5・彼女の嘆きを僕は受け入れる
「黒羽……一体なにを?」
僕が話しかけるものの、黒羽は新田さんから視線を外そうとしない。
「ビッチめビッチめビッチめ非処女は引っ込んでろ。悠人君が頑張って罵倒してるのに。悠人君は優しい子なんだよ? 思ってても口には出さない子なのにそれをわざわざ表に出させて悠人君自身も傷ついている。悠人君を誑かそうとしてわたしから悠人君を取っちゃう魔女。それがあなた。だから断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を……」
ふう。
どうやら怒りの矛先が新田さんに向けられているらしい。
やれやれだ。
でも新田さんも悪い。
新田さんも泣かずに、さっさとプンプン怒って屋上から出ていけばいいのに。
それを思って僕も慣れない罵倒をしたというのに、とんでもない結果になってしまった。
「篠宮君……助けて……」
新田さんが僕の胸に顔を埋め、ブルブルと震えている。
「ふんっ」
「きゃっ!」
そんな新田さんを、僕を弾き飛ばした。
「新田さんが悪いんだから仕方ないよ。黒羽にお仕置きしてもらいな」
「え……? 篠宮君、それって本当に言ってるの?」
本気の本気だ。
「ふふふ。ありがとう悠人君。連携プレイだね」
そんなことを言いながら、一歩ずつ確実に新田さんへと歩を進めていく黒羽。
「あなたが悪いあなたが悪いあなたが悪いあなたが悪いあなたが悪いあなたが悪いあなたが悪い。わたしの悠人君を取っちゃおうとするあなたが悪い」
「あ、あなたのものじゃないでしょ! 篠宮君はまだ誰のものでもないんだから!」
「うるさいうるさいうるさい。辞世の句がそれか?」
いつもとはちょっと違う雰囲気の黒羽を見て、不覚にも胸がドキッとときめいた。
「死ね!」
「きゃぁあああああああっ!」
黒羽が包丁を振り上げ、新田さんが悲鳴を屋上に響かせる。
血飛沫が飛び散り、平和な屋上が地獄と化す……。
でも良かったんだけど——。
「悠人君? どうして止めるのかな?」
気付けば、僕は包丁を振り上げる黒羽の両手を握っていた。
「……だって黒羽泣いてるんだもん」
ポト、ポト。
黒羽の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「黒羽は優しい子だ。本当はこんなことしたくないんだよね?」
包丁を握る黒羽の手が震えている。
——黒羽は優しくて、暴力とか殺戮とかいう言葉から最も遠い女の子なのだ。
前髪で目元が隠れているものの、目に涙を浮かべていたのを僕は見逃さなかった。
「悠人君、止めないで」
「受け入れるよ……と言いたいところだけど、だったらどうして泣いてるの?」
「だって……だって……悠人君が、他の女の子に取られちゃ、うかも、って考えたら……悲しくなって……」
「——!」
なんてことだ。
また僕は大切な彼女を傷つけてしまった。
僕の罵倒が中途半端なせいで、新田さんを追い返すことが出来なかった。
結果、黒羽をここまで追い詰めて、本来やりたくないことまでやらせてしまうことだったのだ。
「黒羽は本当はこんなことしたくないんだよね?」
「…………」
「だったら止めよう。僕は君の全てを受け入れる。絶対他の女の子のところに行かない。だからその刃を降ろして?」
そう言って、僕は黒羽を後ろから抱きしめた。
黒羽の呼吸が体に伝わってくる。
言葉を交わさなくても分かった。
黒羽の悲しみ、そして苦悩。
僕は黒羽のそんなところでさえも受け入れる。
「新田さん……いや、新田凜。さっさとどっかに行け。今が生き延びる最後のチャンスだぞ」
「う、うん……」
その隙に新田凜にそう告げて、屋上から逃がしてやる。
ふう。
これで黒羽がやりたくないことをやらせなくても済んだわけだ。
「悠人君……ごめんね? 悠人君の気を遣わせてしまって」
「大丈夫」
「だからわたしのこと嫌いにならないでね?」
包丁を床に落として、クルッと黒羽が振り返り僕の胸に顔を埋める。
「嫌いにならないさ。ずっとこの篠宮悠人は黒羽のことを愛してる」
「んぐっ、わあああああああ!」
それでなにかぷっつり切れてしまったのだろうか。
曇天を切りさくがごとく、黒羽は大きな声で泣き出した。
★ ★
「はあ、はあ……なに女……? 狂ってる……」
新田凜はふらふらの足取りで屋上から出て、階段を慌てて降りながらそう呟いた。
「こんな学校内で……しかもお昼休みに……わ、私を殺そうとするなんて……」
しかもただの脅しじゃない。
新田だからこそ分かる。
——あれは本気の目だった。
純粋な狂気。
そして、混じりっけのない篠宮悠人への愛情。
あいつは本気でわたしを刺すつもりだったんだ。
「今回は逃げるしかなかったけど……」
ならば、こちらとて考えがある。
人気のない場所まで来て、新田はポケットからあるものを取り出した。
本の栞代わりにしている——ペンチである。
「接近戦ならわたしの土俵。今度は私があの子の歯を全部抜いてから、殺してやるわ」
さっきはついつい慌ててしまい、後手を取られてしまった。
だが、今度はそうはいかない。
彼女はメガネを床に放り捨てる。
伊達メガネであり、彼女の視力は元々両目ともに二・〇なのだ。
そして——続いてスマホを取り出し、ホームボタンを押す。
そこには——。
「メガネをかけちゃ、あの危険思想女の苦しむ顔がよく見えない。それに——愛しい篠宮君の顔もね」
スマホのホーム画面には、隠し撮りした篠宮悠人の顔が映し出されていた。