癒えない傷
――ラックフィールド。
開け放たれた窓からは、サラサラと風は吹きこんでいた。その度にカーテンがゆらゆらし、太陽のきらめきが差し込む。今、布団の中にもぐりこんで逃げているクレーには、この環境が苦しかった。
ボサボサ頭に寝癖をつけながら、ぐっと左腕に力を込めて、なんとか身体を起こす。身体に掛けていた布団がずるりと床に落ちた。同時にズキっと腹部に激しい痛みが走るが、クレーは顔を歪めながらも笑った。傷によって自分は十字架に貼り付けられている。咎人として今生きている証は、痛みなのだと分かっていたからだ。腹部にはガーゼをあてがって何重もの包帯が巻かれているが、それでも血は止まらず滲んでいた。この傷が癒えることはないと、クレーは目を閉じた。
目を閉じても尚、差し込んでくる明かり目障りで、クレーは溜息を吐いた。
(…………遠いな)
ベッドから窓まで、何歩で行けるだろうか。クレーはそんなどうでもいいことを考えていた。考えているうちに、さっさと歩いて閉めればいいものを、自分自身を嘲笑いながらも、一歩を踏み出せずにいる。
この傷は、誰が思うよりも痛みを伴うものだった。だが、この痛みを完全に理解できる者が自分の他に「一人だけ」存在していた。
レーゼだ。
クレーは、プラチナの短剣という天界の産物でレーゼの腹部を確かに貫いた。あの場に居合わせたのが、セルシと魔女でなかったならば……レーゼは間違いなく絶命していた。しかし、実際のところレーゼは死ななかった。
そもそも、クレーは初めからレーゼを殺すつもりなどなかったのだ。
(僕は、何がしたかったんだろうね)
イレギュラーである姉を持つクレーは、憂鬱に苛まれていた。いつでも姉は先を行く。追いついたと思えたことなどない。いや、魔王として覚醒し、プラチナの短剣を見つけ出した瞬間……あの一瞬だけは、クレーと魔女の立場は逆転していたかもしれない。
風はまだ、さらさらと優しく吹いている。カーテンがなびく様は不規則で飽きないが、「こっちへ来い」と挑発されているようにも見えて、そこは腹が立つ。
(姉さんと立場が逆転したところで、僕は何も得られなかった……いや、むしろ、失うばかりだったね)
自分は、常に生かされている身なのだということを、思い知った。
頭がくらくらするのは、ろくに食べておらず、寝てもいないからだろう。眼前が暗くなって来た。このまま意識を手放して、二度と目覚めることがなければいいのに、と。クレーは力を失くしてガクッとベッドの中に倒れ込んだ。白いシーツが赤く染まっていく。
生まれた瞬間から、姉の背を追いかけることしか出来なかったクレーは、ただ姉に認めてもらいたかったのだろうか。自分自身でも分からない。ただ言えることは、魔王として覚醒したのは、自分の意志からではない。偶然の出来事であった。リズーを拾ったことも、育てたことも、全ては偶然の産物。こんな未来、誰も予見していなかった。元「神」であったセルシですら、予知できていなかったことだろう。分かっていた未来ならば、プラチナの短剣をクレーに奪われるような真似をするはずがない。
世界は、残酷だ。
生きたいと思う命を奪い、死にたいと思う命を生かす。
こんな世界、狂っているとしか言いようが無かった。
(自害出来ない僕も、馬鹿だね)
生きているのが退屈で苦痛で仕方がないのに、自ら死ねる術を持っているのに、クレーは自分を生かし続けている。それは第二次魔王戦からの一週間の話ではない。この世に生まれ落ち、魔女の弟として自我が芽生えてからずっとのことだ。魔女の背に触れることも出来ない自分が、何故魔女を上回れるのか。結局のところ、どの時点を見てみても、クレーは魔女に及ばない。イレギュラーのなり損ねだった。
細く切れ長の目をうっすらと開けた。真っ赤に染まるシーツの染みを見て、右手でそこに触れた。濡れている。いや当然か。外からの風が一瞬強まり、クレーの短めの髪をなびかせた。




