望まれぬ者、招かれざる者 その3
リックに叩き起こされたケンは、そこが何処であったのかをしばらく考え、「そういえばエルフの里に来ていたんだっけか……」と漏らした。
目覚めたのは、見慣れないベッドの上。耐え難い眠気に抗えず、眠ってしまったことを思い出す。
「なんだよ、寝ぼけてんのか?」
「何か、妙に疲れてな……」
慣れない環境に身を置いているからなのか、蓄積された疲労なのか。ケンは妙な怠さを感じていた。
「風邪でもひいたんじゃないか? ――馬鹿でも風邪はひくらしいし」
「そこは心配するところだろうが……」
ため息混じりにそう告げると、リックは「深刻そうならそうするけどな」と真顔で返してきた。
「女性を待たせるもんじゃない、顔洗って出かける準備しろよ」
「へいへい……」
手早く身支度を済ませて部屋を出ると、少々不機嫌なシェリルが待ち構えていた。
「遅い」
「ケンのせいだからな、俺のせいじゃない」
「悪かったって……」
平謝りのケンをシェリルはしばらく睨んでいたが、「しょうがないわね……」とため息混じりに諦められた。
「なんとなく評価が下がったような気がする」
「たぶん、気のせいじゃないぞそれ」
シェリルを先頭に、管理人室前まで来れば、そこにはエルフリーデが待っていた。
「お待たせしてごめんなさい」
「いや、そんなに待ってはいない。こちらの都合で時間を決めて、むしろ申し訳ない」
そう言って真面目に話すエルフリーデ。
シェリルは「ケン、ちゃんと謝りなさい」と促し、ケンは「私が惰眠を貪ったせいです、本当に申し訳ございませんでした」と謝罪する流れとなった。エルフリーデは苦笑して、ケンを許した。
「オススメの食堂がある。今夜はそこで食事をどうだろうか?」
エルフリーデの提案に一同は頷く。
エルフリーデの案内で、宿舎からそれほど離れていない場所に建っていた食堂――『森の癒し亭』に移動する。それは見た目可愛らしい、明るい色で装飾された建物だった。
「ご婦人の趣味だそうだ」
建物を眺めていたシェリルに、エルフリーデが解説する。旅をしていた冒険者コンビだった夫妻が、里で結婚してから始めた店とのことで、外観や内装は妻の趣味で決められたという話だった。
「いらっしゃいませ! ――って、姫様じゃないですか」
少々驚いた感じで出迎えた若い――といっても、人間の外観で言えば、だが――女性。
「珍しいですね、夕方にいらっしゃるなんて」
「昼過ぎに帰ってきたばかりでね。――今日は、客人を連れてきた」
「あら、まあ」
女性――オーナーの妻だとエルフリーデに紹介された――に案内され、店の一角、角地の四人席に通される一行。
周囲からチラチラと見てくる視線を感じるが、珍しさというよりは驚きといった雰囲気を感じ、そんなものかと思うケン。
「この時間でも、結構賑やかなんだな」
「おかげさまで」
女性の話では、独身者が軽い食事をしてから飲みに行く流れで利用していたりするらしい。
「飲みに行くには、ちょっと早いですよね?」
「ん~、『外』だとそうなんですけど、ここだと日が出たら起きて、日が沈んだら寝るという文化というか流れがまだ残っているので。そんなに早いというほどでもないんですよ」
リックの疑問に女性が笑って答える。
「人間からすれば、娯楽が少ない里だが、それで大きな不満がある訳じゃないんだ。それでずっとやってきたしな。――その分、『外』に出て、『外』の文化が忘れられなくて帰ってこない、または再び出て行く者も少なくない」
エルフリーデは苦笑しながら「まあ、それが良いことなのか悪いことなのかは、わからないが」と話す。
「さて、注文を決めてしまおう。――おっと、メニューは読めるだろうか?」
「さっぱり」
「読めないねえ」
「ごめんなさい、読めないわ」
エルフリーデの問いに、ケン、リック、シェリルは読めないと返す。
幸いなことにそれぞれの料理には絵が添えられていたので、それぞれが気になった料理をエルフリーデに訪ね、エルフリーデが答えられないものについては女性が答える形で注文を決めていった。
「――では、少々お待ち下さいな」
女性が席を去ると、ケンは再び襲ってきた眠気に欠伸を噛み殺す。
「どうしたケン殿、そんなに眠かったのか?」
心配そうに訪ねてくるエルフリーデに、「いや、何だか妙に怠くて眠くて……」と答えるケン。
「やだ、風邪?」
「風邪じゃ、ないと思うけどな……」
シェリルの言葉にそう返すも、自信はない。
「旅の疲れ、だろうか……?」
「ケンが疲れるって、ちょっと信じられないけどな」
心配そうなエルフリーデに対し、リックは「だって、ケンだぜ?」と苦笑する。
「……宝玉の影響だろうか」
気にしているエルフリーデに「まあ、食べて寝れば、回復するでしょ」と笑ってみせるケン。
「身体がビックリしたんでしょ、慣れない力なんか使ったから。――慣れたら、大丈夫さ」
「……ケン殿」
放っておくと「すまない」とか言い出しそうなエルフリーデに、ケンは「大丈夫だから」と言い聞かせる。
「……ケンが、ケンじゃないみたい」
「同感」
「おい待てそこの二人、何か失礼なこと考えてないか?」
