12・愛にも食べ物にも飢えている
「先生に刃向かった悠人君、カッコ良かったよ〜」
「そ、そうかな」
「もう……わたしのABYSSを返すために、頑張ってくれてる……って思うだけで、はぅわっ! ああ! 思い出したら、気絶しそうっ」
どうやら、黒羽の機嫌も完全に治ってくれたみたいだ。
——というわけで。
僕達は早々と学校を抜け出し、街に繰り出していた。
先生の命令に背いたことになるけど、あいつの言うことを聞く道理はない。
何故か?
僕にとって、先生なんていうお山の大将よりも、黒羽の方がずっっっっっと大事だからだ。
「お腹減ったねぇ……」
ぐぅ、と黒羽のお腹が鳴った。
「!」
「ははは。黒羽、相当お腹空いているみたいだね」
「もう、バカ〜。聞こえなかった振りしておいてよっ」
ポカポカと黒羽が僕の肩を叩いてくる。
「まあもうお昼時だしね。今日はどっか喫茶店でも入って、そこでデートしよっか」
「賛成!」
ってなわけで、制服デートの内容は喫茶店となった。
適当にブラブラと歩き回って、ちょっとこ洒落た喫茶店を見つけて、そこに入る。
「いっらしゃいませっ!」
入った瞬間、女性の快活な声が僕達を出迎えた。
「二名なんだけど……」
「あっ、お好きな席どぞー!」
多分、大学生くらいだろうか?
オレンジ色のミニスカートを着た女性が、笑顔でそう対応してくれる。
「なかなか良いお店だね……黒羽?」
「えっ、あっ、うん」
何故だろう。
黒羽がウェイトレスの女性の方をじっと見て、しばらくフリーズしていた。
「そうだねっ。ささっ! 早く席に座ろっ」
「うん。奥の窓際の席で良いかな」
「悠人君の決めたところだったらどこでもいいよ! 窓際だったら、お日様がぽかぽかして暖かいしね」
それだけの理由ではなく、奥の席だったら入り口からのお客さんを見ることが出来るからだ。
もし、入ってきた瞬間に黒羽の方に来てナンパしようとする男がいたら、僕が守ってやらなきゃならない。
……喧嘩なんてしたことないけど。
「ねえねえ、悠人君。なに食べるー?」
メニュー表を見て、黒羽がウキウキ気分でそう問いかけてくる。
「うーん、僕はこのカレーにでもしよっかな。黒羽程じゃないけど、僕もお腹空いてるし」
「もうっ! そんなにお腹空いてないよー」
「ははは。ごめんごめん」
「じゃあわたしはサンドイッチにしよっかな」
「良いね。女の子らしくて可愛いや」
「もうっ! 悠人君は隙あらば、わたしを惚れさせようとしてくるんだからっ」
「まだ惚れてなかったの?」
「惚れて惚れて一周回って苦しいくらいだよ〜」
そんな感じの軽いトークを楽しみながら、メニューを決めたので手を上げ、
「すいませーん!」
そうウェイトレスさんを呼ぶ。
「はいはい……きゃっ!」
その途中。
お盆にコップを載せたウェイトレスさんが、そのまま豪快に転けた。
「いたた……」
「だ、大丈夫ですかっ?」
あまりにも痛そうだったので、咄嗟にウェイトレスさんに駆け寄る。
コップの中の水が全て溢れてしまい、ウェイトレスさんの服にかかっている。
そのせいで、可愛らしい服がびしょ濡れでウェイトレスさんの体のラインが、はっきりと分かった。
「だ、大丈夫ですっ! メニューはお決まりでしょうかっ?」
こんな状況でもメニューを聞いてくるなんて。
全く。最近の女子大生のプロ意識には感心するよ。
「あっ、カレーとサンドイッチで」
「かしこまりました! 少々お待ちくださいませ……あっ、水もすぐ代わりの持ってきますね」
そう言って、ウェイトレスさんは恥ずかしそうにキッチンに戻っていった。
「とんだハプニングだったね……黒羽?」
席に戻ると、なにやら黒羽が顔を伏せて、ぶつぶつと呟いている。
「どうしてどうしてどうしてどうして? 悠人君、ウェイトレスさんを助けるの? 悠人君はわたしだけを見ていればいいのに。それに水がかかってパンツの中まで染み渡っているであろうウェイトレスさんを悠人君は嫌らしい目で見ていた。浮気だ浮気だ浮気だ。わたしは悠人君が他の女の子と喋っているのが嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。ああ苦しい苦しい苦しい苦しい。断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を……」
「——っ!」
なんてことだ。
僕の何気ない行動が、これだけ黒羽を悲しませてしまうなんて。
全く。なんて僕は黒羽不幸者だ。
「く、黒羽……ご、ごめんっ」
肩を揺さぶってみるが、
「断罪を断罪を断罪を断罪を断罪を……」
黒羽はバックから刃が煌めく包丁を取り出した。
もしかしたら、ここで料理を始めるつもりだろうか?
