伝説の魔女、ルイナ
唐突に現れた魔女。
地震はどうやら、魔女が起こしていたものだった。
さらに、魔女とクレーとレーゼの間に関係性があり……?
「どちらさん?」
「……ちっ」
か弱き乙女だと自ら名乗ったその黒猫のような女性は、見事に舌打ちをしてみせた。リズーは、いったいこの女性のどこが「か弱い」というのかと、首を傾げ気味だ。
「誰よ、このチビすけ。あんたの子にしちゃ、でかいわね?」
名指しされては、逃れられないと判断したのか。揺れる大地を気にしつつも、クレーは扉の方へと向き直った。声で、相手を特定していたにしても、再会するのは実に十年ぶりとなる。
「いんや、僕の子だよ。ルイナ姉さん」
「姉……さん?」
リズーはきょとんとした瞳で、クレーを見つめた。クレーは、細い目をさらに細めると、いやぁ、困った……と、頭をかいた。
「なんで、帰って来たのかな? 姉さん」
「うっさいわね。あたしが居たら邪魔なワケ?」
「邪魔といえば、邪魔かもねぇ」
その刹那。リズーは身構えた。この、「ルイナ」という姉から殺気というものを感じ取ったからだ。咄嗟に目をつむってその場にしゃがんだ。
「相変わらず失礼な弟ね!」
それは、詠唱であった。大きく大地がうごめくと、クレーはクレーで短く言葉を発し、地面から足を浮かせ、三十センチほど宙に浮いて見せた。
「もしかして、この大地の揺れは姉さんが起こしているの? いい加減、止めてくれないかなぁ。レーゼはどこを調査しているんだ。使い物にならないなぁ」
他人事のように、相も変わらず浮いていることで地震から身を守っているクレーは、ふわふわと浮遊しながら、リズーのところへと移った。そして、コーヒーカップを平和に渡す。
クレーもレーゼも、「魔術」の波動ではないと、判断していた。
しかし、これを前触れとして「最強」とも呼べよう、有能な「魔術士」が帰還した。
「魔女をなめんな」
そう、この騒がしい彼女こそが、噂の「魔女」であった。
「なめたことはないよ、姉さん。だから、いい加減落ち着いてくれないかなぁ。ほら、シルドの住民もびっくりしちゃうでしょ?」
クレーは、ほとほと困り果てた様子で、姉に懇願してみせた。「魔女」の前では、そこそこに有能であると自負する自らの「魔力」も、「無」に等しいという自覚がある為だ。それに、口も悪くうるさく、実際「力」もあるこの絶対的な「姉」を相手にして、勝てる自信がなかったのだ。
「あっそ? じゃ、止めてあげるわ」
あっさり言ってのけると、それが効力を止める呪文だったのか。あれほどまでにも激しく続いていた地震が、ぴたりと止まった。やはり、姉の仕業だったのかと、クレーはため息を吐いた。揺れが収まれば、レーゼも戻るだろうと考える。
ただし、分からないことがある。なぜ、姉は地震を起こしたのか。帰宅するのに、地震を起こす必要性はまるでない。そこには、何かしらの理由が隠されていると、クレーは考えた。
「姉さん。隠し事はよくないよ?」
「ふふん。相変わらず可愛くない子ね」
魔女の顔からは、余裕の笑みが消えていた。それを見て、クレーは「今」、この件については話をすべきことではないと直感を働かせ、話題を変えた。
「この子は、レーゼが十年前に拾って来た赤子で孤児。リズラルドだよ。僕が、お父さん。ね、リズー?」
怒涛の嵐のような攻防戦の中に、参戦させられたリズーはただ、目をぱちくりとさせてから、今、自分がこの「ルイナ」という女性に対して紹介されていることを認識すると、ぺこりと頭だけ下げた。話の流れから、この女性がリズーの父、クレーの「姉」であることは、掴んでいた。
「あ、あの……どーも」
「リズーねぇ。つまりは、十歳なわけ? なんでこんな、チビすけなのよ。容姿から察すると、魔術士みたいだけど、まったく魔力を感じないわ」
いとも簡単に、魔女はリズーを見抜いて見せた。ただ、そこに違和感を覚えている。細く整えられたきりっとした眉をやや吊り上げ、目は細めて観察する。ぐっと顔をリズーに近づけると、まだまだ子どもで、二重のくっきりした黒い小童の瞳を覗き込み、湿っぽい髪を撫でまわした。
「十年前って言ったら、あたしが魔王ちゃんを封印した年ね。何か、関係があるのかしら?」
「魔王……ちゃん?」
魔王とは、世界で最も恐れられている存在だ。封印されたとはいえ、今また、復活の予兆があると、シルドの民も怯えているのだ。その魔王を「ちゃん」付けで呼ぶものが、まさかこのヘルリオットの世界に居るとは、リズーは想像もしていなかった。
どこまでも、自分の想像をはるかに超えたところに居る大人だと、リズーは感じ取ってから、せっかく受け取ったコーヒーを飲もうと、カップに口をつけようとした……そのとき、魔女は動いた。
「クレー。これ、あんた好みのコーヒーじゃないの? こんなまっずいもんを、子どもに与えんじゃないわよ。毒よ、毒」
そういって、あっさりリズーの手の中から、魔女はカップを奪い去ってしまった。それを、呆然と見つめることしかできないリズーは、コーヒーを飲むチャンスを逃したというよりは、突然現れたこの「姉」という存在と、どう向き合えばよいのかを考えてしまっていた。
