第18話 モンタージュ写真の男 その3
「ナベさん、やっぱり気になりますか?」
「ああ、気になるね」
場外馬券場を出た二人はそのまま周辺の聞き込みに入ろうとしていた。若い方の藤岡刑事が「気になるか?」と聞いていたのは、もちろん馬券を大量購入した二人組のことである。
「藤岡くん、考えてもみろよ、君は何百万円もの現金をずっと自分の家に保管するか?」
「まあ普通は銀行に預けるでしょうね、特別な理由でも無い限り」
「そうだろう。だとしたら銀行から出金する時には札束は100万円づつ帯封されて出てくるだろ? 今度はそれを使う時に、君はいちいち帯封を破って自分でお札を数え直して輪ゴムで縛るか?」
「……しませんね」
藤岡は田辺の言っていることが的を射ていると思った。少なくとも今回競馬で大口購入されたお金は、まともに銀行から出金された可能性は低い。元はバラバラだった600万円以上の一万円札を数え直して輪ゴムで縛る、このちょっと奇妙な工程を経たものであることは確かだ。
「いいか藤岡くん。今回の三億円事件は東芝府中工場の従業員4525人分のボーナス2億9千430万円が盗まれた。ジュラルミンケースにはその4525人分の現金がボーナス袋に一つ一つ仕分けされた状態で入っていた、ということは――だ……」
「帯封されていない、雑に輪ゴムで縛った数百万円の札束は怪しいということですね、ナベさん」
「事件と直結するかどうかわからんが、出どころが普通のお金じゃ無い気がするな。あの婦人、ただ単に数百万円の大口馬券購入なら年に何度かあると言っていたが、この時期に輪ゴムで縛った600万円は気になるよなあ」
二人の刑事は横浜場外馬券場付近を皮切りに、国鉄の桜木町駅方面、そして京急の日の出町駅へと聞き込みを続けていった。いつしか時間は昼食時になり、飲み屋兼定食屋の装いの店へと昼飯がてらに聞き込みに入った時。
「えっ!? そういう二人組を見たんですか?」
若い藤岡刑事が店主に聞き返す。
「ああ、有馬記念の日だったね。見ましたよ、というかこの店に二回来たよ」
店主は注文の天ぷらを揚げながら刑事の質問に答えている。パチパチという天ぷら油のはぜる音と匂いが店内に充満する。
「ご主人、仕事中に申し訳ないんですが、その二人組のことでお話を伺わせてもらえますか?」
「ああいいよ、昼時のお客さんが一段落してからね。それより何を食べるの? 注文決まった?」
店主の揚げる天ぷらの匂いに釣られて田辺は天丼を頼み、藤岡はとんかつ定食を注文する。二人がそれぞれの食事を食べ終えタバコを吹かせて待っていると、店の客が一旦途切れて店主の時間が空いた。
田辺は自分が府中署の刑事で横浜に三億円事件の捜査に来たこと、この先にある場外馬券売り場で大口の馬券購入をした二人組の情報を捜していることなどを告げ、事件の捜査に協力を求めた。
店主は田辺の話に頷きながら腕組みをして首を傾け、当日の記憶を思い出すようにして喋り出す。
「そうそう、年上の男は30歳くらいだったかな。それで若い方は大学生くらいに見えたね。名前を呼び合ってたけどそこまで覚えちゃいないねえ、ただアイツら結構な額を有馬記念に張ってたんだろうなあ、ハズレた瞬間呆然としてたよ」
「ハズレた瞬間……、ということは競馬をここで見てたんですか?」
「ああそうだよ、まず昼前にここに来てな……」
一週間前の記憶を追うように店主の口上がなめらかになっていく。田辺が色々と質問し、藤岡は几帳面にメモを取っていった。昼前に来た時は若い方がカツ丼を食べ、年長の男がビールを飲んでいたこと。レースの前に再度現れた時には年長者がビールだけを飲んでいたこと、などを店主は語った。
「そういえば若い男はあんまり競馬の話をしてなかったけど、年上の方は有馬記念の予想をオッサン連中としてたね。えーっと『リュウズキが絶対に勝つ』って言ってたけなあ、ハズレて呆然としてたのを若い方がなだめてたのが可笑しくてねえ」
