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幕間:暁の魔王

幽霊城が出現した日を100年前→50年前に訂正しております。

「魔王様、そろそろですな」


「ふっ。シュラクのやつめ、まだ連絡のひとつも寄越さぬとは……それほど苦戦しておるのかな?」


 女魔王パルパは、四天王のひとりであるサイクロプスの言葉に笑って返した。

 人間どもが幽霊城と呼んでいる城の中のことである。

 

 パルパたちがいるのはその謁見の間。

 主だった配下たちが(こうべ)を垂れる中、パルパは機嫌よく笑みを浮かべた。

 

(長かった。ここまで長かったぞ。しかし、ついに大魔王様の期待に応えることができるのだ)


 北の大魔王ジバトレ。それがパルパの(あるじ)の名前だ。

 その(あるじ)から、南の豊かな大地を侵略するように言われたのはちょうど50年前。



 パルパは闇妖精(ダークエルフ)と呼ばれる魔法の扱いに長けた魔族の出身である。

 ダークエルフは北の大地、ヤンの森と呼ばれる大樹海の中にいくつかの部族に分かれて暮らしており、パルパの部族はそのなかでも特に過酷な崖に住んでいた。


 そのときのパルパははっきりと腐っていた。

 ダークエルフのなかでも数百年に一人の天才。頭3つ以上抜きん出た実力を持ちながら、女であることを理由に何の役割も与えられず、飼い殺しにされていたためだ。


 大魔王ジバトレがヤンの森に攻め込んできたのは、ちょうどそんなある日。

 パルパすらも上回る圧倒的な力で、またたく間にダークエルフの全ての部族を(くだ)したのである。


 大魔王の動きは早かった。

 それまでいがみ合っていたダークエルフたちを飴と鞭で束ねあげると、一つの国家としての政治制度を整えさせたのである。


 パルパがその大魔王の幕閣に加わったのは、新たに建国させられたダークエルフの王の名代として、であった。


(……ジバトレ様)


 目を瞑ると思い出すのは、50年前の在りし日の光景である。



 ――いつものようにしんしんと雪の降る日であった。

 ダークエルフの国の建国も落ち着いたある日、パルパは大魔王の居城の、その庭を散策していたジバトレに尋ねた。


「ジバトレ様はなにゆえ魔族をまとめあげようとなされるのですか」


 パルパの倍の背丈はある偉丈夫である。

 鋼のように鍛え上げられた肉体。大魔王の名に相応しい卓越した魔力。

 その目は未来を見通すかと思うほどに赫赫(かっかく)たる光に溢れ、獅子を思わせる威容は見るだけでほとんどの魔族たちは自然と頭を垂れさせる。


 まさに当世一の英雄。偉大なる大魔王。

 それがジバトレという魔族であった。


 だが、その大魔王は憂いに満ちた表情でパルパに向き合った。


「パルパよ。魔族とはなんだ」


「それは……魔族の存在理由ということですか?」

 

 ジバトレは「見よ、この大地を」と言い、雪で真っ白になった魔族たちの『世界』を指し示した。


「我ら魔族はこの不毛な大地のなかで闘争本能のままに争って生きてきた。

 蟲毒のように殺し合い、種族としての強靭さを高めてきた。

 だがな、パルパよ。我らが生まれてきた理由は本当にそんなものなのであろうか」


「考えたこともありませぬ。

 我らダークエルフは祖先から伝わる掟を守ることが最重要とされておりますので」


「うむ。ダークエルフたちの掟は全て、全部族のものに目を通した。

 子孫たちがこの『世界』で生き残るために必死で考えられたのだろう。まさに叡智と呼ぶにふさわしい素晴らしいものであった」


「……お褒めに預かり幸いでございます」


 まさか「あのような掟は嫌いです」とも言えずパルパは失望を感じながら頭を垂れた。

 大魔王様もまた、あのような旧守然とした掟を支持するのか、と。

 だが、ジバトレはそんなパルパの思いなどお見通しであったように軽く首を横に振った。


「だがな、パルパよ。

 伝統とは己が身を守るためだけにあるものなのかな? いまのダークエルフたちは、掟を作った祖霊たちほどの情熱をもって、子孫と相対しておるか」


「ジバトレ様は我らが子々孫々に対して無責任であるとおっしゃるのですか」


「伝統とは。掟とは。

 それが思案された歴史に思いを馳せ、情熱を腹の内に飲み込み、子々孫々の栄曜(えいよう)を煌々と輝かせるためにあるのではないか。我はそう思うのだ」


 パルパはハッとした。

 女であるからという理由で腐っていた彼女は、掟を恨むばかりでそのようなことに思いを馳せたことなどなかったからだ。


 先祖の情熱という言葉を聞いて、部族の開祖たちの思いに改めて思いを馳せると、


(おお! わたしはなんというつまらぬ目先の事柄に心を奪われていたのだろう!!)


