消えたクレー
扉の前で立ち止まると、一応ノックをする。
コンコン。
「父さん? 俺や、入るで?」
中からの返事は無かった。そのことに若干の違和感も覚えず、リズーはドアノブを回して扉を開けた。床から部屋の中へと視線を上げる……そこには、カーテンがゆらゆらと揺れる窓があった。
「……父さん?」
もう一度、呼びかける。しかし、返事が返って来ることは無かった。リズーの声は空気を虚しく振動させるだけで、部屋の中から外へ抜けていく。リズーの声を受けとめる相手が居なかったのだ。
「父さん!?」
既にめくれているベッドの布団を鷲掴みにして、力任せに一気に左から右へと剥いだ。布団をまくることで現れた白いシーツは、赤い鮮血で汚れていた。それはプラチナの短剣で自らを貫いたクレーの傷口が、塞がっていないことを意味していた。リズーは奥歯をギリっと噛みしめ、布団から手を離した。ふぁさっと布団が床に落ちる。
後になって入って来たセルシも、状況を見て窓のサンに触れた。まだ建って新しい家だ。埃も溜まっていない。ただ、埃よりも気になることがあった。右手の人差し指でサンをなぞる。すると、若干ではあるが血濡れた様子を確認できた。人差し指が赤く染まる。
「セルシ……父さんは…………」
「外へ、行ったようですね」
「あの傷で!? なんでや……」
セルシは目を細め、厳しい表情で外を見た。肉眼ではクレーの姿は捉えられない。「神」として残っている唯一の力、「千里眼」を働かせても、何故か場所の特定には至らなかった。そのことから、セルシは理解しなければならなかった。重々しく口を開く。
「自分の意志で外へ出たなら、まだいいでしょう。ただ、そうでないのならば……」
「攫われた可能性があるって?」
「えぇ……可能性は、高いと思いま
す」
「……セルシ、探しに行こう!」
「僕は残ります」
「えっ……なんでや!?」
リズーが黄金色の目を光らせて、セルシの方へ一歩踏み出した。でもその問いかけが愚問だったことにすぐ気づき、口を閉じて「うん」と頷いた。
「先生と魔女さんに、伝えなあかんからやな!」
「はい」
その答えに満足したのか、リズーはニッと口元に笑みを浮かべた。そのまま、窓を飛び越えて外に飛び出した。リズーは天士の力で空を自由自在に飛ぶことが出来た。浮遊の力で重力を緩和し宙に浮かぶと、そのまま空まで昇りクレーを探しに出た。その光景をセルシは黙って見守り、窓から外を見上げた。
(クレーさん……無事でいてください)
生きる気力のなかったクレーが、自らの意志で外へ出たとは考えにくい。しかし、何者かがこのラックフィールドを訪れ、家からクレーを攫った気配など、まるで感じられなかったのだ。人間魔術士のレベルで、元神や天士を欺けるなど、考えにくい。
(……天界からの、使者。天士が他に居たとしたならば……)
嫌でも可能性を考えなければならない。複数の可能性を考え、答えを導き出さなければならない。
もうひとつの問題は、クレーの寝ていた布団だ。鮮血が沁み込んでいる。やはり、あのときの魔女の力をもってしても、治癒出来ていなかったことが明らかになってしまった。これだけの失血量では、何者がクレーを狙っていたとしても、時間の問題でクレーは失血死してしまう。セルシは自然と、両手を組んで親指を唇に当てた。祈りを捧げる時の癖が、つい出てしまったのだ。
「……ルイナさん」
セルシの声は、今は誰にも届かない。か細い声は虚しく部屋の中に消えていった。




