じゃりゅうおうのおしごと
「いったい何が起きた!?」
「地崩れがあるかもれぬ。一旦退け! 退け!」
突然の爆発に泡を食った参謀たちが周囲に向かって叫ぶ。
だが、
「勝手な指示を出すな。馬鹿者!」
ヴルムトは勝手な命令を出した男を今度こそ殴りつけた。
軍が陣を敷いているのは山の麓ではあるが、着陣した際にその程度のことは勘案済み。
すぐさま地崩れに巻き込まれるということはないはずだ。
ならば。
「このまま維持でよい。せいぜい獣人たちが混乱に乗じて逃げようとしただけだ!」
この数の軍隊に対し、獣人たちの戦力はあまりにもささやかだ。立ち込める土煙に乗じて逃げると考えるのが自然だろう。
あるいは奪ったという火砲を暴発でもさせたか。
ともあれ、先ほどまでののんびりとしたムードは消えうせ、軍全体に緊張感が走る。息を呑んでじっと土煙が晴れるのを待つ。
そうして、どれだけ待っただろうか。土煙がおさまった山の上から、
「人が……降りてくる?」
狭い山道を上から歩いてきたのは一人の少女だった。
獣人ではなく、竜人と呼ばれる帝国の半分を占める人種だ。
だがいったいどこから?
ふもとにある村に聞いたところでは、今日は山に登った者は獣人たちのほかにいないということだったが。
やがて少女は大群の見つめるなか、まるで王者のように堂々と、ヴルムトのいる本陣まで歩いてくると、「くつくつくつ」と笑った。
「……我を眠りから覚ましたのは貴様らか」
その声を聞いて、ひぃっと誰かが叫んだ。
かつて、神話の時代に伝え聞く超常の存在は、その声だけで人を殺すことができたという。
少女の声に含まれた『圧』には、臓の腑を握りつぶして止めてしまうのではないかと思うほどの恐怖があった。
「我が名は邪竜王ギヨメルゼート。深き眠りからこの時代に舞い降りたもの……」
目の前にいるのは15歳くらいの可憐な少女。
普段であれば一笑に付したことだろう。だが、声を聞いただけでもわかる。こいつは――化け物だ!
「慌てるな! 槍を構えろ! 戦うのだ!」
命令を発したのはレアードだった。
もっとも早く我に返った叩き上げの士官の命令に、何人かの騎士がハッとして火炎槍を邪竜王に向けた。
そうだ。いまは1000年前ではない。我々には知性という名の武器があるのだ。
「なんだその玩具は?」
火炎槍を見て、不思議そうに首をかしげる邪竜王にヴルムトは勝利を確信した。
化物とはいえ、しょせんは過去の異物! 無防備に喰らえば生きておれるものなどおらぬ!
「撃てぃっ!」
ドン! と言う音とともに、岩をも砕く火球が発射される。
燃え盛る火球の数は――50!
ズドォォォォン!!
「やった!」
ヴルムトたちは確信し、歓声を上げた。
間違いなく邪竜王に直撃した。即死だ。現代最強の英雄であっても生きてはおれまい。
だが、
「くくく、当代の若者は玩具遊びが好きだとみえる」
「む、無傷だと!?」
なんということだろう。
煙の晴れた奥から現れたのは無傷の邪竜王。しかも着ている服にすら焦げ目ひとつついておらぬではないか!
「陣を組め! 攻城魔法を放つのだ!」
ヴルムトの命令にすばやく軍が動く。
火炎槍の威力は束ねてこそ発揮される。
100人が魔力を合力させれば威力は1000倍に。1000人でれば万倍にもなるのだ。
かつて帝国兵士1万で敵国の城に放った際には、炎の舌が敵城を舐め尽くしたという。
当時の皇帝ですら、あまりにも酷い光景を前に、使用を禁止したほどの威力である。
邪竜王のほうはというと、兵士たちが陣を組むのをニヤニヤと笑いながら眺めていた。
何が面白いというのか。
ならば存分にその顔に正義の浄炎を食らわしてやる!