「リュウズキは確か有馬記念の7枠でしたよね、ということは年齢といいやっぱり枠連の7-8を大口で買っていた二人連れで間違い無いか……」
田辺は再びタバコに火を付けながら、一週間前にここに居た二人のことを想像した。600万円分もの馬券を枠連7-8で一点買いした二人。よほどの自信があったのか、それともギャンブル狂なのか。
「ご主人、その二人連れはこの写真に似てませんでしたか?」
念の為にモンタージュ写真を見せたものの、店主は吉田婦人と同じように「似ていない」と横に首を振る。
「じゃあ、どんな雰囲気の二人でしたか? 外見から見た感じとかでも」
「そうだなあ、若い男は優しそうな学生さんみたいだったね。それから年上の方は……なんていうかなあ、アンタたちに雰囲気が似てたところがあったね。刑事じゃないんだろうけど、ちょっと雰囲気が似てたね」
「我々に似てた……ですか」
二人は店主に捜査協力の礼を言い、また二人が現れたら連絡してほしいと名刺を渡して店を後にする。田辺の心のモヤモヤは増々濃くなっていった。
駅への帰り道、無言で歩く田辺に対して沈黙に耐えられなくなった藤岡が声をあげる。
「ちょっとナベさん、何か話してくださいよ。どう考えてるんですか? その二人組のこと」
「うーん、ああそうだな」
田辺は若い藤岡をチラリと見返して言葉を続けた。
「なあ藤岡よ。今回の三億円事件、単独犯か複数犯かと言われると、実のところ俺は複数犯だと考えている。だが複数犯と言ってもグループ犯罪と言えるほど多くの人間が絡んでいるとは思えんのだ」
桜木町の駅まで着いた田辺は道端のタバコ屋でピースを購入して火をつけた。ふうっと煙を吐き出して一息入れる。
「複数犯とは言え人数は二人か三人まで、四人以上では多いと思っている。単独犯に比べて二人、二人に比べて三人、そして四人と人数が増えると情報の漏れる確率は飛躍的に上がっていく。何しろ三億円という大金だからな、山分けをするにしても人が増えれば内部の衝突も増えるだろう。それが二人なら話はまだ簡単、自分が言わなければ相手がバラしたとスグに分かる。お互いがお互いを監視していればいいんだからな」
「じゃあナベさんは今日聞き込みをした二人組は怪しいと?」
藤岡の前のめりな質問に田辺は苦笑し、吸い殻を靴で消した。
「ところがそこに引っかかるのがあのモンタージュ写真だ。みんな『似ていない』と言っている。つまり、もし仮にこの二人組が犯人だとしても実行犯は別にいる。モンタージュ写真のコイツを足すと犯行グループは合計三人以上、じゃあ何故馬券売り場に来たのが二人だけなのか? それ以上はわからん――だが」
「――だが、何ですか?」
「だがな……、実際は三人グループでさえ相互監視は難しいと思うのさ。さあ、とにかく府中に帰るか」
再び歩き出した田辺の後を追うように藤岡も動き出す。ちょうど桜木町駅のホームには電車が到着したようで、二人は小走りで電車に乗り込んだ。
「そういえばナベさん、交機(交通機動隊)の警部補が三億円事件の当日から失踪してるって噂、知ってますか?」
「ん? ああ、あの噂か。息子も一緒にいなくなってるって話だろ」
警視庁の交通機動隊に所属する警部補が事件当日から失踪中、という噂が広がりだしたのが一週間ほど前からである。田辺もその噂を聞いていたものの、同じ警察内部とはいえ詳細は確かめようもない。ただ「三億円事件の当日から」というのが何やらキナ臭い噂になっていた。
「そうです、息子も一緒に消えたってヤツです。確かわりと珍しい苗字の人だったんですよね――キバタだったか何だったか、読みにくかったんですよ」
藤岡がそこまで言ったところで電車は年の瀬の横浜駅に到着し、ホームに溢れる買い物袋を抱えた乗客が多数乗り込んできて、車内は満員となった。
< 捜査本部 モンタージュ写真の男の部 終わり >




