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史上初の戦艦ヒッチハイク

 戦艦が大地を滑るように走っていた。

 海に浮く船と比べると、船底は喫水線より低いところで切りとられたような形をしている。

 その平たい船底には魔道球と呼ばれる推進用の球がびっしりと敷き詰められ、それらが一斉に回転することで前後左右への移動を可能としているのだ。


 その甲板にはハリネズミのように砲台が設置され、それだけでなく舷側からもニョキニョキと生えており、それらが一斉に火を吹けば小さな街など一瞬で塵芥(ちりあくた)になることだろう。


 戦艦が通っているのは『世界』を南北に横断する街道。

 一見、道を潰してしまうのではないか、とも思ってしまうが、魔道球によって重さの軽減が図られている。

 むしろ、通ったあとは凹凸がなくなり、綺麗に整地されているようにすら見えた。


 ――魔道戦艦『ヤールウァント』。

 10年前に初めて人類史上に現れた『それ』は、いまや現代戦においてなくてはならぬ存在になりつつある。


 魔道的なコストこそかかるものの、まさに動く要塞。

 いままでを超越する兵の搬送力。移動速度。防御力。そして大量に備え付けられた砲台による圧倒的な火力は、歩兵を並べて戦うという旧史の戦争を塗り替えた。

 

 このヤールウァントはそのなかでも最新鋭と呼ばれる、ジオル帝国の切り札のひとつである。


 その艦橋、司令室で、


「まったく、兄上にも困ったものだな」


「姫殿下?」


「この時代に、邪竜王などというおとぎ話の世迷言を聞くとは思ってもいなかったぞ」


 フルシェ・シャペル。

 ジオル帝国の八番姫。帝位継承権のない妾腹の姫である。

 だが、その名は周辺諸国にもっとも轟いていると言っても過言ではない。

 『鬼の戦姫』と名高い勇猛な将であり、若くして兵士たちを信服させるほどの艦長でもある。


 ヴルムト・ミレチェンカとその軍が忽然と消えたのは2日前。

 街を襲撃した獣人たちを追い詰めたところまでは記録に残っている。


「ヴルムト殿下の軍に所属していた脱走兵を名乗る者の証言ですな」


 つまり、政治的な亡命、あるいは謀略という可能性を含むのであれば一切信用できぬということだ。

 フルシェは鼻で笑った。


「くだらん。何が邪竜王か。

 そんな迷信を詐術に使うとは……(わらわ)は兄上を過大評価していたのかな?」


 ジフムート派とチェンバレン派の武の中心人物であるフルシェとヴルムトは互いに勲功を争ってきた間柄でもある。

 それこそ模擬戦争では何度も誇りをかけて軍をぶつけ合ったこともある。


「獣人どもの仕業ということは?」


「それこそまさかだな。兄上が裏切ったと考えるよりは楽ではあるが……常に最悪も考えろ」


「最悪……ですか? 邪竜王が本当に復活していた、とか?」


 言ったのは若い士官であった。

 庶民の身分から難しい試験を突破してきた秀才である。

 近代魔道兵器は扱いが難しいので、平民からも英才を広く募集している。彼はその第一期生なのであった。


 フルシェは笑った。

 ここで叱るのは簡単ではあるが、相手はまだ若い。平民出身だというなら、なおさら気を使ってやらねばならぬ。


「ふっ。面白い冗談だ。

 だが、それは兄上と500の騎士たちを相手にするに比べて最悪かな? 妾は1000年前の迷信よりも現代兵器のほうが恐ろしいと考えるが」


「ですが――」


 若い士官がさらに口を開こうとするのを、年配の副官が押し留めた。


「もうしわけございません、殿下。この者はこの付近の出身者なのです」


「よい。いまだ平民の間におとぎ話が流布され、信じられているかよくわかった。

 信仰を頭ごなしに否定すると、かえって民は意固地になるものだ。いかに払拭するか、その方法を考えるのも帝国貴族たる我らの役目ぞ」


「ですが殿下。ヴルムト閣下の元より逃げ出してきた兵士は私の友人なのです。彼が嘘をつくとは……」


 フルシェは若い士官から見えぬよう、軽くため息をついた。


(そのようなつまらん情に惑わされるとはな……)


 不確定な噂をもとに自説にこだわりすぎる者は、ときに大事故をおこすものだ。

 残念ながらこの者の評価は下げざるを得まい。


「まあ、まあ。よいではないですか。この新造艦の試験運転ができると思えば」


 フルシェが不機嫌になったのを見てとった副官がパンっと手を叩いた。

 

