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19・重大な嘘

「えっ?」


 黒羽は反応が遅れてる。

 こうしている間にも、ダンボールが彼女の頭目掛けて落下していった。

 やけに周囲の風景がスローモーションに見えた。

 黒羽の危機によって、僕の意識が覚醒しているに違いない。


「届け——!」


 ……間に合った!


 目一杯手を伸ばして、黒羽を弾き飛ばすことに成功する。


「やった……!」


 彼女を救えたことを安堵する。


 しかしそれもつか

 黒羽を救えた代わりに、ダンボールが僕の頭へと落下する。


 ズシンッ!


 落下していく速度を見て予測はしていたが、そのダンボールは結構な重さらしい。

 重い衝撃が僕の頭に襲いかかった。


「悠人君!」


 黒羽のそんな声が最後に聞こえ。

 僕は意識をぷっつりと途絶えさせてしまったのであった——。




 夢を見ていた。


 何度も繰り返すようだけど、僕は人の愛に飢えている。

 それは父親を幼い頃に亡くし、母親が仕事人間でほぼ家に帰ってこなかったためだ。

 久しぶりに母親が家に帰ってきたとしても、


『うるさいわね。私は忙しいの。邪魔しないでくれる?』


 と怒鳴られた。


 だから——こんな僕を愛してくれる存在、三ヶ森黒羽のような女の子がいてくれることは、それこそ天にも昇るような気持ちだ。

 仮に黒羽が「死ね」と言ったら。

 僕は喜んで自害じがいするであろう——。



 ——悠人君。悠人君。悠人君!



 そんな声が聞こえた。


「う、うううぅん……?」


 瞼を開ける。


「悠人君!」


 すると——すぐ目の前に大天使とも呼び声高い——黒羽がいた。


「黒羽……一体、なにが……?」

「悠人君、覚えてないのっ? 部室でダンボールが落ちてきて、それでわたしを救おうとして、代わりに悠人君が……」


 ああ、徐々に記憶が甦ってきた。

 どうやら僕はベッドに寝かされているらしい。

 三百六十度視線を動かしてみると……ここは学校の保健室か?

 どうやら意識を失い、ここに運ばれたんだろう。


 情けない。


 それよりも……。


「黒羽……どうして泣いてるの?」


 黒羽の顔を見ると、目と目元がうっすらと赤くなっていた。

 今も瞳に軽く涙を浮かべており、泣いていたことは明らかであった。


「だって……だって……このまま、悠人君死んじゃうかと思ったもん。もし悠人君が死んじゃったら、わたし……生きてる意味ない……」

「——っ!」


 なんてことだ。

 こんなにも彼女を心配させてしまったなんて。

 今度からは体を鍛える必要性も出てくるかもしれない。


 彼女を心配させず——彼女を救うために。


「その子、ずっとあんたの手を握っていたわよ」


 そんなことを思っていると、黒羽の後ろから大柄な女性がやって来て、そう告げた。

 確か……保健室の先生だっけな?


「あんたが目を瞑っている間、ずっと手を握って『悠人君悠人君悠人君悠人君悠人君死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで……』とエンドレスに繰り返していたのさ」

「黒羽が?」

「正直、あんたは軽い脳しんとうで命にはまっっっっったく別状がない。ちょっと落ち着いたら、もうそのまま帰っても大丈夫。ああ、念のために病院に行った方が良いかもね。頭のことだし。まあ大丈夫だと思うけど……」


 ん、さっきは気付かなかったけど、今も僕の右手を黒羽がぎゅっと握りしめてくれている。


 冷たい手。

 まるで血液が通っていないかのような。

 ぞっとするくらい白く小さな手。


 全く。黒羽はお人形さんみたいで可愛いなあ。


「じゃあ、私はお邪魔みたいだからどっか行くよ。もう帰る時は、職員室に来てね……」


 保健室の先生は空気を読んで、部屋から出て行った。


 なんと気の利く先生なのだ。

 基本的に先生というヤツは、僕と黒羽の邪魔をする『無能』しかいないと思っていた。

 だけど、さっきのヤツくらいは頭の片隅で覚えておいてやってもいいかもしれない。


「悠人君。本当に大丈夫?」


 黒羽が顔を近付けて、そう尋ねてくる。


「うん、全然大丈夫。心配かけてごめんね」

「良かった……あっ、そうだ! 悠人君の快復祝いでジュース買ってきてあげる。飲みたいものとかない?」

「えっ、そんなの悪いよ」

「良いから! わたしが買いたいだけだし!」

「じゃ、じゃあ受け入れるよ。そうだな。購買部がまだ開いていたら、缶のおしるこが飲みたいかもしれない」

「ラジャーなのです」


 黒羽は敬礼して、保健室からダッシュでいなくなっていた。

 全く。気の利く彼女だよ。


「本当に僕にはもったいないくらいの彼女だよな……」


 彼女を心配させたのは猛省だが、同じようなことが起こっても僕は同じようにするだろう。


 何十回でも。何万回でも。何億回でも。



 ——トントン。



「ん? はい?」


 ドアがノックされて、反射的に返事をしてしまう。

 黒羽がいなくなってまだ十五分くらいしか経っていない。

 まあダッシュで行ってくれたみたいだし、帰ってきたのかな?


「失礼するね」


 ガラガラ、と独りでに保健室の扉が開く。


 廊下から——日下部が額にお札を貼って入ってきたのだ。


「く、日下部?」


 お札を額に入っているおかげで、日下部の姿を見ることが出来る。

 もういっそのこっと、邪魔にならない時以外はずっと貼ってて欲しい。


「もう元気になってるかな、って思って」

「なにしにきたんだ。黒羽が戻ってくるまでに、さっさと帰った方がいい」

「良かった。そんな口をきけるってことは、もう元気なんだね」


 ふふふ、と微笑み日下部はベッドの隣にある椅子に腰掛けた。

 おい、そこはさっきまで黒羽の座っていたところなんだぞ。


「今日は——篠宮に二つ謝らないといけないことがあって」


 なにを言い出すんだ、こいつは?


「一つは文芸部の部室であったこと。まさか篠宮に被害があるとは思わなくて……」

「……?」


 言っている意味がよく分からない。

 その言い方じゃ、まるで今回の事件を予知していたみたいじゃないか。


「それからもう一つ。ボクは君が文芸部に入ってから、重大な嘘をずっと吐いてきた」

「重大な嘘?」

「ああ。その前に——」


 そう言って、日下部は白シャツのボタンを一つずつ取っていった。


 はあ? さっきから、こいつはなにをするつもりだ。

 やがて、白シャツの前が開けられ、なんのヘンテツもない()の胸が……。


「実はボク、お……」


 そう口を開きかけた時であった。



「とうとう尻尾を現したね! 日下部青葉!」



 バッと勢いよく保健室の扉が開けられる。


 黒羽だ。


「……! 折角、良いところだったのに」


 日下部は開きかけていた白シャツのボタンをもう一度しめ、ゆっくりと黒羽の方を振り返った。

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