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第16話 モンタージュ写真の男 その1

 年の瀬も押し迫った昭和43年12月26日、三億円事件の捜査本部が置かれた警視庁府中署の刑事課で田辺巡査部長は考えこんでいた。


 田辺の目の前には一枚のモンタージュ写真。それには今日から5日前の12月21日に記者発表された『三億円事件の犯人』とされる人物が写っていた。そしてその写真の横にあるのは捜査メモ、これは田辺自身が行った聞き込み調査の結果をまとめたものだ。


 その2つの資料が相反する情報を田辺に突きつけているため、彼は先ほどから考えこんでしまっていた。


 1つ目の資料のモンタージュ写真。これは現金輸送車に乗っていた銀行員に対する聞き取り調査を元に作成された。銀行員たちはニセ白バイ隊員、つまり強奪犯の顔を直接見ており写真の信憑性も低くはないと思われる――しかし、だ。


「似てないって、どういうことなんだ……」


 田辺がブツブツと言いながら捜査メモを鉛筆で叩く。


「ナベさん、やっぱり気になるんですか? 犯人を直接見た銀行員とフロントガラス越しに見た目撃者とじゃあ印象が違って当然じゃないか、と思いますが」


 隣から声を掛けたのは藤岡巡査。田辺とともに三億円事件を担当している刑事の一人だ。二人は連日に及ぶ聞き込み捜査をともにしていて、今日も足が棒になるほど歩き回っている。これほど世間を騒がせている大事件、聞き取り捜査のたびに真偽不明の情報も集まってきていた。


「なあ藤岡、確かに雨の中で運転している人物の顔はガラス越しには見えにくいと思うけどな、泥を掛けられた女性も、車ですれ違った農家の親子連れも、『似ていないような気がする、なにか違う』って言っているのはおかしいと思わないか? 人の記憶というのは新たな情報に上書きされていくもんだ。このモンタージュ写真が公開された時点で目撃者の記憶だって新たな情報に多少なりとも支配されていくんだ。それが目撃者の三人が三人とも『違うような気がする』って言うのは不思議だろう」


「でも一番近くで見た銀行員の証言を元にしたモンタージュですよ、どっちに重きを置くかと言えば……、当然()()()でしょう」


 藤岡はパチンとモンタージュ写真を指で弾く。年下の巡査にそう言われるまでもなく、田辺もモンタージュを軽視するつもりは無かった。だが何かが違う、田辺の心のなかにトゲのようにその疑惑は刺さったままだ。


 目下のところ三億円事件の犯行は単独犯か複数犯か不明である。わかっている事実としては、現金輸送車を強奪した時点で実行犯は一人、つまり単独だったということだけだ。事件の計画段階、そして逃走において複数だった可能性は否定できない。


「……仮に複数犯だったとしてもだ」


「複数犯だったとしても?」


 田辺の独り言のようなつぶやきに藤岡は律儀に聞き返す。


「複数犯だったとしてもだ。あの短時間の逃走中に運転を代わる必要があると思うか? 仮に運転を交代するとしても、現金輸送車を乗り捨てて濃紺のカローラに乗り換える時に代わるってもんだろう。ところが現金輸送車に泥を掛けられた女性の時点で『モンタージュと何か違う』と言ってるんだ。これはつまり……」


 これはつまり府中刑務所横で現金輸送車を強奪し、女性に泥を掛けるまでの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。しかもご丁寧に同じようにニセ警官の格好をしたまま。ちょっと考えればそんなことをする理由も無いし、そんな無駄な時間はもったいないと思うのが普通だ、と田辺は藤岡に自説を語った。


「ナベさんの話はもっともですけど、その無駄な運転交代が普通に考えてありえないなら目撃者の方が見間違えた、と考えるのが論理的だと思いますけどね」


「まあ、普通に考えればそうなんだがな」


 心に刺さった疑惑のトゲを一旦封印するように田辺は大きくため息をつき、机上のモンタージュ写真を隅の方に追いやった。


「で、明日はどこに行くか決まったんですか? 世間さまでは仕事納めですけど我々にはツラい年越しですね。『三億円事件の解決はまだか?』って警察への風当たりが強い強い」


 若い藤岡がおどけながら翌日の予定を田辺に尋ねると、田辺は苦笑しながら一枚のメモを取り出し藤岡に見せる。


「ああ、明日の聞き込みだがな、ここに行って来いってさ」


「ええ、なになに……。12月22日の昼頃、横浜市西区の中央競馬横浜場外馬券場で大量の馬券を購入した二人組について……って、何ですかこれ?」


 メモを見た藤岡はあからさまに呆れた表情になって田辺の方を向いた。田辺も田辺で脱力したように肩をすくめ、藤岡に同調を示す。


「捜査本部に電話があったんだよ、何百万円分だかの馬券を買ったらしい。怪しい人物を見かけたら警察にお知らせ下さい、っていうヤツの賜物さ」


「バカバカしい、競馬で大口購入なんて大して珍しくないじゃないですか、大金を使ったヤツは全部怪しいなんて……。ナベさん、それにこれ横浜ですよ、神奈川県警に行ってもらえばいいじゃないですか、管轄は伊勢佐木署でしょ」


「まあそう言うな藤岡、わが『三億円事件捜査本部様』に寄せられた情報なんだからな。警視庁のメンツってやつだよ。神奈川県警には話は通してあるって言うし、あした伊勢佐木署にも顔を出して仁義だけは通さねえとなあ」


 警察の世界もヤクザと同じく縄張り意識が強い。余所者が来て嗅ぎ回るのを嫌うのが組織というものだ。田辺が『仁義を通す』などと大げさに言ったのも、当たらずとも遠からずと言ったところだった。


「で、越境捜査には捜査本部様から車は出るんですか?」


「バカヤロー、電車で行くに決まってるだろ」


 こうして二人の捜査員は明日、12月27日に横浜へ向かうことが決まった。

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