第22話 国分寺市 ふくなが不動産 その1
――『東京都国分寺市本町×丁目-×× ふくなが不動産』
俺はいま目の前にある不動産屋の名刺を見ながら電車に揺られている。名刺に書かれている名前は『福永勝己』、ふくなが不動産の社長と思われた。
自分が転生してきた時に所持していた財布にあったこの名刺、そして着ていた背広に刺繍されていた『木幡』のネーム。現在手元にあるこの二つの情報だけが自分が何者かを知る手がかりだった。
今度の調査には危険がある。昨日滋彦に言った言葉は事実で、まだ早いんじゃないか、もう少しほとぼりが冷めてから、という気持ちも俺自身の中にはあった。もしも年末の有馬記念が自分の知っている通りに終わっていたら、こんなに早く行動を起こす気にもならなかっただろう。
だが現実は違った。レースはハズレ、この世界が自分の知っている世界と違うことを思い知らされた。
この国の、いやこの世界の大まかなグランドデザインは自分の居た世界と変わらなくても、日々の生活や小さな出来事の流れは違っている。同じ図柄に見える織物でさえ、厳密には縦の糸と横の糸の絡まり方がまったく同じという織物は二つとして無い。それと同じようにこの世界も遠目に見たら同じに見えても、近づいてみると糸の絡まり方が全然違うのだと思う。
あのレースをハズすまでは「滋彦=犯人」という自分の世界観が絶対だと信じて疑わなかった。事実として滋彦は三億円事件の犯人には違いない、しかし「犯人=滋彦」とは限らないのだ。つまりこの世界の流れが俺の知っているものと違うとすれば「犯人=滋彦+自分」でも十分に成り立つ、いや既にこの図式は成り立っている。自分は安全な場所にいて滋彦さえ捕まらなければ万事OK、などというお花畑な考えは早く捨てるに限る。
年末から数えて二週間、滋彦の前では陽気に振る舞って来たけれど、俺の中では我慢の限界が近づいていた。自分は誰なのか、誰の人生を引き継いでいるのか、木幡とは誰なのか、もしや木幡が指名手配犯などということはないのか。
自分自身の存在を確かめる「危険」と確かめない「不安」が自分の中でせめぎ合った結果、いま俺は国分寺に向かう電車に揺られている。――確かめた結果の「危険」は逃れる手段があると信じて自分を確かめに向かっていた。
数度の乗り換えを終え俺は国分寺駅で電車を降り改札を出た。そこは自分の知る国分寺駅北口とはまったく違う光景が広がる場所だった。瓦屋根の駅舎、のんびりと停まってる客待ちのタクシー、立ち並ぶ個人商店。予想はしていたものの、たったの50年でああもすっかり変わってしまうものだと感心する。
駅の北口を出て真っ直ぐ歩くと名刺の「ふくなが不動産」のある国分寺市本町×丁目付近。俺は立ち並ぶ個人商店の看板や表札を確認しながら本町×丁目-××を目指して歩いた。
大きな交差点を渡った少しあとのことだった。俺の目に一つの看板が飛び込んでくる。
――「日本信託銀行 国分寺支店」
その瞬間、俺の心臓は自分でも分かるほど激しく脈動した。「日本信託銀行 国分寺支店」、つまり三億円事件の被害にあった銀行の支店。
どうするか……、こんなところにそんなものがあったと気づかずに来てしまった俺もバカだ。たとえ警察の目が無いとしても、ここで方向転換をしたり回れ右をして目立つなんて愚の骨頂、つまりそのまま素通りをするのが一番の上策と判断する。
何気なさを装いながら銀行の前を一直線に通り抜ける。目の端で様子をうかがうと行内の様子がガラス戸からチラリと見えた。自分が意識しているだけだと心に言い聞かせても、道路の方を見ているすべての人が警察関係に見え、心臓の動悸がさらに速さを増す。銀行の前を通り過ぎるのに何秒間費やしただろうか、三秒か、長くても五秒。そんな短い間が永遠の時のように感じた。
振り返ることも無く歩を進め、背中の気配で銀行から完全に遠ざかったと判断した時には俺の喉は渇き切り、冬なのに額には嫌な汗が滲んでいた。
「……ふう」
誰も見ていないことを確認して大きなため息を吐き出す。俺がいた現代なら名刺の住所を事前にネットで検索し、近くに日本信託銀行の国分寺支店があるなどという情報を得ることもできた。しかし今はそんな便利なものも無く、地図でも買わない限りまさしく行き当たりばったり。よくよく考えると三億円事件を計画した人物はよほどローカルな現場に詳しいか、予備情報を集めていたに違いない。
そんなことを考え、再びまっすぐ歩きはじめた時だった。今度は求めていた看板の文字が目に入る。
――「ふくなが不動産」
その看板はまるでこれが今日のアンタの目的だろう、と言わんばかりに周囲から浮き上がって俺には見えた。ただの白地の板金に黒い明朝体で書かれた「ふくなが不動産」の無機質な文字。しかしその文字を見た俺の脳が危険というシグナルを発する。
近い、銀行の支店からの距離が近い……
さっき通った日本信託銀行の国分寺支店から距離にして100メートル程度。ふくなが不動産から銀行の国分寺支店は直接には見えないけれど、ものの数十秒も歩けば行ける距離。この距離が意味するものは何だ?
再び心臓の鼓動は早くなる、偶然にしては出来すぎているこの立地。「木幡」と「ふくなが不動産」の関係、そして被害にあった銀行との距離感、すべての事象が何かの因果律に導かれている気がする。この世界での木幡は一体何者だったのか、なぜこんなところの不動産屋の名刺を持っていたのか。
ふくなが不動産の前に貼り出してあるのは空き物件のチラシ。それをしばらく眺めるふりをして考えても、結局は直接福永氏に話を聞く以外に妙案も浮かばず、俺は意を決してふくなが不動産の戸に手をかける。
ガラスの嵌めてある木製の引き戸を開けるその瞬間、新聞記者時代に経験したゾクゾクするような気持ちの高ぶりを、何故か俺は感じていた。




