表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/33

裏切り

「ごめんなさい、ごめんなさいお姉様!」

涙に濡れた瞳を潤ませ、私の足元に縋りながら、美しい妹はハンカチで抑えた口の端を、少しだけ上げていた。


ああ、まただわ‥


私はズキズキとした胸の痛みを感じながら、震える体を一歩後ずさり、私を見上げる妹を静かに見下ろす。

「すまないナターリア‥こんな事になってしまって‥。でも、もう自分を偽る事は出来ないんだ。僕は君ではなく、エリスを愛してしまった‥」

そう言いながら妹を抱き起すのは、私の婚約者であるヘルベルトだ。

「いいえヘルベルト、私が悪いの。私が貴方を愛してしまったから!」

「エリス!」

2人で抱き合い、三文芝居の様な婚約者と妹のラブシーンを見せられた私は、声を発する事も出来ずに、その場にただ立ち尽くした。

側で見ていた両親は、私を哀れに思ってか、母は私の手を握り、父は婚約者に向かって問い詰めた。


「ヘルベルト君、君は自分の立場を分かっていて、この様な告白をしているのか?」

「‥分かって‥います。でもナターリアでなく、エリスを愛してしまったのです!どのみちこのシュミット伯爵家には、婿養子として入る予定でした。ですから相手がエリスに変わっても、問題ないのではないでしょうか?」

父は深い溜息を吐きながら、やれやれと呟いて首を左右に振った。

「やはり分かっていなかった様だな。シュミット伯爵家を継げるのは、ナターリアとその夫だけだ。つまり君は我が伯爵家の後継者としての権利を、自ら放棄したのだよ」

「そんな!なぜナターリアでなければならないのです!?エリスだって同じ伯爵令嬢ではないですか!?」

父はもう一度深い溜息を吐くと、相手を射抜く様な鋭い眼差しで、婚約者であったヘルベルトを睨んだ。


「君はかなり勘違いをしている様だね。君は学生時代に、一つでもナターリアに勝てた教科があるのか?」

「い、いえ‥」

「エリスについても同じ事。同じ娘でも、エリスは美容や享楽に耽ってばかりで、私やナターリアから何一つ学ぼうとはしなかったのだからね。末っ子だからと甘やかしては来たが、統治者として間違った判断は下さないつもりだよ。私が言っている意味は分かるね?君がエリスと結婚したいと言うなら、勝手にすればいい。だが、シュミット伯爵家はナターリアの物だ」

「そ、そんな‥!」

ハッキリと父に拒絶されたヘルベルトは、真っ青な顔で呆然としている。

するとさっきまで弱々しく泣いていた妹が、急に態度を変えて、強い口調で父に訴えた。


「どうしてお父様!?どうしてお姉様にだけ譲るなんて言うの?私だってお父様の娘だわ!私には何も与えてくれないと言うの?」

ハラハラと涙を零しながら、キッと父を睨み付ける妹に、父は呆れた様な顔をして額を抑えた。

「本当にお前は分かっていないな。お前は姉から婚約者を奪ったのだぞ。その上まだ何かを欲しいと言うのか?」

「だって、お父様はまるで、私がお姉様に劣っている様な言い方をするんですもの!私だってやれば出来るわ!」

「ほう?そこまで言うなら考えてやらん事もない。お前とヘルベルト君に一度だけチャンスを与えてやろう」

それを聞いたヘルベルトは、気を取り直して父に問いかけた。


「チャンスですか!?それは一体どの様な事なのでしょうか?」

鋭い眼差しを変えずに、父はその問いに答えた。

「今から1年間、王都にあるシュミット商会を任せよう。そこで今以上の利益を出す事が出来たのならば、私も考えを変えるかもしれん。但し、私からの支援は、一切受けられないのが条件だが。それでもやってみるかね?」

