4・うるさいどっか行け
チュンチュン。
「おはよう、悠人君」
朝起きると——横にはパジャマ姿の黒羽がいた。
「ん……ここは?」
上半身を起こして周りを見ると、壁や天井一面に僕の写真が貼られている。
見ると(何故だか分からないが)絨毯が所々赤色の絵の具を零したみたいになっていた。
どうやら僕の部屋じゃないみたいだけど……。
「もう! 悠人君、お寝坊さんなんだから! ここはわたしの部屋でしょ? 昨日からわたしの家に泊まることになったじゃない」
「ああ——」
そう言われて、徐々に記憶が甦っていく。
昨晩、僕が不誠実なことをしてしまったために黒羽を悲しませ、ここに運ばれたのだ。
その後、僕は自分の下着やら制服やら一式を持って、黒羽の家——ここに戻ってきたのだった。
高校生だし、まだ付き合いも浅いものだからなんらやましいことはしていないけど、一緒の布団に入って眠りに落ちたことを思い出す。
「それにしても……まだ頭がクラクラするなあ……」
こんなに目覚め悪かったけ?
「そりゃそうだよ。昨日、わたしと一緒の布団じゃ寝入ることが出来ない……って言うから、わたしが処方してもらっている睡眠薬を渡したじゃん」
成る程。
僕の体調まで管理し、薬を用意してくれるなんて。
全く。将来は出来たお嫁さんになるよ。
「わたしも——夢のようで眠れなかったら、昨日はずぅぅぅぅぅっと悠人君の寝顔を見てたんだよ? そのおかげで寝不足だよ〜」
そう言う彼女の目元には、うっすらとクマが出来ていた。
「ははは。寝顔を見られるなんて恥ずかしいな」
「今度はわたしの笑顔を見せてあげるねっ」
「じゃあそろそろ学校に行く準備しようか」
「うん! 今日も一緒に登校だね。まだ時間あるから、わたしお弁当作っておくね。お昼一緒に食べよっ」
「受け入れるよ」
頭がクラクラしながらも、無理矢理立ち上がって制服に袖を通す。
「ああ、そうだ悠人君……」
そうしていたら、前髪で目を隠した黒羽が近付いてきて、
「昨日言ったこと覚えているよね?」
「もちろんだよ。僕はもう黒羽以外の女の子と喋らない。もし話しかけてきても罵倒して追い返す」
「——うん! 覚えてたらいいんだ! 悠人君大好きっ」
と黒羽は僕に抱きついてきた。
やれやれ。
図書委員の仕事に支障をきたすかもしれないが、これくらいは仕方のないことだ。
何故なら——僕は彼女の全てを受け入れることにしたからだ。
今日も黒羽が寄り道をしたせいで、学校に辿り着いたのはお昼前であった。
「悠人君! やっとお昼の時間だね。屋上に行ってご飯食べよっ」
「受け入れるよ」
腕にむぎゅっと抱きついてくる黒羽。
胸の柔らかい感触が伝わってきて、頭がクラクラしてくる。
決して睡眠薬のせいじゃないのだ。
そのまま、屋上へ続く階段を昇っていると、周りからジロジロこちらを見られた。
「えっ……あれって三ヶ森さんじゃないか? そして、あの隣の男は誰なんだ?」
「NOOOOOOOOOO! 我らのアイドル三ヶ森さんがああああ! もしかして彼氏が出来たのかああああああ!」
やっぱり黒羽と歩いていたら注目を集めてしまう。
「気分良いね。みんな、悠人君に見とれてるよ〜」
「ははは。そうじゃないよ。みんな黒羽を見てるんだよ。黒羽可愛いからさ〜」
「えっ? そうかなっ」
そんなやり取りをしていると、黒羽の機嫌がさらに良くなっていった。
「あれ? 屋上の扉って鍵がかかってるんだ」
辿り着いたはいいものの、ドアノブをガチャガチャしても開く気配がない。
「参ったな。黒羽、どうす——」
「えぃ」
黒羽がトンカチを取り出して、ドアノブを破壊した。
「開いたよっ! これで一緒にご飯食べられるね」
「黒羽? どうして、トンカチなんか持ち歩いてるんだ?」
「なに言ってんの、悠人君。お裁縫道具とトンカチとカッターナイフなんて、最近の女子校生ならみんな持ち歩いてるよ」
