誓い
暫く涙を流した後に、瞼に感じる違和感を確認しようとドレッサーを覗けば、鏡に映った自分の顔がこちらを見つめている。
「ひどい顔‥」
ほんのり赤く腫れ上がった瞼に、すっかり憔悴しきった私の顔は、いつもより何倍も美しさからは遠ざかっていた。
ドレッサーの引き出しを開けて、少しでも隠そうと化粧品を探せば、指先にコツンと当たるのはヘルベルトから貰った髪飾りだ。
「これは‥処分しなければならないわね‥」
髪飾りを取り出してギュッと握る。
不意にトントンと私の部屋のドアをノックする音。
それが誰なのかは分かっている。
だから返事をせずにやり過ごすつもりだった。
「お姉様!」
ガチャリとドアを開けたのは想像通り妹で、返事をしていないというのに、やはりいつも通り勝手に入って来る。
「‥入って来ないで!入室を許可した覚えはないわ」
「だって、お別れをまだしていないじゃない。たった2人の姉妹ですもの、お姉様だって寂しいでしょう?」
妹の言葉に呆れた私は、言葉の真意を問いただした。
「寂しい‥ですって?どうしたらそんな風に思えるの?貴女は私に、何をしたのか分かって言っているの?」
「分かっているわよ。でも、それは仕方がない事だわ。だって私の方がずっと美しく、可愛いんですもの。お姉様と私だったら、誰だって私を選ぶに決まっているじゃない。だから今回の事は、当然の事なの。お姉様だって慣れているでしょう?お姉様は私に譲る為の存在なんだから」
クスリと笑うその顔は、やはり勝ち誇ったいつもの顔で、怒りに震える私の手は、自然と近くのベルを鳴らしていた。
「お呼びでしょうかお嬢様!」
激しく鳴らしたベルの音に、私付きのメイドのハンナが飛び込んで来た。
「エリスを連れ出して頂戴!二度と顔を見たくないから」
「なによ!ヘルベルトを奪ったくらいで、そんな事言わなくてもいいじゃない!」
妹の言葉を聞いた瞬間、心の奥にあった一本の糸が、プツンと切れる音がした。
「‥奪ったくらいですって?ええ、そうね。貴女にとってはその程度の事なのでしょうね‥。そんな人と会話をするだけ無駄なのだわ。だからもう、貴女とは一切の縁を切ります。二度と私の前に現れないで!」
「何を言っているの?そんな事出来る訳ないじゃない!」
呆れた様な顔をして、なぜそう言われたのか分からない妹を、私は一秒たりとも見たくはなかった。
「ハンナ、早く連れて行きなさい!」
ハンナは無言で頷いて、嫌がるエリスを思い切り引っ張り、部屋の外へ連れ出した。
廊下ではエリスが声を上げ、ハンナと言い争いをする声が響いて来たが、それも暫くすると聞こえなくなり、再び静寂が訪れた。
「フ‥フフ‥フフフフフ‥」
あまりの温度差に、自嘲した笑いが溢れる。
妹にとっては、その程度の事だったのだ。
「寂しい‥ですって?」
私は思わず衝動的に、ヘルベルトから貰った髪飾りを床に投げ付けた。
髪飾りはグニャリと曲がり、嵌め込まれた石が外れてコロコロと転がる。
「君に似合うと思って買ったんだ。本物じゃなくて申し訳ないけど」
禿げた金メッキの下から、灰色の金属が顔を覗かせ、紛い物である事を堂々と主張している。
転がって来た石を踏むと粉々に砕け、単なるガラスの欠片が方々に散らばった。
それはまるでヘルベルトの本心そのもので、私の前の彼自身全てが紛い物であったのだと、改めて示している様に感じた。
曲がった髪飾りを拾い上げ、それを投げ捨てようと窓を開ける。
沈みかけの太陽から注ぐ夕日が、左手の薬指に嵌った指輪に反射して、眩しさに思わず目を閉じた。
その時ふと思ったのだ。
捨てても何も始まらないという事を。
これは間違った選択をした、自分に対する戒めの品。
これを見る度に私は思い出すだろう。
どれ程の屈辱を味わったのかを。
ドレッサーの引き出しを開けて、指輪と壊れた髪飾りをしまい込む。
私は二度と間違えはしない。
さあ顔を上げて前を向こう。
今まで努力して来た事は無駄ではなかった。
きちんと父が認めてくれたのだから。
シュミット伯爵家を守る為に、私は私に出来る事をやって行こう。
窓から見える一本の道を、一台の馬車が遠ざかって行く。
多分あれはヘルベルトと妹が乗った馬車だろう。
何もかも奪って、譲るのが当然だと言った妹に、私は絶対にシュミット伯爵家だけは渡さないと、心に強く誓ったのだった。
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