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2・他の女を見ないで喋りかけないで

「おはよう」


 朝起きて、挨拶しても誰からも返ってこない。


「……まあ言う相手なんていないんだけどね」


 リビングのテーブルの上には千円札が無造作に置かれていた。

 これ一枚で朝、昼、晩食をとれってことだ。


 兄弟はいない。

 それどころか幼い頃にお母さんが離婚してお父さんもいない。

 お母さんは朝早く家を出てしまっている。いわゆる仕事人間というヤツで、毎日夜遅くまで帰ってこない。


「寂しいな……」


 ぽつりとそう呟く。

 まあでも、十六年間ずっとそうだったんだ。


 僕は制服に着替え、千円札をポケットにねじ込んでから家を飛び出した——。



「きゃっほー! 悠人君! 迎えにきたよっ」



 外に出ると、天使がいた。


「三ヶ森さ……」

「黒羽!」

「く、黒羽。どうしてここに?」


 果たして——玄関を開けた目の前にいたのは、昨日から彼女になってくれた黒羽だ。


 そうだ。僕は寂しくなんてない。

 黒羽がいてくれるんだから。


「えーっ? なに言ってんの! 悠人君の家なんて百年前から分かってたよ」

「ははは。百年前って、黒羽も僕も生きてないじゃないか」


 そう返すと、黒羽は吸い込まれるような黒い瞳を近付けてきて、


「なに言ってんの。わたしと悠人君は前世からの運命の恋人であって誰にもわたし達の邪魔は出来ないしわたしはずっと悠人君のことを考えてるからこれくらいのことは朝飯前。それに十年前に悠人君がこの街に引っ越してきてそこからずーっとここに住んでいるのも知っている。それくらい悠人君の『彼女』であるわたしが知っていて……当然だよっ!」


 なんてことだ。

 僕のプライベートなことも知ってくれているなんて。

 全く。予習復習を怠らない良い子だ。


「ごめんごめん。また黒羽の家も教えてよ」

「……え?」


 黒羽の口が止まる。


 わわわ、もしかして地雷踏んじゃった?

 よくよく考えてみろ。まだ彼氏になって一日しか経ってないのに……距離を詰めるのが早かったか。


「ご、ごめん! 今のはなしに——」

「うんっ! 全然良いよっ。良かったら、わたしの家に住んじゃいなよ」

「え、良いの?」

「だって一人より二人の方が良いでしょ!」


 黒羽は一つも嫌そうな顔をせず、笑顔で受け入れてくれた。


 だったら——僕も彼女の全てを受け入れようと思う。


「分かった。じゃあ今日、学校終わりに黒羽の家に——」

「そんなの今すぐ行こ——いや! わたし、悠人君と一緒に登校してみたかったんだ! 学校終わってからでも遅くないよねっ。そうだそうだ。さあ、一緒に学校に行こっ」


 そう言って、黒羽は僕の腕にむぎゅっとつかまった。

 柔らかい胸の感触が腕に伝わってきて、ドキドキ心臓の音が黒羽に聞こえないか心配になる。

 そうして、僕と黒羽は家を出発した。




 途中、電車にビールの広告が吊ってあった。

 名前は知らないけど、有名な女優が起用されているポスターだ。


「ねえねえ悠人君。わたしね、将来はお嫁さんになりたいの! あっ、でも悠人君が共働き派ならわたしも働くね。もちろん、悠人君と同じ職場でだよ? 力仕事でも国家資格がいる職場でも、わたし頑張るからっ!」


 電車の中でも隣でずっと黒羽は喋り続けていた。


「う、うん……そうだね」


 参った。

 人に愛されたことがない僕は、こういう時どうやって会話を続ければいいか分からない。


 だから助けを求めるように、そのビールの広告に視線をやってしまった。


「悠人君……?」


 それに気付いた黒羽。


 ビリビリビリッ!