「そうだ。そうしましょう。

 せっかくだから邪竜王がいたことにして火力演習でもしようではありませんか。砲弾が高価ということもあって、ここ最近、実弾を撃っておりませんでな」


「ふっ。お前には困ったものだな。すぐに火力を使いたがる。

 いいだろう、許す。砲手に連絡しておけ」


 邪竜王なにするものか。

 例の士官以外はみな楽観的であった。

 ヴルムトの軍勢が襲いかかってきても、相手は歩兵である。この戦艦の前にはひとたまりもあるまい。


 この偉大なる戦艦はそれほどのものなのだ。

 道が整備されている前提ではあるものの、どのような敵がこようとも負けることなどありえない。そう思っていたし、事実いままでそうであった。


 ――そのときまでは。


「姫殿下。進行方向上に人が」


 オペレーターの一人が何かに気付いて、フルシェに声をかける。


「む?」


 言われて前方を見ると、道のど真ん中に一人の少女が立っていた。


 たまにいるのだ。ああいう阿呆が。

 まだ戦艦というものに慣れていないのか、近寄ろうとして轢かれるなんていうのはよくある光景である。


「かまわん。()け」


 一度止まれば加速するのにも燃料が――金がかかるのだ。

 前を塞いでいるのが伯爵くらいであればともかく、たった一人の娘のために止まることなど許されぬ。


「ラジャ!」


 オペレーターは加速するでもなく、減速するでもなく、そのまま進める。

 あと10秒もすれば少女の轢死体ができあがることであろう。


 その様子を思い浮かべ、フルシェは顔をしかめた。


「嫌な仕事であるな。人の轢死体というのはいまだに慣れぬ」


「しかし、殿下。あの娘はいったいどこから来たのでしょう。このあたりには村などなかったはずですが」


 ああ、そういえばそうか。

 減速し、斥候に捕えるように言ってもよかったな。だがもう遅い。

 少女の立っている位置まであと30メートル、20メートル……少女に衝突するかと思った瞬間。


 ――ぴたっと。


「え?」


 衝撃も何もなく、魔道戦艦はその動きを止めた。


 さては、と思い副官がオペレーターに声を荒げる。


「おい、何をやっている。殿下は止まるなとおっしゃったはずだぞ!」


「いえ、何もしておりません!」


「何もやってないわけがあるか!」


「待て、じい」


 いや、ちょっと考えろ。

 この戦艦はこんなにも慣性なしで止まるものであっただろうか。


「……まさか」


 艦橋にいくつかの魔道モニターが設置されている。

 四方八方を細やかに見るためのものだ。

 フルシェが見たのはそのうちのひとつ、戦艦の先端を見るための映像。

 

 そこで、少女が戦艦の先を手で押さえていた。

 ぱっと見はそっと添えているだけ。

 だが、その手が魔道戦艦ヤールウァントの前進を止めたのは明らかだった。


 少女が魔道カメラに気づき、微笑みかける。

 その口の先に見えるは鋭い歯。その目は邪悪さに満ち溢れ……

 

「間違いない。あれが邪竜王だ!」

 

 誰かが悲鳴を上げた。あるいはそれはフルシェ自身のものだったかもしれない。

 たった一人の少女の放つプレッシャーはそれほどのものだちゃのである。


「撃て! 撃て! 戦艦本体に当たってもかまわん! 全力で後退しながら、とにかく全力で撃て!」


 魔道戦艦ヤールウァントのギヤがバックに入り、壊れるのではないかという轟音ととも後退し始める。

 邪竜王は……追いかけてこない!


「全弾撃ち尽くしてかまわん! 砲が焼けて使い物にならなくなっても許す! 撃てぇっ!」


 ちゅどどどどどど!

 

 言われるまでもない。と言わんばかりに、戦艦に備え付けられた砲が火を噴く。

 砲身を冷やすことも考えないヒステリックな連射。

 大きな街であっても欠片も残さぬほどの大火力!


「やったか!?」


「あはは! 見よ、我らが大帝国の叡智を! 伝説の竜王であっても消し炭になるほどの威力を! 邪竜王なにするものか!」


 先ほどの恐怖を忘れるように、フルシェは笑った。

 副官も笑った。みんな、みんな、不安を隠すために笑った。


 だが、煙が晴れて、

 

「ひぃ!」


 そこにいたのは無傷の少女であった。

 着衣の乱れすらなく、邪悪に笑みを浮かべていた。

 

『おい、貴様ら』


 艦橋まで届く大きな声。

 恐怖を振りまくような、底冷えのする声。


『余は貴様らにお願いがあるのだ』


「よ、要求!?」


 いったい、どのような要求がされるのだろう? 

 フルシェたちは震えを隠すのに必死になる体を無理やりに押さえつける。


 が、邪竜王は撃たれたことを気にすることもなく、にやりと笑って親指を上に立てた。


『余はヒッチハイクなるものをしたいのだ。乗せよ』

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