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恐るべきトラップ

「ひゃあああ! どうするのこれぇっ!?」


 魔王パルパは混乱の極みにあった。

 こんなときに頼りになるはずの四天王たちは根こそぎ留守。


 いや、彼らが悪いわけではない。パルパが結界を張らせるために周囲の塔に向かわせてしまったのだ。いまから戻ってこいと言っても、彼らが魔王城に戻ってくるのは半日はかかるであろう。


「魔王様、落ち着いてください!」


 いま、パルパがいるのは魔王城の謁見の間。

 叩き起こした留守居の魔族たちを招集し、緊急の会議を開いていた。


 とはいえ、武闘派たちは周囲の塔に防衛のために送ってしまったため、ここにいる者たちは戦闘向きとは言えない参謀や事務方の魔族たちのみである。

 その魔族たちすらも、パルパにいきなり叩き落されて頭がまだ動き出していないようだった。

 

 そのことがさらにパルパを精神不安定に陥れていた。


 その半狂乱の姿を見て、魔王軍団の参謀長である『海魔(かいま)の白将』フリューゲルはにやりと笑った。


(これはチャンスだ)


 これほど無様に慌てふためく魔王を見て、失望しない魔族がいようか。いや、いまい。


 ――フリューゲルには一つの野望がある。

 それは魔族の中における、海魔(かいま)という存在の立ち位置に大きく関わっている。


 海魔というのはいわゆるイカの頭と、ヒトデのような体をもっており、非常に醜い。

 それゆえに海魔の歴史とは常に迫害との戦いの歴史であった。

 

 海魔の争いの相手は人魚やセイレーンなど、見た目の麗しい魔族である。

 彼らはその美しさによって地上の者を海中の争いに巻き込み、海魔は常に劣勢の中で戦ってきたのだった。


 大魔王が魔族の地を統一してからはさらにひどくなった。

 直接的な戦闘はなくなったものの色香で惑わされた者たちは、調停の場で人魚やセイレーンたちに有利な判決を下しはじめたのである。

 

 地上の者たちの目線で『美しく可愛い生物』が優先的に保護されるのはわかる。

 感情では理解したくはない。が、しかし悲しいかな。世界とはそういうものだと、海魔たちはみな理解している。

 

(だからといって、我々が座して滅びを待つ義理はないのだ)


 それが海魔たちの共通理解でもあった。

 海魔の最大勢力を誇る偉大なる『海魔の白将』と呼ばれたフリューゲルが、当時まだ弱小で泡沫の武将だったパルパと共にこの地に赴いたのは伊達や酔狂ではない。

 まだどの魔族も勢力を伸ばしておらぬ南の海域に勢力圏を築くためなのだ。



 魔王としてパルパはよくやっているとは思う。

 ともすれば争い合う魔族たちをとりまとめ、常に公平な裁きをくだし、強大な力に酔うこともなく己を厳しく戒めている。

 

 公正明大な賢王。

 少なくともフリューゲルが彼女自身から蔑みの視線を向けられたことはない。良き(あるじ)であると思う。


 だが同時にこうも思うのだ。

 

(海から地上を支配してならぬという法もあるまい)


 ――根本的に、海魔たちは地上の者たちとの約束を、心の底から信用しきるということはない。セイレーンや人魚、およびその色香にたぶらかされた連中による裏切りの歴史が海魔たちをそうさせたのだ。


 隙あらばパルパをレームダック(操り人形)としてフリューゲルが権力を握る。それがフリューゲルが参謀長としてここにいる最大の理由なのだ。


 フリューゲルは肥大化した己の脳を触りながら、慌てるパルパに優しく語りかける。


「魔王様、ご安心くだされ。こういうこともあろうかと、魔王城にはトラップが設置されているではありませんか。

 ほっほっほ。先ほどすべての罠を起動しておきましたぞ」


 フリューゲルの並外れた知性を示すがごとく、脳の一部が肥大しドクンドクンと脈打つ。

 異形の集まりのなかでも一際(ひときわ)醜い魔族。それがフリューゲルに対する周囲の評価である。その風評のおかげで、何度四天王どもに意見を軽んじられてきたことか。

 だがしかし、邪魔者であるここには四天王はおらず、ここにいるのはフリューゲルの新派(しんぱ)である海魔たちのみ。


 まさに千載一遇の好機。ここで侵入者を撃退することに功があれば、魔王どころか大魔王に対してすら発言権を得られるであろう。


「と、トラップ?」


 パルパときたら、まるでその存在を忘れていたかのような態度で目を丸くした。

 やれやれ。この魔王は侵入者に対してどれほど怯えているのか。


 歴戦の戦士たるフリューゲルはパルパの評価を下げざるを得なかった。


(しょせんは森のなかで引きこもっていたダークエルフの小娘か)