 掟が定められた当時は、まだ種としてのダークエルフは貧弱で、強大な魔獣が通るだけで息を殺して過ぎ去るのを待つだけだったという。

 その当時の先祖たちは子孫が生き残るために必死に思案したに違いなかった。


「……故に大魔王様はダークエルフの国家を建設なさったのですね?」


 だがいまはどうだ。

 ダークエルフは魔道技術の研鑽によって強大な魔獣に怯えることもなくなった。

 族長たちは口を揃えて言う。これが進歩であると。だからこれからも掟を守っておればよいと。

 

 いや、正しくは言っていた(・・・・・)、だ。

 大魔王に統一国家の設立を命ぜられたダークエルフたちは、それまで種族ごとにバラバラで(いさか)いの火種であった掟を統一、改定し、新たな掟――法を生み出したのである。


「ふっ。パルパは森に帰っておらぬゆえ知らぬだろうが、いまのダークエルフはずいぶんと生活が変わっておるぞ。春を告げる雪解け水のように。

 たまには帰って親に顔を見せてやるがいい」


 言われて、パルパは己の胸のうちにあった、先祖や種族に対する冷えた何かが氷解していくのを感じた。

 おお、これが我が種族に対する誇り、あるいはその一員たる自負であるか。


 この日、パルパは初めて『ダークエルフのパルパ』という自己を発見したのである。


「大魔王様は、我ら魔族を光ある大地にお導こうとされておられるのですか」


「そのような大義あるものではない。

 ……我は阿呆(あほう)なのだ。この世に争いがあるならばそのすべてを我が武威をもって制したいと思う阿呆なのだ。

 笑えパルパ。皆に大魔王と讃えられる男は夢見がちなのだと。恋い焦がれる乙女のように」


「誰が笑いましょうか!

 ならば、わたくしにお命じくだされ!

 このダークエルフのパルパ。我が命、尽き果てるとも貴方様の夢のために殉じまする!」



 ――こうして当時、大魔王配下の16将の末端であったパルパに一つの命令がくだされる。


 将来、大魔王の軍勢が南下する際のために、ここに橋頭堡を築き上げる。

 それが魔王の称号を授かったパルパの情熱の行き先なのであった。


「まるで恋い焦がれる乙女のようですね、パルパ様。

 ジバトレ様のことを思い出していらっしゃるので?」


「サリュラには何でもお見通しだな。

 非才の身にこのような大役をお任せくださったのだ。忠義を尽くしても尽くしきれぬよ」


 北の大地は男性社会である。

 16将のなかに女性――パルパがいることに不満を持つ者もいた。

 だが、ジバトレ様はパルパの中に熱く燃える情熱を認めてくださったのだ。

 死してなお返しきれぬ恩がこの胸には秘められているのである。


 この城自体はジバトレによって生み出されたものではある。が、魔族の将を登用し、これだけの軍勢を作り上げたのはパルパの才覚である。


(なに、南の人間共が相手であれば我らだけで制圧可能であろう)


 幽霊城が建つ大地にあった国を滅ぼしたのは、戦力とも言えぬ弱き魔獣たち。

 正直なところを言わせてもらえば拍子抜けであった。世界の南はなんと脆弱であろうかと。


 だが、パルパたちは慎重であった。

 この幽霊城を生み出す儀式は100年に一度しか使えぬ故に、失うわけにはいかなかったのだ。


 だが、いま。

 北ではついに大魔王様が『魔族の世界』を統一したという。

 それはすなわち、パルパに与えられた侵略の尖兵という役割を果たすときがやってきたということなのであった。


(見ていてくだされ、大魔王様! あなた様のためなら、この命すらも惜しくはありませぬ!)


 パルパは心持ちを新たに、侵略を成功させる決意を固めた。


「幽霊城は今日、魔王城に生まれ変わるのだ!

 さあ、サリュラ! 戦線がどうなっているか。派遣している使い魔からの映像を見せよ!」


「ははぁっ!」


 四天王のひとり、サキュバスのサリュラが一礼をして、使い魔の視界を映し出すための魔法を唱えると、謁見の間の中央に映像が投射される。

 

(さて、どのような惨状になっておることか)


 なにせ、いままで沈黙をしていたなかの急襲である。

 防衛線を一気に抜いて、帝国を混乱の渦に陥れることがパルパの目的であった。

 

「……む?」


 そこに見えるのは、確かに帝国の北の防衛線であった。

 しかし、映像のなかでは兵士たちが暇そうにあくびなんぞをしており、戦闘中には見えぬ。


 おかしい。

 遠目に魔獣の軍勢が見えたなら、暢気にもしてられぬはずなのに。


「まったく損害が出ていないではないか。どういうことだ?」


「シュラクのやつめ、さてはどこかで遊んでおるのでは?」

 

 四天王の面々が口ぐちに言う。

 彼らはパルパが北の大地でスカウトした魔族たちである。

 その筆頭は今回、初陣の指揮をとっているシュラクであるが、このような南の果てについてくる者たちである。

 隙あらば己こそがという野心を持った者たちでもあった。

 

「お前たち、下種(げす)なことを勘ぐるのはよせ。初陣である。何か問題が起きたのかもしれぬ。

 サリュラ、シュラクにつけた使い魔の映像に切り替えよ」


「はっ!」


 とはいえ、他の者の目もある手前、せめて叱咤くらいはしてやらねばならぬだろう。

 そう思いながら目の前の映像が切り替えるのを多少待って――

 

「生意気言ってすいませんでしたぁぁぁっ!」


「…………。は?」


 果たして。

 彼らが見たのは、四天王最強の魔族が土下座をする背中であった。

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