動き出す兄弟
シルドの村を襲った地震が長く続く。
自然現象ではないと感じ取った魔術士兄弟の弟、レーゼは外へ出て調査する。
一方兄であるクレーは、黙考を続け……?
「兄さん。やけに長い揺れです」
「そうだね」
「これって、もしかして……魔王の波動なのではないでしょうか」
「そうかもねぇ」
テーブル席から立ちあがり、レーゼは地面から突き上げるような揺れ、脈打つような揺れを感じ取り、王都派遣の魔術士として持っている知識、情報からこの要因を割り出そうとしていた。もしこれが、最近問題となっている「魔王」の復活の前兆ならば、のんびりと自宅待機の武官をしている訳にもいかなくなる。
魔王とは、一度は封印された存在である。
この世界を救った、ある「魔女」の存在により、「魔王」は力無き存在となった……はずであった。
そのため、「魔王」に恐怖を抱き、魔王の手下である魔獣たちに警戒することも、最近ではなくなり、平和な日常を取り戻していたヘルリオットの民たちは、その王都より有能な魔術士を役所に配置し、念のための防壁を得ることによって、安堵していたのだ。
しかし、役場でも問題にあがっていたが、「魔王」が再び動き出したという兆候があるという噂だ。その噂を耳にした直近に、このようなプレートの移動や、火山活動による地震活動とは異なるような妙な揺れが起こり、それも、このように長時間続いているということは、安直に「問題ない」という結論に至ることは出来ない。
レーゼは、「魔術」の波動がどこからか流れていないか探る為、家を飛び出すと乾いた土の上に腰を下ろし、手を伸ばして地面にその手のひらを当てた。地脈を通して、魔術士が攻撃している可能性も否定はできないからである。その場合、こうすれば術者の「魔力」を察知し、発生源を特定できるのだ。それだけの能力を、レーゼは持ち合わせていた。
(違う。魔術士によるものではない)
自分と同じ力、同じにおいは残念ながらしなかった。もしもこれが、どこぞの魔術士の攻撃、或いは性質の悪い悪戯であったならば、自らの術を持って、地脈に鎮静魔術の構成を編み込み、魔力を注ぐことによって、揺れを抑えることが出来たはずであった。しかし、そうではないのならば、別の理由を見つけ出し、改善する義務がある。
その義務はもちろん、王都派遣の役人魔術士である兄、クレーにもある。しかしクレーは、木製で作られた、ややいびつな形をした椅子に腰を下ろし、ゆとりのある黒い麻のズボンに、やや大きめなフード付きで裾の長い黒のタンクトップを着た状態で、相も変わらず濃い味の渋みの強いコーヒーに、口をつけているだけである。「魔王の復活」などと、血相を変える弟とは、態度がかなり違う。
世の中、落ち着いて物事を見るということは、確かに正しい。慌ててみたところで、正しい判断が出来るのかといえば、そういうものではない。しかし、レーゼのように保持している能力を活かして、現状を打破しようとする行為もまた、決して愚かではない。この兄弟は、こういう点でもうまくバランスが取れていると言える。
ただし、見た目で判断するならば、真っ先に家を飛び出して現地調査しそうなのは、ものぐさそうな格好ではあるが、実労働が向いていそうな兄のクレーであった。
クレーは、コーヒーをすすりながら、浴室の方へ目を向けた。地下層から突起物でも生えて来たのではないかと思えるほどの衝撃から、大きな揺れが今もなお続いている。それなのに、浴室からは悲鳴もなければ、助けを求めてくる声も何もないのである。揺れの原因が気にならない訳ではないが、クレーにとってはこのこともまた、問題視しなければならない実状だと受け止めていた。
「何も言わないんだからなぁ」
ぼやきとも、嘆きとも、諦めとも取れる言葉を呟きながら、クレーは短髪のボサボサ頭をわしゃわしゃと掻き毟った。こんなつもりではなかったと、自らのこれまでの接し方を見直しながらだ。
誰への接し方かは、ひとりには絞れない。リズーもその中の筆頭にあがるのかもしれないが、クレーは実の弟であるレーゼへの応対に対しても、見直す点はあると考えていた。そして、リズーへの攻撃が増してきた此処、シルドの町民への対処も、リズーの為というよりは、王都の遣いとして、考えるべきときが来たのだと、感じるのであった。
「王都魔術士なんて称号、返還しちゃおっかなぁ」
とうとう、思考すること。現実問題と直面することを、面倒なことだと処理してしまった。
王都魔術士という称号は、得るには相当な実力を保持し、それを証明する必要性がある。しかし、それを返還することは実は可能な行為である。ただし、これまで「金」に困らなかったのは、その称号により役人の職に就いていたからである。返還すれば、その役職も捨てることになる。仕事がなくなり、責任もなくなる。楽といえば、楽になれるのかもしれないが、裕福な暮らしは望めまい。別口で生きていくための稼ぎを見つける必要性はあった。
