銀行国分寺支店の斜め向かい側の建物なんだよ。こう言っちゃなんだけど、朝から晩まで支店の出入りやら様子はよく見える。他にもいい物件はあったんだけどね、木幡氏は最初から『この場所がいい』と決めていたフシが有るんだな」
「なっ……」
絶句する俺の顔をみてタコ社長がクスリと笑う。こっちをからかっているのか、それとも木幡の上着を拾った俺を試しているのか。もし俺を試しているのだとすると、ここは大げさに驚くふりを続けるべきか、それとも「そんなこともあるんですねえ」と冷静になるべきか。
「は、はあ……、そんなこともあるんですねえ」
俺はなるべく自然を装いながらも多少の驚きを込め、ゆっくりとタコ社長の視線を外して引き戸の外の方を見た。――日本信託銀行国分寺支店の方向を。
「だからさ、身内だけにおおっぴらにできないけど警察も木幡氏を怪しいと思ってるんじゃないかな。横山さんもその拾った上着を早く警察に届けた方がいいと思うよ」
「ええ、そうですね。今日はその上着を持ってきてないんですけど、出来るだけ早く警察に届けるようにします。そんな重要人物の品物だなんて思ってもいませんでした、今日は有難うございました」
もう一刻も早くここから立ち去りたい。ここに来たことは間違いではなかったけれど、あまりにも知ってしまった情報が強烈過ぎた。俺はそそくさと礼を言い、頭を下げて店を出る。カラカラと乾いた鈴の音を聞きながら引き戸を閉め、もと来た道を引き返し始めた。
◇ ◇ ◇
本当は銀行の前を通らずに迂回して帰る計画だった。ところがどうしてもその木幡の借りたというアパートを見てみたい、という興味には抗えない。
銀行の国分寺支店までは普通に歩いても数十秒。その斜め向かいを見ると確かにアパートが建っていて、二階の部屋からは支店の様子がよく見えるだろう。木幡は、いや木幡親子はここで何をしていたのか? 何を企んでいたのか? そんなこと、想像をするのに難くはない。
――つまり、つまり彼らは……
その時だった、俺は二人連れの男たちとすれ違う。一人は二十代中盤、滋彦よりも少し年上。そしてもうひとりは中年の男で四十歳を過ぎたか過ぎないかといったところ。二人とも地味なスーツを着て面白くなさそうに歩いてくる。二人とのすれ違いざま、中年男と視線が合いそうになった。とっさに視線を躱そうとしたその刹那、彼らの醸し出す雰囲気が俺の背筋に凍りつきそうな悪寒を走らせる。
――コイツら、間違いない。警察だ!
俺は斜め向かいの看板を探すふうに頭を捻りながら、国分寺の駅へと歩を進めた。
振り返りもせずに切符を買い、改札を通ったところで背後を確認し、ようやく俺は安堵のため息をついた。
< 事件への扉 国分寺市 ふくなが不動産の部 終わり >
 