馬鹿なやり取りをしている間に時間は過ぎ、それぞれが注文した料理がテーブルに並べられていく。
ケンは兎肉のステーキ(パン・サラダ・スープ付き)、シェリルは季節野菜の揚げ物定食(ライス・サラダ・スープ付き)、リックは兎肉のステーキ(パン・サラダ・スープ付き)に単品追加で旬のキノコのオイル煮、エルフリーデは旬のキノコのオイル煮にパン(カリカリ)とサラダを追加。飲み物は柑橘類の中でも定番、オリンジのジュースをボトルで頼んだ。
兎肉のステーキはわりと噛みごたえのある、プリプリした食感で、臭みは殆どなかった。ケンは初めて兎肉を食べたが、何かといえば鳥に近いなと思いながら味わう。
パンはふわふわでほのかに甘みを感じ、サラダはドレッシングが絶妙な酸味で食欲をそそり、スープはよく煮込まれた野菜の旨味が凝縮されており――つまりは、大満足だった。
シェリルの季節野菜の揚げ物は数種類の旬の野菜をフライにしてあり、サクサクと美味そうに食べている。
リックもケンと同じ兎肉のステーキを頼んでいたが、旬のキノコをオイルで煮た料理を追加で頼んでいる。本人曰く、「香りも旨味も最高」とのことだった。
エルフリーデはキノコのオイル煮とパン・サラダを注文していたが、パンはオーブンでカリカリに焼かれており、それとオイル煮を一緒に食べてリックに羨ましがられていた。
「――いやあ、美味かった。これなら元気出そうだ」
「それは良かった」
満足げなケンを見て、エルフリーデはホッとしたように微笑んでいた。
「本日はようこそ、『森の癒し亭』へ」
しばらくマッタリしていると、シェフと思しき男性が席へとやって来た。
「オーナー兼シェフをしております、オイズミーと申します。接客を担当しているのが妻のヨウでございます」
「オーナー、今日も美味しい料理を頂いたよ」
「ありがとうございます、姫様。そのお言葉でまだまだ頑張れます」
オイズミーは明るい感じの男性で、旅の最中に自炊に目覚め、冒険ついでの食べ歩きをしたことで店を開こうと決意したという。
「まあ、妻が後押ししてくれたおかげですが。――美味しいからきっと大丈夫、と」
「羨ましい夫婦愛だわ……!」
シェリルが目を輝かせて話に聞き入っている。
エルフリーデが何か言いたげにケンをチラチラ見ているが、本人は全く気が付かず、気がついたリックが苦笑していた。
「オイズミーさんは、冒険者だったんですよね?」
「ええ。妻と二人で。……若かったですね、『外にはきっと楽しいことや凄いことが待っているんだ』なんて、今思うと恥ずかしいくらい張り切って里を飛び出しましたよ」
シェリルの問いにそう答えたオイズミーは、「でも、実際はそれ以上に辛いことも沢山待ち受けていました」と話す。
「今思うと、よく生きていられたな、なんてこともありました。運が良かったのと、出会いに恵まれていたとしか言えないくらいに」
冒険は慎重かつ大胆に、とは使い古された言葉なのかもしれない。それでも、初心者に対する心構えの訓示等には必ずその言葉が記されており、ケン達もそれを目にし、耳にした。慎重でなければ命を落とし、時には大胆にいかなければ命を落とす。その境界線は、なかなか見極めが難しいとされる。
「私には、料理の方が向いていました。それにちゃんと気がつけて――いや、気が付かせてもらえて、自分は幸せものですよ」
そう言って微笑むオイズミーは、たしかに幸せそうに見えた。
「おっと、自分語りは野犬も食わない、でしたね。失礼いたしました」
「いや、とても参考になる話だった」
お恥ずかしい、と照れるオイズミーに、エルフリーデは何か心に刺さるものがあったようで、うんうんと頷いていた。
「それはともかく、料理はお口に合いましたでしょうか?」
その問いは、ケン達に向けられていた。
「ええ、とても」
「兎肉は初めてだったけど、とても美味かったです」
「心残りがあるとすれば、オイル煮にはカリカリに焼いたパンが正解だったところかな」
リックの嘆きに、一同は苦笑する。オイズミーは「是非また来てください。……その時は、カリカリのパンを一緒に」と微笑んだ。
店を後にすると、辺りは夕暮れに染まり始めていた。
「森が綺麗に夕焼けに染まるのね」
シェリルがその光景を見て呟く。
「一日の終り……せつなくもあるが、明日への希望も感じる時間だな」
エルフリーデがシェリルの言葉に重ねる。
「……?」
その最中、ケンは妙な視線を感じて振り返る。
「どうした?」
リックに問われ、「いや……誰かに見られているような気がして」と答える。
「ま、人間がいるなんて、珍しいんだろ? 店でもそんな感じだったし」
「まあ、そうなんだろうけど……」
なんとなくモヤモヤする気持ちを抱えつつ、ケンは首を傾げる。
「疲れてるんじゃね? 今日はさっさと寝ろよ?」
「……ああ」
気のせいなのだろうか……と、思う。今は気配を感じない。
「どうした、ケン殿?」
エルフリーデにも問われ、ケンは「いや、なんでもない」と答える。
疲れているのだろう、今日は早く寝てしまおう――そんなことを考えながら、ケンは沈みゆく太陽を見送っていた。




