試験開始の鐘の音
「お、終わったのか?」
アゼルパインとギヨメルゼートの戦いは唐突に終了した。
周囲に大いなる傷痕を残して。
ギルドマスターであるオレアンは空を仰いでから周囲を見た。
まず目に入ったのは特Aクラスの冒険者、黒熊のドンファンである。
黒熊のドンファンはその見た目とは裏腹に慎重な男だ。
一見すると、すぐに激昂する神経質な男そうに見えるが、その知能は狡猾。ときには街ひとつを陥れて良心の呵責もない残虐性も持ち合わせている。
事実、熊という2つ名はその慎重さからつけられたものだ。
彼が『世界』の外で焼いた獣人たちの街の数は30以上。捕えて売り払った獣人奴隷の数は10000を超える。
自身が直々に率いる冒険者団は100人以上であり、末端の協力者を含めると500人を軽く超える。
彼の野望は『世界』の外で新たな王となることであり、そのために虎視眈々と力を溜めていた、新時代の野心の塊であった。
その『黒熊のドンファン』が、
「ぐす、ぐす……」
啜り泣いていた。
彼の持つ盾の名は宝盾『エルドレアン』。
隣国の裏切りから強襲された、ある街を防衛した際、皇帝からの感謝の証として賜った逸品である。
帝国の技術の粋をつくされた宝盾は、盾に埋められた宝玉に固有スキル――何者でも捕えられる光の檻を生み出すことができる逸品で、そのスキルで狩った獣人奴隷の数は数え切れぬ。
そんな、いままで10000の獣人奴隷を売りさばいた極悪非道な男が、
「ぐすん……」
泣き崩れていた。
暴漢たち――アゼルとギヨを捕えようと意気揚々と光の檻を使ったドンファンであったが、あっという間に破られたのである。
むしろ2人にスキルを破った認識があるかどうかすら疑問であった。
さらに、スキルを破られた彼はアゼルに「いいものあるじゃん」と盾を奪われた。
あまつさえ、スキルの術式をいじられて、四角い光の枠――格闘技で使うようなリングを生み出すように変えられた。
だが、彼の泣いている理由はそれよりも非道である。
アゼルのいじったスキルは『使用者を中心』に四角いリングを生み出すスキルであったのだ。
使用者であるドンファンはそのリングの中央に立たされた。
かすれば死ぬような攻撃の応酬のなかに置かれたドンファンは果たしてどんな気分であったろう。
2人のケンカが終わった時、『黒熊のドンファン』の髪はほとんど白髪になっていた。
「ううう……」
被害にあったのは『黄金のエルトシャン』も例外ではない。
装備はもってきてないので安全だろうと思っていたら、ギヨメルゼートに毛髪を引き抜かれて魔法の媒体に使われた。
イケメン冒険者は無残にハゲた。ある意味、一番の被害者である。
しかも念入りなことに、これから生えてくるはずの毛髪の因果すらも媒体にされた。たぶん、彼の頭頂部の毛は二度と生えてくるまい。
前々から女性関係にいい噂のなかった男ではあるが、オレアンは思わず同情してしまった。
その他もろもろ。
いったい被害額がどれだけのものになるのか。オレアンは逃げ出したい気分になった。
しかも、ここまでして死人はゼロなのである。
生命には被害を出さないなんて、なんと器用な連中なんだろう。
というか、こいつらはなぜそういうところにだけ全力を尽くすのか。
「……」
「……」
風が、吹いた。
更地になった冒険者ギルドを、しばし沈黙が支配した。
「ああ。そういえばギルドマスター殿」
最初に動いたのはギヨと呼ばれていた少女。すっきりしたと言わんばかりに笑顔を浮かべながら口を開く。
先ほどまでのケンカはなんだったのか。吹っ飛んだ冒険者ギルドのなか、邪悪の権化は優しくギルドマスターに微笑みかけた。
「は、はい!」
「ところで、そなたの言っておった『試験』とはいったいどのようなものなのであろう?
さっきも言ったが、余は『クエスト』というものが初体験なのである。楽しみにしておるのだ。つまらんものでないことを期待するぞ。
もしも、つまらんものだったら――」
――殺す。
とは言わなかった。が、オレアンの脳裏にははっきりと聞こえた気がした。
「ふふっ。実に楽しみであるのう!」
にこーっと愛らしい笑顔。
だがそれは、まるで網にかかった羽虫を見るような邪悪な笑みに見えた。




