怒りの魔女
つい何時間か前まで居た我が家。それなのに、何故か違和感を覚える魔女は、勢いよく玄関ドアを蹴り開けた。鍵などついていない。何者かが攻め入って来るとしたら、魔術士か天士だろう。ただの人間の賊が押し入って来るようならば、自身の力でねじ伏せればいい。そう考えていた。魔術士武官くらいならば、魔女でも相手できると思っている。
ただし、敵が天士だったとしたら……。
いや、どちらにしても、鍵など無意味であることに違いはない。
「セルシ! ちび助!」
家に残して来た元神と天士。そのふたりの姿は、居間には無かった。無性に嫌な気がして仕方ない。その時、クレーの部屋の扉が開いていることに気が付いた。魔女はレーゼをほったらかしにして、構わず駆け込んだ。扉をまた最大限まで開けると、中を確認する。
「クレー!!」
「……ルイナさん」
魔女の目に映ったもの。それは、弟の姿では無かった。セルシと天士、ふたりの天界人の姿しかない。反射的にクレーのベッドに視線を送るが、そこにも弟の姿はなかった。咄嗟に舌うちし、魔女はセルシを睨みつけた。
「どういうこと!? クレーはどこへ行ったの!?」
「すみません……分からないんです」
「分からない? 分からないなんて、そんなはずがないでしょう!?」
理不尽な怒りだ。魔女はそれを自覚していた。けれども、魔女は自分の心の奥底から沸き起こる怒りを、抑えることが出来なかった。
ここに遺体はない。クレーは死んだ訳ではないのだろう。いや、そう思いたい。ただ、ベッドは血濡れている。クレーの傷が塞がっていなかったことを意味していると断定していいだろう。それなら、その傷を負ったままの状態でクレーはどこへ消えたというのだ。セルシは居場所が分からないという。千里眼を使えるはずのセルシに、追えない場所にクレーが居るとでもいうのか。そんなことがあってたまるかと、魔女は歯を食いしばる。
「アンタは元神でしょう!? そのアンタに分からないなんて、ありえないわ!」
「本当に……すみません。僕にも分からないんです。クレーさんが、どこへ行ったのかも、誰がクレーさんを連れ去ったのかも」
「クレーが……連れ去らわれた?」
ひとつ、ひとつの音を噛みしめるように、魔女はセルシの言葉を聞き入れ、自分の言葉として飲みこんだ。現実を受けとめ、把握しなければならない。クレーが連れ去らわれたというのであれば、命の危険も高い。魔女は天士であるリズーにも言葉を掛けた。
「ちび助。アンタにも分からないの?」
「悪い……俺たちが父さんの部屋に来たときにはもう、姿がなかったんや。窓を開けたのは俺やけど、その後俺とセルシは居間に戻ってて」
「……窓から、攫われたっていうのね」
「えぇ。窓の枠には血痕が残されていました」
「姉さん……クレーが、攫われたって……?」
魔女に遅れて部屋に入って来たレーゼは、「信じられない」という顔をして目を見開いた。転移の魔術で身体に負荷がかかり、身体に力が上手く入らないらしい。ドアに凭れかかり、冷や汗を流しながら立っていた。魔女が手を差し伸べるより先に、リズーがレーゼに駆け寄り、身体を支えた。レーゼは、今となっては自身より背丈の高いリズーにぺこりと頭を下げ、支える手に甘えて身体を預けた。
「あたしが探しに行くわ」
「もう、夜になります。攫った相手が誰なのかも分からない今、動くのは得策とは思えません」
「セルシ! これは、一刻を争うことよ!? 敵は、千里眼の力も及ばない場所にクレーを連れて行った……それが事実。そんな相手、天界の人間でしかないわよ!」
「そう……ですよね」
否定はしなかった。むしろ、そうでしかないとセルシも結論を出していたからだ。しかし、だからといって今すぐに出発することは、やはり肯定的にはなれなかった。魔女は特出した力を持っている。それは、地上最強のイレギュラーの力といえる。それでも、相手が天界の人間だとしたら、魔女の力は通じない可能性は大いにある。それだけじゃない。魔女は今、冷静さを欠いていた。今の魔女を行かせるのは得策ではないと感じていた。
「ですがルイナさん。今のあなたは、冷静ではない。本来の力を出せるとも思えません」
「あたしは冷静よ!」
「いいえ、冷静さを欠いています。それに、もし天界の者がクレーさんを狙って来たとするならば、もう既に……クレーさんの命はありません」
「……」
「それに、クレーさんを葬るならば、攫う理由がありません。ここで仕留めればよかったんです。それをしなかったということは、生かされている可能性が高い……相手を、敵としましょうか。敵の目的に当たりをつけてからでも、遅くはありません」
「本当に……そう思う?」
魔女は、低く呻くようにそう呟いた。その言葉に対して、セルシはゆっくりと頷き肯定の意を示す。すると魔女は、しばらく黙った後に、「はぁ」と重々しく息を吐きだした。




