第19話 クリームパンの少女 その1
有馬記念を見事にハズしてからというもの、菊沢さんの遊びは少しだけまともになった。二日に一度は行っていた高価な風呂やキャバレー通いが、なんと一週間に一度に減ったのだ。と言えば聞こえはいいけれど、それは年末年始の休みが重なっただけで、本人は行きたかったのかも知れないのだが……。
「おい滋彦、ヒマだなあ。何か面白いことないか?」
年も明けて一週間。昨日、久しぶりの高い風呂に行ったばかりの菊沢さんが朝から声を掛けてくる。なにか面白いことはないか、と聞かれても――なにも無い。
「そうですねえ、給料日に現金輸送車を襲ったら面白いと思いますよ」
「それはもうやったからなあ」
「でも菊沢さんが襲った訳じゃないですからね」
僕たちが下らない会話を続けているアパートの部屋の片隅には、さっきからずっとテレビが垂れ流しで映っていた。この時代にはまだ高級品だったカラーテレビ、あまりの暇さ加減に年末に二人で買ってきたカラーテレビ。
とにかく電気屋さんの配送と設置工事を断って、菊沢さんと二人で運んで取り付けたカラーテレビは粛々と昭和44年の番組を放送している。
「しっかし、テレビが無いよりはマシだけどさあ、出てる芸能人がサッパリわからんよなあ。誰だよこの司会者」
「そうですねえ、ミュージックフェアとか夜のヒットスタジオとか歌ってる人が全然わかりませんし、この時代のニュース番組の貧弱なことと言ったら……」
この時代は現代のようなニュース番組というものが無いに等しい。民放では5分くらいのフラッシュニュース、もしくはワイドショー。枠をとってニュースを流しているのはNHKくらいのものだった。そのため三億円事件のニュースを知るには新聞と雑誌が一番詳しく、警察の捜査が進んでいない情報も新聞を通じて得ている。
「おい見てみろ、この『怪奇大作戦』っていう特撮番組さあ、たしかいろいろあって欠番扱いの回があるんだよなあ。もう少し前の時代に転生してたら『ウルトラQ』とか『初代ウルトラマン』とかリアルタイムで見れたのかよ……、残念だなあ」
「それより菊沢さん、このまえ11PM見てたら地上波なのにオッパイ丸出しでしたよ、おおらかで呑気な時代だったんですねえ」
「なんだよお前、女の裸に興味があるなら早く言えよ、トルコに連れて行ってやるって言ってんのにさあ」
「いえ、そういうのはちょっと……」
横須賀に来てから既に二十日以上、こっちの生活に飽き飽きしてきているのも事実だった。飯は食えるし本や新聞も読める、テレビも見られて、いつ寝て起きてもいいし学校にも行かなくていい。――それにお金も大量にある。
いや、お金しか無い、といった方が事実に則しているだろう。
しかし、しかしだ!
とにかくパソコンもスマホもインターネットも何も無い。興味のあるアイドルもテレビに出なければお気に入りのアニメも放送しない。エッチなビデオのレンタルなんて無いし、そもそもレンタルビデオそのものが無い。
いくらお金があっても手に入れられないものがある、それが昭和44年のいまだった。
「菊沢さんはいいですよねえ、お金があったらこの時代でもエンジョイできるんですから」
僕は酒に風俗にギャンブルにと精を出す菊沢さんを少しからかってみた。当然菊沢さんはその皮肉に文句を言うものと思っていたのだが。
「いや……、お金があっても帰ってこないものもいっぱいあるぞ、嫁さんとかな」
「そんなマジで言われても……」
「だからな、俺は『今を楽しむ』ことにしてるのさ。さあ、あんまり暇だから今から競輪にでも行ってくるわ。川崎競輪だと帰りにまたトルコに寄っちゃうから、ちょっと遠いけど平塚競輪にするかな、じゃあな!」
結局ギャンブルに行くのに、帰りにトルコに寄らないようにわざわざ遠い平塚競輪場に行く菊沢さんの気持ちがわからない。便利な川崎競輪場に行って、帰りにトルコに寄らない強い意志を持てばいいだけの話だと僕は思う。それにそもそも結果も知らない競輪に賭けるのは、本当にギャンブル好き以外のなにものでも無い。
「菊沢さんもお気楽だよなあ……」
一人になった部屋で僕は呟く。
「そういえば、年明けしてしばらく経ったら『木幡』のことを調べるって言ってたなあ」
転生してきた時に菊沢さんの背広に刺繍してあった『木幡』の文字と、財布に入っていた『福永勝己』の名刺、この二人を繋ぐ線が転生の謎を解いてくれるかもしれない。そう菊沢さんは言っていた。――しかし
「菊沢さんの線は繋がっても、僕の線はどうなんだろう」
僕はこの時代で、この世界でナニモノだったんだろう。三億円事件の真犯人とは誰だったんだろう。そして僕は本当にクモ膜下出血になるのだろうか。
「はあ……、もう考えれば考えるほどネガティブだ……。買い物にでも行こう」
誰に対して宣言するでもなく僕は一人で部屋を出た。鍵を何度も確認し、防犯上テレビはつけたままにしておく。
買い物と言っても何を買いに行くという目的もない。日持ちをする食材とか雑誌や本、それからいつものパン屋さんでクリームパンを買う。ネガティブな心を気分転換するためにいつもと違う帰り道を通り、見知らぬ喫茶店でコーヒーでも飲んで帰ろうと歩いていた時だった。
道路脇の小さな児童公園のブランコにあの子が座っていた。クリームパンを買う時に出会ったあの女の子だった。




