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第20話 クリームパンの少女 その2

 いい天気とはいえ季節は冬。じっとしていると指先が冷たくなりそうな空気の中で、クリームパンの少女はたたずんでいた。


 ブランコに腰掛けたまま地面を見つめて何か思い悩んでいる様子。夕方ならいざ知らず、この真っ昼間なら声を掛けても変質者に間違われることもないだろうと、僕は思い切って近づいていった。


「ねえ、どうしたの? 一人で寂しそうだけど」


「ああ……、クリームパンのお兄ちゃんか……」


 僕がクリームパンの少女と思っているように、彼女も僕のことをクリームパンのお兄ちゃんと呼ぶ。こちらを向いた少女の顔は一瞬ほころんだものの、ため息をつくとまた物憂げな表情に戻ってしまった。ショートヘアに切れ長の目、その顔は今日も美少年かと間違えるほどだ。


「なに? 何か悩み事でもあるの?」


「うん、まあね……」


 隣のブランコに座って僕が尋ねると、少女は大人びた返事を返す。どう見ても小学校の高学年にしか見えない彼女に、いったいどんな悩み事があるのか気になってくる。


「ねえ、お兄ちゃんには悩み事は無いの?」


 不意に真面目な顔でそんなことを聞かれたので、さっきまで悩み事を考えていたことを見透かされたのかと狼狽えた。


「あ、あるよ」


「どんな悩み事?」


 少女の目が真っ直ぐにこちらを向く。僕はその視線になぜか懐かしいような既視感を感じた。


「そうだな……、今の自分が誰だかわからない、っていう悩み事」


「なにそれ!? わたしが子どもだからってからかわないでよ。あ~あ、期待して損しちゃった」


 別にこの子をからかった訳じゃないけれど、自分が誰だか判らないなんて言われたら普通はこういう反応だろう。ガッカリしたような顔で頬をふくらませる仕草は子供らしくて可愛い。


「じゃあ、キミはどんな悩み事があるの?」


「わたしの悩み事? ウ~ン、あのね、今度わたしの誕生日なの、10歳の誕生日」


「へえ、じゃあいま……、えっと……何年生だっけ」


「今は四年生、もうすぐ五年生。それでね、誕生日にはお父さんがウチに来るの」


 彼女の誕生日にお父さんが家に来る、という意味がすぐには理解できずに僕はしばらく考え込む。お父さんが家に来るのは普通だし、いつもは家にいないというお父さんは単身赴任だろうか? それとも離婚をしてたまにしか会えないお父さんという意味か?


 僕が変な顔をして悩んでいたからだろう、少女は「ほら、悩んじゃうでしょ」と笑いながら言った。


「ごめん。じゃあお父さんに会うのが嫌なんだ?」


「……嫌だ、っていう訳じゃないんだけど、複雑なの」


 それだけ言うと少女はブランコを二度三度と揺らし、その後で再び大きなため息をつく。


「お兄ちゃんはわたしと関係ないし、いい人そうだから言っちゃうけどね、わたしのお父さんとお母さんは結婚してないんだ……」


「へ?」


 我ながらおかしな声を出してしまった。考えてもいなかった少女の言葉に、裏返ったような掠れたような声になった。そんな僕に向かって彼女は半分笑いながら、そして半分憂いを浮かべながら言葉を続ける。


「あのね、わたしのお父さんには本当の奥さんがいるの。わたしのお母さんは……、その……お妾さんって言うのかな、本当の奥さんじゃないの」


「ああ、そういう意味か、なるほどね」


 お妾さん。つまり彼女のお母さんは正妻ではなくて、彼女自身もいわゆる非嫡出子。僕の生きてきた周囲にはそういう人がいなかったので、どう対応したらいいか分からずに沈黙してしまう。


「そんなにお兄ちゃんが気にすることないよ、わたしのことだから」


「まあ、ね……」


 小学生の女の子に気を遣わせて逆に諭されるとは、二十歳すぎの大人としてなんとも情けない。


「それで、キミはお父さんに会いたくないんだ。いや、会うのは嫌じゃないって言ってたっけ?」


「うん、そう、別に嫌じゃない。お母さんはお父さんと会ったらソコソコ嬉しそうだし、妹も嬉しそう。でもね、わたしは複雑なの。お母さんはいつも内職してて、ウチは貧乏。お父さんは偉い人らしいけど、私たちの方にはあんまりお金を入れてくれないのかな、って」


「そういうこと、なんだね」


 僕は彼女の見せる年齢以上の憂いを含んだ表情や、大人びた態度の裏側にあるものを少し垣間見た気がした。


「それからね、お父さんが家に来たあと、家の周りでたまに女の人を見かけるの」


「女の人?」


「うん、たぶんお父さんの本当の奥さん……」


「ああ、そうなんだ……」


 どうしてこの子はそんなことまで僕に話すのだろうか、それを理解するのにも少し時間がかかった。よくよく考えてみると、こんなことは家族にも学校の先生にも、もちろん友達にも言えない。無関係の僕だから言えること、というものもあるのだろう。


「ゴメンね、暗い話しちゃって。でもちょっとスッキリした、お兄ちゃんありがとう、また話を聞いてくれるかな?」


 憂い顔を残しながらもニッコリと僕に微笑む彼女、笑った口元からは少し八重歯が覗く。その笑顔を見た僕はやはり何か懐かしい感覚を覚える。


「別にキミの話を聞くくらいならいつでも聞くよ。それよりさっきあの店でクリームパン買ったんだけど、食べる? 二つあるから妹さんの分もあるけど」


「え、いいの?」


「いいよ、えっと……そう、名前をなんて呼べばいいのかな? 僕の名前は……」


 一瞬僕は自分の本名を名乗っていいのか悩んだ。けれど、こんな少女に名前を言ったところで三億円事件と繋がる訳でもないと思い直して、自分の下の名前を明かす。


「僕は滋彦っていうんだ、キミは?」


「わたしの名前はモモエ、山口モモエっていうの!」


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