14・血を血を血を血を血を!
「でも文芸部ってなにをするのかな?」
黒羽が人差し指を口元につけ、可愛らしく首を傾げた。
「うーん、本とか読んだりするんじゃないのかな?」
「成る程だねっ。さすが悠人君! 博識なんだねっ」
「黒羽程じゃないさ」
これは本心だ。
ちなみに、僕の学校での成績は中間くらい。
常に成績トップをひた走っている黒羽とは大違い。
「へへーん! そんなことないけど、国語とか大の得意なのです」
と黒羽は胸を張った。
そうは言っているものの、どこか誇らしげな可愛い黒羽である。
「へー、そうなんだ。僕は国語が一番苦手でさ。ほら、筆者の気持ちとか読むの苦手で」
「わたしは悠人君のずっっっっっっと想っているからね! 筆者とかいう下等生物の気持ちを読むことくらい、お手の物なのだ」
「やっぱり黒羽は凄いよ。本当に——人間としても尊敬出来る」
「そんなに褒めてもなにも出ないですよー、だ」
黒羽の機嫌がどんどん良くなっていることが、目に見えて分かった。
「そうだ、黒羽。また国語を僕に教えてよ。せめて平均よりちょっと良いくらいの点数は取りたいからさ」
「そんなことお安いご用だよ。あっ!」
なにか閃いたように黒羽がパンと手を叩く。
「よかったら、今から教えてあげようか? わたし、国語の良い勉強法知ってるんだ」
「そんなものがあったら是非教えてもらいたいよ」
「じゃあ決まりだね!」
と黒羽は立ち上がり、何故だか部室の出入り口になっている扉へと向かった。
カチャ。
そしてこれも——不可思議なことであるが、扉の鍵を閉めてしまったのである。
「黒羽? どうして鍵を締めるのかな?」
「他の人の邪魔が入ってこないようにするためだよ」
「他の人?」
ああ——そういうことか。
つまり黒羽は『不審者が部室に入ってきて、もしかしたら僕達に暴行をくわえるかもしれない』と言いたいのだ。
そのためにも、部室に僕達がいようともしっかり戸締まりをする。
全く。将来は良いお嫁さんになるに違いない。
「じゃあ——悠人君。まずは床に座ってくれるかな?」
「ふうん? 分かった」
椅子とテーブルも用意されているのに、黒羽は変なヤツだな。
でも彼女の言うことを受け入れ、床に胡座をかいて座る。
すると。
「へへへ、とぉーぅ!」
黒羽が僕の後ろに座って、両腕を前に回してきたのだ。
彼女の手には一冊の本が開かれている。
「黒羽?」
「へへへ。こうやって、わたしが本を読み聞かせてあげるね! そうすれば、本の内容も頭に入ってくると思うから」
なんてことだ。
なんて——効率の良い勉強法なんだ。
世の中には寝ている時に聞いているだけで頭が良くなる、という勉強法も存在していると聞く。
黒羽みたいな頭の良い彼女の声だったら、間違いなく一発で本の内容も覚えられるだろう。
全く。末恐ろしい彼女だよ。
「ありがとう。でも子どもみたいでなんだか恥ずかしいな……」
体勢としては、幼稚園児くらいの男の子と本を読み聞かせするお母さん……みたいな感じだ。
「嫌?」
「とんでもない。嬉しすぎて、爆ぜてしまいそうだよ」
「そっか! 良かった!」
黒羽がとんでもなくハイテンションになっているのを、声を聞くだけで分かった。
「それで黒羽。どんな本を読んでくれるのかな?」
「うん。今回はわたしの愛読書である『恋心の教室』を読んであげるね」
「題名を聞くに恋愛小説なのかな?」
「うんっ! そうなんだ。きっと悠人君も泣くよ〜」
楽しみだ。
そんな感じで、早速黒羽はそのままの体勢のまま冒頭シーンから読み出した。
『血を血を血を血を血を! 闘争を闘争を闘争を闘争を! 断罪を断罪を断罪を断罪を!
我は血を求めている。この黒板が血で塗りつぶされない限り、君を教室から出す気はない。
さあて——遊戯を始めよう——』
「うーん、ちょっと僕には難しすぎて分からないかな?」
「あっ、あらすじを先に説明した方が良かったかもだね。これはね、一人の女子生徒に恋したサイコパスの男性教師の葛藤を描いた恋愛小説なんだよ〜」
「なんで恋してるのに、この先生は生徒を殺そうとしてるのかな?」
「なに言ってんの悠人君。死ぬ程好きになったら時には相手の血を求めたくなるのは自然なことでしょ? だからこの先生は包丁を片手に持ってケラケラと笑いながら女子生徒に迫っているしその熱いハートに心惹かれるのは女の子として当然の想いだよ」
「ふうん。女心っていうのは難しいだね。でも黒羽のすっっっっごく分かりやすいあらすじ紹介のおかげで、本の内容が分かってきたよ」
「悠人君もこの本を完読すれば、女心を完璧にマスターだよ〜」
なんてことだ。
国語の勉強をしていると思ったら、同時に女心も勉強しているなんて。
全く。黒羽はどこまで僕のことを考えてくれているんだ。
「じゃあ続きを読むね——殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!」
その後。
黒羽の臨場感たっぷりの音読のおかげで、まるで目の前に映像が流れていくかのごとく、本の内容が頭に入ってきた。
途中から気付いたんだけど、この本の副題って『血の雨を降らしやがれバカヤロー先生』と言うらしい。なかなかポップな副題を持っていらっしゃる。
『血』とか『殺す』という単語がよく出てきたせいなのか、まるで吊り橋の上に立っているかのように心臓がドキドキ脈打った。
「はあっ、はあっ——」
うん?
黒羽の息が荒くなっている?
「もう我慢出来ないよー!」
と——突然、黒羽は本を落として、そのまま僕の首を絞めてきた。
「く、黒羽……?」
思い切り締められているため、呼吸も苦しくなってくる。
「こうやって、悠人君と密着していると……わたし、我慢出来ないっ! ずっと悠人君とこうしていたいよ……」
すりすりと頬を後頭部に擦りつけてくる黒羽。
「く、黒羽……それは良いんだけど、ちょっと苦しい……」
黒羽の次に酸素が欲しい。
「はあっ、はあっ! 悠人君! ずっと、わたし……こうしてても良いよね?」
「——!」
それを聞いた瞬間。
頭の中で『受け入れスイッチ』がオンになった。
「う、受け入れるよ……く、黒羽。永遠に、僕を抱きしめといて、くれればいい……」
「うん! ありがとう!」
黒羽の力がさらに強くなる。
やれやれ。
これは完全に決まってるな。
このまま、抱きしめられ(首を絞められ)ていると、きっと僕は息が出来なくて死んでしまうだろう。
でもそれでも良いんだ。
何故なら——彼女がそうしたいと言ったからだ。
ああ、あろうことか——苦しさがなくなって、気持ちよくなってきた。
「く、黒羽……す、好き……だ」
「わたしも大好き!」
その言葉が聞ければ十分。
そのまま僕は安らかな気持ちのまま、瞼を閉じた——。
コトリ。
そんないつまでも続いて欲しい幸せな時間。
なにかが落ちたような物音が聞こえた。
「だ、誰っ?」