第三の聖典 21章~25章
サタンという世界の支配者がある中で、皆、前提というものに納得しかけている所があるだろう。しかし、それを覆す事はまずは、信仰の第一歩である。
前提を求め、サタンをのけ、その上で祈る事は、人間の歩みである。
どうやって、求めたら良いのか?どうやって思考したら良いのか?どうやって、遂げたら良いのか?それに答える著書である。
日本人向けの信仰書である。信じるなら、この聖典である。聖書より、コーランより、まず、この「第三の聖典」を見よ。日本神話よりも、シュメール神話よりもまずは、迷信なき真実を見る事。
21不正
1結局、サタンは意のままに、地上を支配出来るようになった。
2結局、神は不正を認めないながらも、見逃してしまったのである。
3蛇の誘惑の事である。
4蛇はサタンの使者となってしまったのである。取り返しのつかない事をしてしまった蛇は呪われ、サタンは正常のまま、(ただし、堕落に堕落を重ねている(屈服するべきでない者に屈服したり、媚( こ)びるべきでない者に媚びたり。)点をのぞいて、である。)不正を通しているのである。悠久なる時の中で。
5人間が不正をするように、サタンに不正をする事を見逃してしまったのである。
6結局、それが人間側の責任として、頂いてしまったのである。
7人生に不正があふれているのは、その為である。
8これはもう一度、サタンのような悪魔を生まない為である。
9その戒めとして、そのような不正を見逃されたのである。
10サタンの存在そのものが神の戒めなのである。
22聖典
1預言者について。
2この読み物は預言書ではない。従って筆者も預言者ではない。
3何故なら勝手に書いているからだ。
4しかし、監督者たる幻想の神は存在される。
5その監督の指示の下、作り上げていくのである。
6すなわち、心が低い事は有効に働いている。
7幻想の神の幻想に従う事こそ、人としてのあり方として万全というものだろう。
8神は預言をされなくなったが、聖典は委任されるのである。
9つまり、誇張せず、淡々(たんたん)と書いていく物なのである。
10文学として、書くにせよ、その体系を明らかにする事が求められる。
11それゆえに、面白い事は積極的に取り入れていきたいと思う。
12読者は文学の大成に一役買って頂きたいと思う。
23求め
1稚文は書く物である。
2自ら明確な目標をもって書いていく物なのである。
3しかし、明確な目標とは何であろう。
4まず、神というものがある中で、三位一体に目を向ける。
5神はこう言っておられる。
6素晴らしいアイディアがある。彼(筆者)がそれを知っている。と。
7前提上の求めというものがあるが、前提を求める事が人間にはしばしばある。(たとえば、二次三位一体という前提等である。これは聖定としてなり立っている。)
8前提を求め、頂き、その上で願い求めるのだ。
9それは知らなければ分からないものである。
10つまり、知っているものが知識に変換され、そんな知識が前提上にあり得るのである。
11神に祈るのに環境は必要なものである。
12だから、神の祈りに環境つまり前提が無論いるのである。それを祈って得よ。
24愚か
1愚かしき私は神を追い求める以外に事を知らない。
2交友もなければ、恋人もない。
3私の全ては神の為にある。
4人間は皆、祈る程ではなく、空虚でないわけがない。
5しかし、愛あればこそ、祈れる事もあるのだ。
6私と神という主題以外には知人の為に祈る、人類の為に祈るというものである。
7それで、人間は迷い惑うのである。
25格付け
1日本人が特別という思想がある。
2神は言っておられる。
3日本人も等しく被造物であるから、愛を受け取る事もある。
4愛ゆえに特別という事もあるだろう。
5しかし、私(神)は言う。
6幻想、自由、渾沌において、日本人は特別と言える。
7それらを使って、格付けを出来るのである。
8厳しい目で宗教を見る事が出来、日本人向けの信仰に敏感である。
9だから、神社に参拝し、教会に礼拝しないのである。
10つまり、日本人専用と書いていなければ礼拝を決断しないのである。
11そういう意味で、この聖典は日本人向けと言える。
12ちょうどいい信仰、ちょうどいい愛、それらを日本人は求めているのである。と。