 

 ……いや、なればこそ好都合か。


「どれ、そろそろにトラップかかったころでしょう。見てみますかな」


 言って、フリューゲルは水晶玉にてエントランスの映像を映し出した。

 水晶玉からあふれ出た光が宙に映像を結ぶ。

 

 そこに映し出されていたのは――


『ギ、ギヨ殿、無事でございますか!?』


 エントランスの第一の罠『トゲトゲ吊天井』に圧殺されたギヨメルゼートであった。


「おお! ひっかかっているではないか!」


 ギヨメルゼートの死を確信したパルパの顔が歓喜の色に染まる。

 鋼鉄製の棘の鋭さと重量は、魔王パルパ――いや、大魔王様ほどの猛者であっても死は免れぬ。


 ――が、


『ふははは! クエストというのはなかなかスリリングであるな。だが、脆弱(ぜいじゃく)脆弱(ぜいじゃく)ぅ!』


 押しつぶされたはずのギヨメルゼートの声が聞こえたと思ったら、必殺のトゲトゲ吊天井が粉砕される。

 その下から現れたのは当たり前のように無傷のギヨメルゼートである。

 

 邪竜王がパッパッと余裕の表情でスカートのほこりを払ったところで、


『玄関あけて5秒でトラップくらってやんの! あんな単純な罠にひっかかるとか単細胞すぎない? ぷーくすくす』


 アゼルパインが指をさして大爆笑し、ギヨメルゼートの額にびきぃっと青筋が立った。

 もしかすると、吊天井よりも遥かにダメージが大きいのではなかろうか。精神的な意味で。


『……ふっ。あの程度の罠が余に危害を成すことなどできぬと見切ったうえでのことよ! おい、いいか、これを見ている試験官! いまのはわざとひっかかったのだからな!? ほんとだぞ!?』


 言って、こちらにビシィっと指をさしてくる。

 ……一応、覗き見ているのが気づかれぬよう何重にも隠密の魔法をかけてあるのだが。


『よいか。本当だぞ! 絶対に罠だと気づいていたからな!? ほんとのほんとだぞ!?』


 ギヨメルゼートがしつこく念を押し、その背後から、


『おおっと! 手が滑った』


 どーん、とその背中を押したのは他でもないアゼルパイン。

 押された少女は「おっと」とよろめいて、


『ぎゃーーー!!』


 パカっと開いた落とし穴に落ちて行った。

 そして、数秒後には這い戻ってきてアゼルパインに指を突きつける。


『アゼェェル!!! 貴様、どういうつもりだ!?』


『いまのってフリだったんじゃないのか!?』


『違うわい! くそ、かくなるうえは……おおっと、余の方も手が滑ったぁ!』


 言って、ギヨメルゼートがどーんと突き飛ばした先は黄金のシャンデリアの真下。

 直後、”ギヨメルゼートが放った魔力光線によって”シャンデリアは天井との接合部を破壊され、がっしゃーんとけたたましい音とともに落下。アゼルパインを押しつぶす。


『おお。なんということであろう。まさかそのような場所にトラップがあるとは思いもせなんだわ! すまんすまん。許せ』


『やったな、この野郎!』


 シャンデリアを食らっても無傷だったアゼルパインが足元にあった罠のスイッチをがちゃんと踏み込む。

 すぐさま矢の罠(アロートラップ)が起動し、アゼルパインに向かってまっすぐに矢が飛んできて、

 

『おおっと! 流れ弾がそっちにいくぞ!!』


 キャッチ&流れるような自然な動きでギヨメルゼートに向かって全力で投擲。ぺちーんと邪竜王の額にヒット。


『……』


『……』


 にっこり。と水晶玉の向こうのアゼルパインとギヨメルゼートが微笑みを浮かべた。


『アゼェェェル! 貴様ぁ! ぶち殺す!』


『こいや、おらぁぁぁっ!!』


 ここにエントランスの装飾品をトラップにした争いが勃発した。

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