なんてことだ。
いつでも不測の事態に対応出来るように、道具を持ち歩いているなんて。
全く。黒羽は僕には出来すぎた彼女だよ。
「うわぁー、風が強いねっ」
外に出ると、ビュービュー風が吹き荒れていた。
さらに曇り空。湿った空気でジメジメしていたけど、直射日光で黒羽の白い肌が焼けないことを考えれば、ベストな天候かもしれない。
「はいっ! これが悠人君のお弁当!」
黒羽からお弁当箱を受け取り、中を見る。
「うわあ……美味しそうだね」
ザ・女の子が作ったお弁当、って感じでとても美味しそうだ。
コンビニ弁当ばかり食べてきた僕にとって、こういうのを見るだけで泣きそうになってくる。
「悠人君、食べさせあげるよ。あーん」
パクッ。
「……うん! 美味しい! この唐揚げ、どうやって作ったの?」
「ホントっ? 嬉しい! ……ふふふ、隠し味を入れてるんだ!」
「隠し味?」
「うん! 山芋とかにんにくとかすっぽんとか納豆とか……後、精力剤ってのも入れてみたよ!」
なんてことだ。
いつも無気力な僕に気を遣って、そういう唐揚げを特製してくれたんだろう。
全く。将来は良いお嫁さんになるに違いない。
「悠人君。わたしにも食べさせてっ」
「受け入れるよ」
そんな感じで黒羽と楽しくいちゃいちゃしてると——。
「篠宮君! そんなところでなにしてるのっ!」
思わぬ来訪者が屋上にやって来た。
「……新田さん」
同じ図書委員でいつも真面目な新田さんだ。
「結局、昨日も来なかったじゃない! いい加減——って三ヶ森さん?」
隣の黒羽に気付いて、新田さんが目を丸くする。
「なんてこと……噂が回ってきたけど、あなた達って本当に付き合ってるの?」
質問してくるものの、僕は目線を外して答えない。
「コラ! なんとか言ったらどうなのよっ!」
新田さんがグッと顔を近付けてきて、語気を強める。
「うるさい」
「え?」
「うるさい、僕に話しかけるなこのビッチめ。同じ図書委員だからって良い気になるな僕には黒羽がいるから十分なんだ。もう僕に話しかけないで……ください」
ふう。
やっぱ人を悪く言うのも疲れるな。
途中で新田さんが悲しそうな顔をしていたから、最後はついつい敬語になってしまった。
「ど、どうして……」
よろよろと後退する新田さん。
口元を手で押さえ、メガネの奥の瞳には涙が溜まっていた。
「……いつも寂しそうにしていたから。そんなあなたを私が守ってあげなくちゃと思ったから……だから一緒の図書委員になったのに……」
「うるさい。死ね」
これが決定的な言葉にあったんだろう。
新田さんの涙が決壊し、ポトポトと屋上の床へとこぼれ落ちる。
「え」
正直——泣かすとまでは考えていなかった。
女の子の涙を見るなんて初めてだから、つい戸惑ってしまう。
「に、新田さん……ちょ、ちょっと……僕も言い過ぎた、かも……」
「うぅ〜。んぐっ、篠宮君のことちょっと良いなって思ってたのに。こんなのってあんまりだわ、っぐ!」
「ああー! ごめんごめん。だから泣き止んで」
あまりに号泣するものだから、慌ててしまって彼女の肩を掴んでしまう。
今思えば、それは最悪の行動だった。
「死ね」
後ろからぞっとするような低い声が聞こえた。
「危ないっ!」
生存本能というヤツだろうか。
無意識に僕は新田さんの肩を持ったまま、ゴロゴロと床を転げ回る。
そして、黒羽の方へと目線をやると——。
「悠人君はあなたのことが嫌いなのに。それなのに、しつこく付きまとってくるなんて。このストーカー。あなたがいると、悠人君は可笑しくなってしまう。断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を……」
目の色を虚無のものとし。
黒羽が右手で包丁を持って、じっと新田さんに焦点を合わせていた。