「じゅ、準備が整いました。ヴルムト様!」
「よし、撃てぇぇぇぇい!!!」
それはまるで太陽の輝きであった。
500の火炎槍が放った炎は空中で一つの火球となり、邪竜王を焼き尽くさんと牙を向く。
兵士たちはそのあまりの眩さに顔をそむけ、それゆえに邪竜王が滅殺されることを、今度こそ確信した。
そして、
「やはり児戯だな」
またしても、その声に絶望した。
「ああ、そんな……」
太陽を思わせる巨大な火球が小さくなっていく。
邪竜王の手でコロコロと弄ばれ、圧縮されていく。
「だが、凡夫にしては頑張ったと誉めてやろう。
パクっとな。ふむ、うまい」
要塞すら消し飛ばすだけの熱量を飴玉の大きさに圧縮した邪竜王は、それを無造作に口の中に放り込み、飲み込む。
ヴルムトらがその光景に絶望に顔を歪めているのを見ると、満足そうににんまりと笑みを浮かべた。
そして、ゆっくりと、弱者をなぶるような動きでこちらへと歩いてくる。
「さて、この魔法を生み出したそなたら本人であれば、もっと美味なのであろうな? ああ、そう怯えるでない。せめて苦痛なく食ってやる故に」
「く、くるなっ!」
ヴルムトは腰砕けになりながらも剣を抜――
「つまらぬナマクラだな。まずい」
なんということだろう。
ヴルムトの愛剣――近世の名工の傑作である刃は、少女が触れただけでへし折られ、バリバリバリとその口の中に咀嚼されてしまった。
「化け物め!」
「その化け物に殺されるのだ。貴様らは」
ヴルムト配下の騎士たちは金縛りにあったように動けない。
邪竜王の指がヴルムトの頬を撫でた。
もうだめだ! とヴルムトが死を覚悟したそのときだった。
「待てぇぇぃっ!!」
「な、何者だ!?」
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。我は勇者――勇者アゼルパインだ! とうっ!」
どげしっ。
唐突に邪竜王の顔を蹴りつけて現れたのは、一人の青年であった。
いつものヴルムトなら狂人が現れたと笑っただろう。
「おお、勇者様!」
だが、いまのヴルムトには少年の姿は神よりも尊く見えた。いまなら靴を舐めろと言われても喜んで舐めるだろう!
邪竜王が実在したのだ。ならば勇者がいて当たり前ではないか!
蹴られた邪竜王のほうはといえば、
「い……いま、本気で余の顔を蹴りおったな?」
蹴られた箇所を押さえてわなわなとふるえていた。そんなに効いたのだろうか?
「さっきの仕返しだ、バカ。ぷーくすくす。完全に痕になってやんの!」
「――殺スっ!!」
カッ ずどぉぉぉん!
邪竜王の口から発射された熱光線がヴルムトたちの目を眩ませた。
そばにいただけで肌が焼けるほどの熱量である。
いや、それよりも。
「あ、ああ……」
ヴルムトたちは見てしまった。その熱光線が邪竜王の目の前にいた少年に直撃したのを。
死んだ。間違いなく。ヴルムトたちはそう思ったが、
「何すんだ、てめえ!」
「生きてる!?」
多少焦げてはいるものの、ツカツカと邪竜王に詰め寄った青年は、怒り心頭の表情で指をつきつけた。
「おい! いまの! オレじゃなかったら毛根が焼け死んでるぞ! ハゲたらどうすんだ!?」
「うるさい、黙れ! ハゲろ! 貴様などハゲ死んでしまえ!」
カッ! ちゅどぉぉぉぉん!
「ええい。避けるな!」
「やーいやーい。そんなのに当たるかバーカ! へいへい、ちんちくりーん! もみもみ」
「ぐぬぬ! どこを触っておる! エッチ! 変態! すっとこどっこい!」
ぎゃーぎゃーわーわー ずがーんちゅどーん。
目もくらむような爆炎が巻き起こり、山肌を崩していく。
「こ、これが勇者と邪竜王の戦い……」
「なんと壮大なのだ……」
それはまさしくこの世の終わりを彷彿とさせるような光景に見えた。