メニューを言っても、なかなか来ないのに呆れて?
「お、お待たせしましたっ! こちら、カレーとサンドイッチになります」
遅れて、ウェイトレスさんがやっとのこさ持ってきてくれた。
「とにかく黒羽。食べよ? い、いただきます」
「……いただきます!」
黒羽はまだ納得していないのか、暗い顔をしていた。
二人で手を合わせて、食事を開始する。
「……このカレー、レトルトの味がするね。黒羽の作ってくれた唐揚げの方が何倍も美味しいや」
「ホントだね。わたしの方も、なんだか味が薄いみたい……そうだっ、悠人君!」
「ん?」
「悠人君のゆ、指を舐めさせてくれないかな? それで今回のを許して上げるっ」
「指を? まあ僕ので良かったら、いくらでも舐めさせてあげるけど」
「ありがとっ!」
僕が人差し指を差し出すと、黒羽はそれを持ってパクッと口に咥えた。
「ふぇえ、ほひいいよぉ」
黒羽が嬉しそうにしながら、僕の指をしゃぶる。
ちょっと恥ずかしかったけど、これくらいお安いご用だ。
何故なら僕は彼女の全てを受け入れるからだ。
「ぷはぁ、ごちそうさまでしたっ」
サンドイッチがまだ半分残っているものの、黒羽がそう手を合わせる。
さっきまで暗い顔をしていたけど、今は恍惚な表情を浮かべている。
きっとお腹が空いて、機嫌が悪かっただけだったんだろう。
「僕の方も……ごちそうさま」
あまり美味しくなかったものの、空腹だったため完食してしまった。
元々小食だったこともあるが、おかげでお腹がいっぱいになった。
この喫茶店にそれだけは感謝する。
「黒羽。これからどうするっ?」
「近くの公園に行こっ。わたし、そこで悠人君に渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」
会計を済ませ、外に出て公園へと向かう。
「……はいっ! これ、お弁当!」
ベンチで隣り合って、黒羽がそう渡してきたのはいつものお弁当箱だった。
「……えっ、これは?」
「わたしの手作りお弁当だよ? 毎日のことなのに……どうしたの、悠人君?」
……マジかぁ。
食べた後なのに。
そういや、今朝も黒羽がせっせと一生懸命作ってくれたんだっけ。
「悠人君、もしかして食べないつもりなの? 育ち盛りだしまだまだお腹空いてるよね? それとももしかしてわたしのお弁当なんか食べたくない?」
あっ。
黒羽の目が真っ黒になってきた。
この目は黒羽が傷ついているサインだ。
「そ、そんなことないよ。美味しく食べさせてもらう……よ」
黒羽から弁当を受け取って、箸を付ける。
参った。
今日も唐揚げ弁当で、なかなかボリューミーだった。
「ふふん。やっぱり学校を抜け出して正解だったね」
「そ、そうだね……」
ゲップしてしまいそうなのを我慢しながら、お弁当をゆっくり食べていく。
何故か?
お腹がいっぱいで苦しいから?
いやいや、違う。
この幸せな時間を、出来るだけ長く感じいていたかったからだ。




