天士の役目
魔女は今、絶対的力を持っている。プラチナの短剣を保持しているのも、魔女だった。本当に魔女が次なる魔王となるのならば、セルシは覚悟を決めなければならなかった。もう一度、「神」として覚醒できれば……魔女のイレギュラーを抑えることが出来るかもしれない。
(かもしれない……ルイナさんが、魔王として覚醒する可能性も、あくまでも“かもしれない”にすぎないですね)
「セルシ?」
考え過ぎかもしれない。セルシは軽く嘆息した。既に冷えている白湯をコクっと喉奥に流し込む。向かい側に座っているリズーも、同じタイミングでミルクを飲んでいた。
赤子の姿から十年間、イレギュラーの魔術士たちに育てられたリズラルドは、実際の年齢が幾つなのか。セルシにも分からなかった。セルシが魔王と覚醒してしまった、第一次魔王戦でも「天士」の姿はあった。その天士の名は分からない。見た目は確かに緑の髪に黄金の瞳、リズーと同じものだった。背丈は今のリズーと同じくらいだったと記憶している。しかし、第一次魔王戦後に姿をくらませてしまった。セルシが魔王の力、神の力を放棄することに成功し、それと同時に天士も役目を終えたかのように、消えてしまったのだ。
精神破壊の魔力を使うのが「天士」だ。ヘルリオットの魔術士武官は、精神支配から逃れるためのある程度の訓練を受けているが、それでも精神破壊の魔術を受けてはどうにもならない。十年前、イレギュラーとして覚醒していた魔女ですら、天士の歌声には歯が立たなかった。
「リズラルド。あなたは、いつから天士としてこの地に降り立ったのですか?」
「いつから? ……なんでや?」
「天士がこの世界に、何人ほどいるのか……把握したいと思いまして」
「……天士連盟なんてないで? 俺にもわからん」
返答までに少しの間があった。セルシはその一瞬に、何故か妙な違和感を覚えた。リズーは気にしていないようだ。何か、意図したものではなかったのか。それとも実際は、連盟があるのか。
セルシがひとり黙考している様子を、リズーはじっと眺めていた。
「天士の数を把握することと、父さんを助けることって何か関係があるん?」
「そうですね……他にも天士が居るとして、クレーさんを潰しに来ないとも言えないでしょう?」
「……天士は、地上界のイレギュラーを排除する存在やでなぁ」
「……」
今度はセルシが黙った。分かっていても、いざ天士の口からその言葉を聞かされると、胸にズキっと痛みが走る。
リズーはクレーとレーゼ、魔女のことも慕っている。セルシの言うことも聞いてくれる。しかし、セルシが「神」としての力を既に失っていることが問題となり、リズーが手の平を返すことにもなりかねないのではないか。そのときに、ふとセルシはある一筋の可能性に辿り着いた。
(僕が神としての力をまた取り戻せれば、ルイナさんもレーゼさんも、クレーさんも助かる……?)
天士は神の遣いでもある。イレギュラーの排除を使命としていても、天界の頂点に立つ「神」の進言が何よりも優先されるはずだ。それならば、セルシが神として再び君臨したら、天士の脅威からはイレギュラーたちを守れるのではないか。セルシはそう結論付けた。
ただ、「神」に戻る術が明らかではない。
魔力を持たない約束をし、魔女と結託したことを裏切ることにもなってしまう。
セルシは再び俯いた。マスカラでも付けているのかという程、長く伸びた睫毛が美しい。さらりとしたストレートの長い銀髪は、風に揺れていた。




