セルシの憂鬱
風が強くなってきた。空気を換えようと窓を開けてみたが、黒のカーテンがゆらゆらと揺れる。魔術士は「黒」を使う嗜好があった。衣服も黒を基調としている。魔女も弟たちも、みな黒服に身を包んでいた。
「どう思う? セルシ」
「何がですか?」
緑の髪を腰辺りまで伸ばした天士リズラルドことリズーは、椅子に座ってミルクを飲みながら元神セルシオンに話しかけた。セルシは静かに白湯を飲んでいる。銀色の長い髪と紅の深い瞳が白湯の表面に映りこんでいる。その表情は暗い。
「父さんのことや。あのままじゃ、ほんまに死んでまう」
「……そうでしょうね」
「! そうでしょうね……って、セルシはそれでいいんか!?」
天士として覚醒した直後は、父も師匠も関係なく攻撃的だったリズーだが、第二次魔王戦を通して自我が戻り、今ではクレーを「父」、レーゼは「先生」と呼ぶようになっていた。魔女のことは変わらず「魔女さん」と呼んでいる。
セルシは視線を落とし、目を閉じた。その脳裏には、クレーが自身をプラチナの短剣で刺したときの光景が思い浮かんでいた。
クレーは、魔王としての暴走を、誰かに止めて欲しかったのではないか。
「悪」になりきることで、誰かに滅して欲しかったのではないか。
そんな気がしてならなかった。
「リズラルド……あなたには、天界に居たときの記憶はありますか?」
「なんや、突然に」
「僕はもう、神として存在できません。容姿も、これはルイナさんとの約束で、魔力の放棄の証とイレギュラーを受け入れるという証です。僕は無力なんです」
「銀髪に紅い目ってだけでも、十分イレギュラーやけどな」
「それなら、僕は余計に半端者です」
まるで、懺悔を聞かされているような気分だった。リズーはミルクの入ったカップをコツンとテーブルに置くと、右手で頬杖をついた。軽く嘆息してみせる。
「……後悔してるん?」
「……」
セルシは答えなかった。いや、それが答えなのだろう。リズーは、ちらっと奥の部屋のドアに視線を向けた。そこは、クレーの部屋である。
「俺は、父さんを助けたい。このまま見殺しになんかさせへん」
「それは、罪を償わせるためですか?」
「せやな。それもあるし……単純に、俺は十年間父さんと先生に育てられたんや。情ができても不思議やない」
「天士として覚醒してもなお、そう呼べるあなたは素晴らしいと思います。金にくらんで魔術の統制を受けているヘルリオットの武官たちよりもずっと、人間らしいと僕は思います」
「金が大事ってことも、痛感しとるけどな」
リズーは苦笑いをしてみせる。
この家は、魔女が魔術を使って創りだした木製の住居だった。荒地と化してしまっていたラックフィールドから、新たに人生をはじめようと提案し、木を運んで来ては魔術で構築していった。それは、錬金術とも呼べたかもしれない。覚醒した魔女に出来ないことはないのではないか、セルシはそれくらい魔女を評価していた。そして同時に、懸念することもあった。
人間離れした魔女が、もし次なる「魔王」に覚醒したら。
この世界は、かつてないほどの恐慌に陥るのではないか。
それなら、自分を含めたイレギュラーを全て、絶つべきか?
そんな考えもよぎるが、セルシにはとてもそのような非道なことは出来そうになかった。また、今のセルシでは魔女に及ばないことも分かっていた。
自分が神であるならば、平和な世界のために出来ることをすべきだったと思う。しかし今は、セルシは神ではない。魔王でもない。魔王に変貌してしまった自分を救ってくれたのは、他でもない「魔女」だった。その魔女を、危険因子として排除しようとする動きは、流石に選べなかった。




