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幕間

 その日、ジオル帝国の老皇帝オルバルト・ジオルは執務室の椅子に身を沈めながら書類仕事をしていた。


 かつて周辺諸国と覇権を争って、戦場を駆け廻ったのもいまは昔。

 『世界』の外から得られる財にいち早く着目した帝国は、いまでは明らかにぬきんでた国家になっていた。

 それこそ、他の国々が一致団結をしても敵わぬほどに、である。


 各地の方面軍が伝えてくる戦況を鑑みるに、ほどなく『世界』を統一することになろう。


「……おっと。ああ、すまぬな」


 手が滑ってペンを落してしまったのを若い女性秘書官が拾ってくれる。

 自分も書類仕事に忙しいというのに、わざわざ両手で敬うようにである。

 

 オルバルトは気恥ずかしさに、少しほほ笑んでみせた。


「認めたくはないものだな。我が肉体の老いを」


「陛下、ご自愛ください。ここ最近、ずっと執務室にこもりっぱなしではないですか。たまには狩りにでもいかがです?」


「それもいいかもしれんな」


 だが、いまの印鑑を押すのすらおっくうになってしまった肉体では恥をかくだけであろう。

 口だけで了承して、再度机に向かう。

 秘書官が浅いため息をつくが、仕方あるまい。急激に領土を拡張させたゆえにどこを見ても人手不足は似たようなものだ。


 と、そのとき執務室の扉が開いた。

 ノックのリズムからすると、


「ジフムートか」


「はい、父上。報告が」


 扉を開けたのはオルバルトの三男であり、正妃の第一子、帝位第一継承者でもあるジフムートだった。

 母親に似た優しい風貌の、すらりとした金髪の貴公子である。


「ヴルムトが姿を消しました。500の兵士と、500の火炎槍を伴って」


「おお……」


 恐れていたことが起きてしまった。

 強大になってしまった帝国であるが、それは同時に激しい権力闘争を伴うようになってしまったのだ。

 子どもたちはそれぞれ、各地の有力者や、中央の権力者と結びついて帝位を虎視眈々と狙っている。


「あやつはお前を嫌っておったからな」


 ジフムートが劣っているわけではない。

 親の欲目もあるかもしれぬが、嫡男としてよくやってくれている。

 すでに半分ほどの政務を移譲しているが、ジフムートは無難以上にこなしてくれている。

 むしろオルバルトよりも優秀であると言っても過言ではない。


 結局のところ、誰がやっても起きるたぐいの争いなのだろう。

 ジフムートの政治中枢である官僚集団と、いま現在帝国を運営しているオルバルトの官僚集団の争いである。


 彼らは優秀であるが、だがそれ故にジフムートの時代では邪見にされるのではないか、と恐れているのである。


 特に第二皇子チェンバレンはこの中央官僚を味方につけようと暗躍し、そして第六皇子ヴルムトはチェンバレンと同腹の息子で懇意にしていたのであった。

 

「しかし、放置してはおけません。父上」


 500の騎士、500の火炎槍ともなれば、小国1つを陥落させるだけの兵力である。


「悲しいことだ」


 子供たちが争うのは悲しい。

 かつて、オルバルトがジオル帝国を継いだとき、帝国は弱く、王権は貴族たちに握りつぶされ、ないに等しかった。

 それから40年。外患はなくなった。

 

 だが、代わりに……

 

「昔のように家族で仲良くできないものかな」


 闘争に明け暮れていた20年前。まだ帝国が飛躍しようとしていた時代は、一心同体であった。


「父上。これはきわめて政治的な問題なのです」


「ああ。そうだ。お前の言うとおりだ。

 しかし、朕は老いてしまった。耄碌してしまったのだ。わかるな? ジフムート」

 

 ジフムートは賢い。

 オルバルトの言う言葉の意味を理解して、沈痛な面持ちでうなずいた。

 彼もまた、家族が権力闘争に明け暮れている現状をよしとしているわけではないのだ。


 しかし同時に、オルバルトが子供たちの権力闘争の外にいたい、という望みを察し、叶えることのできる器量の持ち主でもあった。

 チェンバレンたちには不幸なことであるが。


「すべてそなたに任せる。ジフムート」


「御意に」


 ジフムートが一礼して執務室から退出したのを見届けて、


「権力とは、かつてあれほど仲の良かった兄弟すらも引き裂いてしまうものなのですね。陛下」


 愛人でもある秘書官が、オルバルトの背中を慰めるように撫でてくれる。

 オルバルトはその手を優しく握り返した。


「ああ。外に敵を求めることのできる時代のほうが幸せだったのかもしれんな」


 ジオル帝国がジオル王国であった時代より40年。

 帝国は外患によって揺らぐことなど思いもしないほどに無敵であった。

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