幕間:帝国の栄光
「父上。フルシェに謀反の可能性ありとの報告が」
「ジフムート、休め。貴様、疲れておるのだ」
執務室で嫡男のジフムートから報告を受けたジオル帝国皇帝オルバルトの第一声はそんなものだった。
妾腹の八番姫フルシェ・シャペルは、母親がジフムートの乳母であるため熱心なジフムート派である。
懐刀と言ってもいい。
今回、ヴルムト・ミレチェンカの捜索にフルシェを向かわせたのは、ヴルムトに対抗できる将が少ないということもあるが、皇族に剣を向けることの可能性がある任務に、信頼できぬ者を向かわせることができなかったため、という面もある。
そんなフルシェがジフムートを裏切る? ありえない。
ジフムートが帝位についた際には、『世界』の西方面を統括する辺境伯となり、大いに武威を誇るであろうと期待されていた娘である。
それだけではない。
「だってお前……戦艦だぞ?」
確かにフルシェに与えた戦力――魔道戦艦ヤールウァントは帝国でも最強の武器である。
だが、魔道戦艦は燃費が悪い。
一度戦えば補給を受けねばならない。作戦行動中は常に魔力を放出するため兵士の疲労は激しく、休ませてやらねばならない。
つまり、帝国の技術と財力。兵力なしではろくに動かせぬものなのだ。
どこかの国に手柄として持ち帰ったとして、戦力として整備される前に帝国がその国を攻め滅ぼすことだろう。
フルシェはそんなことすら思いつかぬ愚物ではないと思っていたが。
「ええ、戦艦です。幽霊城攻略へ向かっていた帝国四天王筆頭フレイドの軍に突如として襲い掛かった、と」
四天王筆頭フレイド・トトル。
オルバルトの覇権の始まりから仕える最古参の将にして、最強の軍を率いる男である。
兵士たちは派手な真っ赤に染めた鎧を身にまとい、『帝国の赤備え』『帝国の赤鬼』とも呼ばれる。
戦い方は勇猛果敢。その武威は周辺諸国に響き渡り、小国であればそれだけで降伏するものが後を絶たぬ。
「あり得ぬ。何かの間違いではないのか?」
「……報告によると行方不明になっていたヴルムト・ミレチェンカを艦橋に入れていたという話です」
「一番仲の悪かったあの2人がか?!」
「いえ、あの2人は昔はよく遊んでおりました。帝国の武闘大会で、互いの派閥を代表して戦うようになってからは冷戦状態にはなっておりましたが」
「……そうか」
なんということだろう。
あの2人には仲良くなってほしいとは願っていたが、まさか揃って帝国に牙を剥くとは。
「チェンバレンは知っているのか? やつが計画したにはあまりにも強硬すぎる」
「それが……やつもまた寝耳に水だったようです」
「なに?」
だとすれば、軍部の暴走か?
あるいは他国の援助を受けて帝国の武の2柱に野心が芽生えた? ありえん。ありえんが……それが実際に起こっているのだとすれば、それはまさしく帝国の危機である。
わからない。
オルバルトは深くため息をついた。
もはや、世代が違うということなのだろう。帝国は巨大になりすぎたのだ。
オルバルトの知略とはしょせん小国の王から成り上がった程度のものなのである。
たまたま生まれながらにして常人離れした武威を誇り、さらには大国同士が自滅するという時勢、有望な将に恵まれたというそれだけの皇帝なのである。
もしもいま、オルバルトが現役であったならば、皇帝みずからの親征によって二人を誅滅していただろう。
だが、いまや己を威厳ある皇帝たらしめていた筋肉は脾肉に変わってしまった。
そのことを自覚し、オルバルトはため息をついた。
「私は老いた。何も考えることができぬ。ジフムートよ。今日からこの国はおぬしの好きなようにせよ」
老害。
オルバルトは自らをそう断じた。これからの治世と謀略の時代にはオルバルトのような単純な男のいる場所はないのだろう。
そういう意味ではジフムートはオルバルトと正反対の男である。
治世の王と呼ぶにふさわしい知性の持ち主であり、民に対する慈愛にあふれた民政家でもある。
その証拠に、戦に明け暮れて税を搾り取るオルバルトよりも、ジフムートを皇帝に望む声も大きい。
おそらく、ジフムートもそういったことには気づいていたのだろう。
だが、親に禅譲を迫るようなことのできぬ情の深き男であったのだ。
「はっ。父上。光栄でございます」
ジフムートは一礼をし、オルバルトの顔を抱きしめてくれた。
ここでようやくオルバルトは己の顔に流れる涙に気付いた。荷をすべて降ろしての安堵か、それとも、ジフムートを皇帝という名の針のムシロにに送り込む罪悪感か。
皇帝には涙がない。巷間ではそう噂されてきた鬼の皇帝が涙を流していたのだ。
「おお、ジフムートよ。朕は涙を流しておるのか」
「何もおっしゃるな。皇帝陛下ではなく、ただの『我が父』でございまする」
帝位を辞したからこその親子の情がそこにあった。
★☆
この3日後。正式にジフムートに帝位が禅譲されることが布告される。
帝都の民は戦に明け暮れた粗暴な王がいなくなったことを喜び、新たな治世に期待に胸を膨らませた。
ジフムートが即位したと聞いて、隣国の領民たちですらも揃って帝国への従属を、己が地の領主に迫った。
彼らはジフムートの領民から聞かされる豊かな治世に心を奪われていたのである。
民の要望に抗しきれず帝国に従属した領主もいた。祖国に忠義を尽くした結果、領民に討たれた領主もいた。
誰が想像していただろう。民衆にそこまでの力があると。
その驚愕はある種の激震となって、大陸全土の国家を揺り動かした。
味方の派閥はもちろん、敵対していたチェンバレンですらジフムートに服従を申し出た。
さらに一週間後、ジフムートが戴冠の儀を済ませたとき。
「「新皇帝万歳! ジフムート様万歳! 帝国万歳」」
まさしく万雷の拍手。讃えるのは億万の民であった。
その日、まさしく帝国は栄光の中にあり、ジフムート・ジオル――ジオル二世は至高の権力の絶頂にあった。