それでも、クレーは構わないと思っていた。自分が「魔王」に関わることは、リスクがあると考えているからだ。
クレーは、「魔王」に近しい存在であった。
クレーは、「魔王」復活を誘発する可能性のある魔術士のひとりであると考えられていた。
レーゼとクレーは、優れた魔術士である。ふたりとも、良識ある有能な魔術士のため、その力を自らの誇示のためにそれを使おうとはしてこなかった。レーゼは特に潔癖なところがあり、強く受け継いだ魔力を、王都にはそこまで把握させないようにし、自らを王都とは離れた「シルド」という小さな町に派遣するよう、仕向けた。クレーはクレーなりに考えを持ち、同じく強く受け継いだ魔力を王都ヘルリオットの好きにさせるつもりはなく、愚者を装い、レーゼよりも下っ端にあたる部署へ配属されるよう、仕向けていた。
しかし、実際レーゼとクレーの魔力を比べてみると、明らかな差が出るほどクレーの方が魔力、術力、魔術の構成力、経験。すべてにおいて、上回っていた。
だからこそ、クレーはレーゼのように外へ出て地脈を調べることもせず、これが第三者による魔術発動の余波ではないと、判断出来ている。すでに察知済みであるということを、レーゼに伝えなかったのは、弟の矜持を守る為だ。クレーは別に、自らの力を弟をはじめ、他者に見せつけたりなどしたくはなかった。そんなことは、するだけ無駄だという思考に至った為である。
そんなことよりも、クレーには懸念すべきことがあった。
強い力のもとには、強い力が集まる。
昔から、そう言い伝えられてきている。
現段階で、最高峰の魔術士のひとりであるクレー。そしてレーゼ。
そのふたりがともに居るということは、この地域で「魔王」の復活を誘発してしまうことも、十分に考えられることであった。
「魔王」は、魔力の流れによって再び復活されると言われている。そのため、王都ヘルリオットの重臣は、魔術士を分散させ、魔力の集中を避けて来た云われもある。そこをくみ取って、レーゼとクレーは別々の村に派遣されるべきであった。しかしそれをしなかったことには、「魔王」が封印された十年前。同時期にシルドの村で黒髪黒目。魔術士の特徴を持った赤子が発見されたという情報を察知した背景がある。
レーゼもクレーも、リズーと魔王との間に、何かしらの関係性があるのではないかと、考えたのだ。魔術士とは、その特徴を持った容姿で生まれてくるが、その能力が開花するのは、実は赤子の頃ではないのだ。十歳になったとき、はじめて魔力が体内にみなぎり、魔術構成を練った際にその魔力を用いて、魔術を発動できる、いわば正式な「魔術士」として独り立ちできるのである。
レーゼが懸念を抱いていた点は、十歳になっても、魔術士の容貌を持ちながら、未だに「魔術士」として覚醒しないリズーの実状であった。リズーに対して無償の愛を注いでいるように見える父親のクレーが、まったく関心がないようであった為、レーゼは今晩意を決して兄に進言したのだが、一蹴されてしまった。その背景には、クレーにもその意識があるということ。リズーは普通の町民の子どもではなく、何かしらの意味を持って生まれた子どもだと、言われなくとも認識しているということである。
(リズーにとうとう、異変が起きたのかなぁ)
レーゼが町役場からリズーを拾い、その親権を譲り受けたときから、クレーは覚悟を決めていた。いつかは、リズーと対峙するときが来るかもしれないということも、念頭に置いていた。そのため、リズーを拾ってきて、力のあるクレーとレーゼの兄弟で引き取ることに関しては異論を唱えなかった。だが、名前を与えることに関しては、はじめからクレーは反対していたのである。しかし、レーゼが「名前がないと、何かと不便だから」という安易な理由で押し通し、名付けて役所へ提出してしまった為、レーゼとクレーのファミリーネームである「サレンディーズ」という苗字を名乗らせ、「リズラルド・サレンディーズ」という名前でこれまで生かしてきたのだ。
しかし、「魔王」と関連があるのならば、いくら情が移っていたとはいえ、王都の魔術士をやめていたとしても、力ある魔術士のひとりとして、対処しなければならないと、覚悟は決めていた。
「魔王」とは、それだけの力を持った脅威であった。
だからこそ、十年前に封印する運びとなったのである。
では、そんな「魔王」を封印するほどの力を持った「魔女」とは誰なのか。
「魔女」は、脅威ではないのか。
そこもまた、王都ヘルリオットとしては、避けては通れない問題がある。それでも、これまで大した対策をしてこなかったことにもまた、理由はあった。
一番の理由は、「魔女」の居場所が誰にも掴めなくなってしまったことにある。隠居生活でもしているのだろうと踏んでいるのだが、定かな情報は一切ない。一応、王都から各役所へ、情報提供は求めているのだが、これまでどんな些細な情報すら、入った形跡はない。