「はい!もちろんです!必ず2人で成功させてみせます!」

「ならば今すぐここを発つ準備をしたまえ。商会には手紙を送っておく」

「はい!それでは荷物を纏めて参ります。エリス、迎えに来るから君も準備をしておいておくれ。君と2人ならきっと上手くいく。僕を信じて着いてきてくれるかい?」

妹は父に向けた顔とは違った、弱々しい女の顔でヘルベルトの手を握って頷いた。

それをうっとりとした顔で見つめるヘルベルト。

私には一度も見せた事のない、愛する者を見つめる顔を見て、冷静になってきた頭の中で、妙に辛辣な言葉が浮かぶ。


頭の中がお花畑とは、こういう事を言うのだわ。


ふと視線を感じてその方向を見れば、勝ち誇った顔の妹が視線の先にいる。

その顔は何度も見てきた、見覚えのある妹の顔。

沸々と湧き上がる怒りを抑えて、私は無言で自室に戻った。

とにかく1人になりたい。

悔しさと情けなさでぐちゃぐちゃになった私の顔を、絶対に妹だけには見せたくなかったから。


妹は昔から私の物を欲しがった。

両親が同じ物を買い与えると、わざわざそれを壊してまで、私の物を奪うのだ。

そして必ず同じ事を言う。

「お姉様は姉なんだから、妹に譲るのが当然でしょ?お姉様はその為に存在しているんですもの。美しい私と違って不器量なお姉様は、そのくらいしか役に立たないんだから」

呆れた自論を本気でそう信じて疑わない妹には、どんなに言って聞かせても聞き入れる事はしなかった。

でも、まさか私の婚約者まで奪うだなんて‥!


ヘルベルトと出会ったのは、高等学院に入学した時だ。

この国では女性が後を継ぐ事を許されていない。

だから長女である私は、幼い頃より婿養子を迎える事を義務付けられていた。

昔から勉強だけは誰にも負けなかった私は、高等学院でも優秀な成績を収め、将来夫となる人の力になれる様、毎日必死に努力していた。

そんな私が唯一敵わなかったのは、ミュラー子爵家の次男、アダム・ミュラーだ。

彼は何をやらせても器用にこなし、どんなに私が頑張っても、涼しい顔で首席を維持して、結局卒業まで一度も勝つ事が出来なかった相手だ。

そして彼は非常に魅力的で、彼目当ての女学生がわざわざ他校から校門前で待ち伏せるほど、彼の人気は高かった。

しかし私にとってはライバル以外の何者でもなく、事あるごとに反発してきたのだが、誰もがアダムを推す中で、ヘルベルトだけはいつも私を応援してくれたのだ。

そんな彼の優しさに惹かれて、彼から婚約の申し込みがあった時は、どれ程嬉しく思った事か。

今となってはあの優しさも、全ては打算的な考えの上に作られた物だと、さっきの彼の言葉から思い知る。

ヘルベルトは特別成績がいい訳でもなく、優れた容姿を持つ訳でもない、どこにでもいる普通の男性だ。

それに男爵家の次男であった事から、婿養子として迎えるには最適な相手でもあった。

優しく穏やかで少々気の弱い彼となら、きっと上手くやっていけると、そう思っていたけれど、彼にあるのは野心だけだった様だ。

彼の目的は最初から私ではなく、シュミット伯爵家だったのだから。


「どのみちこのシュミット伯爵家には、婿養子として入る予定でした。ですから相手がエリスに変わっても、問題ないのではないでしょうか?」


まさかこんな事を言う人だとは思わなかった。

二年前、私達の婚約披露パーティーで、アダムに言われた言葉が蘇る。


「ヘルベルトを選ぶなんて、君は本当に見る目がないな」


そうだ、私は本当に見る目がない。

結局こんな事までアダムには勝てないのだ。

悔しさと情けなさで溢れる涙を一人で拭い、誰にも抱きしめて貰えない体を両腕で強く抱きしめた。


読んで頂いてありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