クレーの姉。つまりは、レーゼの姉でもあるのだ。嫌われてはいけないと、子どもながらに思った。ただ、この「姉」の好き嫌いが読めない。さらに、とても「好き」なものは、守備範囲が狭そうに映るのだ。
リズーは、困っていた。どうすればよいのか、父親に委ねようと視線を飛ばしたが、クレーもなんだか疲れているようで、リズーの視線には気づかない。もしくは、気づかないフリをしている。
ルイナは、リズーから奪ったカップを口にすると、自ら「まずい」と称したクレー特性コーヒーを、ごくごくと喉に通していく。そして、まるでビールでも飲んだあとのように、豪かいに「ぷはー!」と、息継ぎをした。
「まずい!」
「じゃあ、飲まないでよ。僕の貴重なコーヒーなんだからぁ」
クレーは、姉からカップを受け取ると、その中身を覗いた。すでに空だ。無駄に、一気飲みしてしまったらしい。
ガチャ。
再び、ドアノブを開ける音がする。その、静かな入り方は、ルイナとは対照的であった。
「あっら、レーゼ。相変わらず女々しいわね」
「相変わらず姉さんは、男らしいですね」
地震の根源が掴めなかったのは、その根源が移動していたからであった。そして、その根源が、不安定だったのだから、それも無理もない話というものだ。決して、レーゼの探索が劣っていたという評価ではない。久しぶりに顔を合わせたルイナとレーゼは、冷めた対応であった。
「先生。この、ルイナって女のひとは……」
黒猫のような女性を、恐る恐る見つめながらも、リズーは声を発した。この女性が誰なのであるか、それは概ね分かっていた。リズーが慕う、ふたりの青年の「姉」であるということは、明らか。ただ、その女性は自らを「魔女」と呼んだ。
魔女とは、あの「魔女」のことなのか。
一致させてよいものか、リズーには判断が出来ずにいた。
地震が収まったことで、浮遊する理由がなくなったクレーは、魔術の効力を解き、地面に再び足を下ろした。そして、腕組をしながら、レーゼとルイナの顔を見据えていた。
「ルイナは、私達の姉。そして……」
レーゼは、一息ついてから、後を続けた。
「魔王を封印した、伝説の魔女です」
「魔女……」
リズーがぽつりと単語を繰り返すと、魔女は軽くウインクしてリズーを見つめた。
「そうよ、あたしが魔女。魔王ちゃんを封印してあげたの」
見た目は、クレーとレーゼとそう変わらない年齢に見える。二十歳そこそこか……と、いうことは。魔王が封印されたのは、十年前である。この魔女の年齢は、当時十歳かそこらだったという計算に至る。リズーは、まさか世界を救ったと言われる魔女が、このような口うるさい、黒猫のような容姿の若い女性だとは、思いもしていなかった。さらに言えば、まさか敬愛する父親と先生の、「姉」という存在だったということにも、驚きを隠せなかった。
(先生と父さんが、魔女の弟……)
そこに、どんな意味があるのか。それが、何を意味してこれからどうなるのか。リズーに想像が出来るはずもなかった。
「聞きたいことなら、こっちにもあんのよ」
魔女は言った。
「この、魔術士もどきのチビすけは、何者?」
それは、リズーの存在を否定するかのような、冷たい響きとなって空気の中へ消えていった。
「だからぁ、リズーは僕の可愛い子どもだよぉ」
「愚者のあんたには聞いてない。レーゼ、答えなさい」
レーゼは眉を寄せて明らかに困った表情を浮かべながら、どのようにリズーに関して説明するかを、考えた。なぜ、説明に困るのかといえば、レーゼ自身。リズーに関しての情報があまりにも少なかったからである。
レーゼもクレーも、リズーの容姿を見て、そこに「違和感」を覚えたことは確かであった。その容姿をもって、本来「魔力」が解放されるべき年齢になった今、何の変化も現れないことに関してもまた、然り。レーゼは表情を沈ませていく。魔女である姉を、納得させられるほどの答えは、どうやら用意できそうにない。
「まぁまぁ、姉さん。レーゼを叩いても、埃くらいしか出ないよー?」
「あんたを叩いたら、何か出るわけ? 有益な情報を得たいの、あたしは。わかる? 無能魔術士」
「ひどい言われ用だなぁ。これでも、今は王都派遣の正式な魔術士武官だよー?」
それを聞いて、ぴくっと魔女は眉を再び吊り上げた。この様子。嫌なことを思い出したかのように見える。クレーは余計なところに触れてしまったと、天を仰いだ。レーゼに助け舟を出したつもりが、とんだ失敗である。
「そうよ。王都派遣はみんな無能。単なるバカでハゲよ」
「ハゲに何かされたのー?」
突っ込みどころは、そこで合っていたのだろうか。そんなことをリズーはふと、思った。しかし、今は自分には口をはさめる隙も権利もないと判断し、利口に黙っている。
(ハゲって、誰のことや?)
ただ、疑問に思うことくらいは、個人の自由であるだろうと、リズーは胸中でひとり呟いていた。
黒猫魔女は、この木造の部屋を一瞥した。何かを探している様子である。レーゼもクレーも、その様子をただ見守るだけで、口出しはしなくなった。
姉には逆らってはいけない。
そういう、絶対図が見えてきた。