 突然、ジャンプしてその広告をはぎ取った。


「な、なにしてるの黒羽っ?」


 当然そんな目立つことをしたものだから、車内にいる人々の視線がこっちに集中する。


「なんでなんで? わたしの話つまらなかった? もしかして、このポスターに載っているビッチ非処女男漁るマシーンに目をとられてしまった? 悠人君言ったよね? わたし以外の女の人を見ちゃダメだって」


 なんてことだ。

 僕がコミュ障のせいで、黒羽をこれだけ困らせてしまうなんて。


「ご、ごめん! でも黒羽、違うんだ。黒羽と一緒にいることが幸せすぎて、どう喋っていいか分からなかったんだ」

「どういうこと?」

「これだけ黒羽は僕のことを愛してくれている。でも僕は上手く喋ることが出来ない。だからなにか話題を探そうと、助けを求めるように……そう、そのビールの広告を見た」

「え、ビール? あっ、そうだよね! 女の人見てたわけじゃないよね。ごめん! わたし、早とちりしちゃった!」


 自分の頭をポンと叩いて、黒羽は小さく舌を出した。


「そんなことより! 黒羽、このままじゃ駅員さんがやって来るよ」

「来る前に次の駅で降りよ!」

「え……次の駅で降りたら、学校まで歩くのに一時間はかかるよ?」

「大丈夫! だってわたし、出来るだけ長く悠人君と一緒に登校したいんだもんっ」

「で、でも……それだったら遅刻しちゃう」

「わたし、悠人君と長く登校したい!」


 やれやれ、彼女がそう言うなら仕方ない。


 数十秒して、電車が次の駅に到着した。

 僕は彼女に逆らわず、腕を引かれるまま降車する。


 何故か? 僕は彼女の全てを受け入れることにしたからだ。




 分かりきっていたことだけど、学校には盛大に遅刻した。

 というか真っ直ぐ学校に向かったわけじゃなく、黒羽が「ここでご飯食べよ」「ここで服買お」「ここで安産のお守り買お」と言って、寄り道してしまったからだ。


 結果的に学校に着いたのは、その日最後の授業——六限が終わってからになってしまった。


「学校終わっちゃったね……じゃあ悠人君、今から一緒に下校しよう!」


 一秒も授業を受けてないのに、下校とはなんぞや。


「うん、分かった下校しよう」


 でも彼女の全てを受け入れることにした僕は、彼女の提案をそのまま受け入れる。


「じゃあ帰ろう!」


 黒羽が腕を引っ張ろうとすると。


「コラッ! 篠宮君。そこにいたのね!」


 校舎からメガネをかけた女の子が、僕の名前を呼んで近寄ってきた。


「に、新田さん……」

「昨日、図書当番をサボって帰ったでしょ! 罰に私の代わりに当番やりなさい!」


 腰に手を当て、プンプンと怒っている女の子。


 彼女の名前は新田凜にった りんさん。

 同じ図書委員の女の子だ。

 ああ……そういえば、昨日は黒羽に告白されてそのまま帰ってしまったから、ついつい図書当番を忘れていた。

 新田さんが怒るのも無理はない。


「ご、ごめん。すぐに行くから」

「当たり前よ! ……それとも、もしかして……昨日サボってたのはなにか理由があるわけ?」

「いや……そういう訳じゃなくて……そ、そうだ。体調が悪くて」

「本当に? そうは見えないけど……はあ、仕方ないわね。私も一緒に当番やってあげるから」

「新田さんも?」

「倒れられたら困るしね。良い? さきに行っとくから、絶対に来なさいよ!」


 人差し指で僕の額を押した新田さんは、そのまま校舎へと戻っていってしまった。

 参った……彼女を怒らせるのは得策ではないだろう。


「ごめん、黒羽……ちょっと図書当番を終わらせる——から?」


 ん?

 黒羽が消えた?


「悠人君、わたし言ったよね? どうして、約束守れないの? 他の子と喋ったらダメって言ったじゃん。断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を……」


 あっ、いた。

 何故だか彼女は体勢を低くして、僕にタックルをかましていた。


 でもいきなりどうして?

 そして——彼女の両手にはカッターナイフ?


 それが刺さっているのは——僕の体?


「あっ——」


 そう思った瞬間。

 血の気が一瞬で失せて、体が地面へと倒れていった。

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