魔女の気遣い
ダレンス。
荒野の中、そこにだけは繁みといえるほどの木々が並び、池もある小さな町。地面は舗装されておらず、歩けば砂塵が舞う。王都ヘルリオットまでは、馬車で二週間ほどかかる場所にあった。魔女は一週間、ちょくちょくこの町に足を運んでいた。食料調達と情報収集のためだ。
「無事、着いたわね」
「えぇ。随分と時間がかかってしまいましたね。すみません」
「だから、謝ることじゃないわ。初めてにしては、上出来よ」
姉からの褒め言葉に慣れておらず、レーゼは二重の優しい瞳をまるめた。そのままくすっと笑って、目を閉じる。体中から汗が噴き出て、今にも倒れてしまいそうだ。今、立っているのが不思議なくらい、レーゼはギリギリのところで生きていた。目をゆっくりあけ汗ばむ手の平を見て、痩せ衰えた手首が視界に入ると、気が滅入ってしまう。自分はこんなにも不健康な身体になってしまったのかと、今度は力なく笑った。その儚げな笑みを見て、魔女は凛とした声を発する。
「薬に刻印、プラチナの短剣……その全てを受けてもなお生きている、アンタは不運かもしれない」
「……」
「でも、生きている。アンタは、この世界に生かされたのよ」
「姉、さん……」
喉が渇ききって、掠れた声になってしまった。レーゼは、姉の言葉を肯定的には受け取れなかった。姉の言葉が頭の中で反芻される。胸にはもう刻印もなければ、腹部の刺し傷も癒えている。残されているのは薬の副作用。これは、クレーからの提案による服薬の影響だが、嫌なら拒めばよかったのだ。この件に関しては、誰のせいでもなく、レーゼ自身の選択による結果だと認めている。誰のせいにするつもりもなかった。
思えば、自分があのときクレーの提案を断っていれば、第二次魔王戦など起きることもなかったのではないか。そういった思考すら巡ってしまい、レーゼの息が詰まった。クレーを苦しめたのも、セルシを闇の人格に落とそうとしてしまったことも、全て自身のせいだったのではないか。リズラルドが天士として覚醒したのも、もしかしたら自分の過ちだったのではないか。
なんの根拠も無い、ただの妄想だ。しかし、それらが「関係ない」と言い切る要素もなかった。レーゼの顔色はますます陰る一方だった。そんなマイナス思考をしている弟の様子を見て、魔女はパシっとレーゼの額にでこピンをくらわせた。不意打ちをくらって、レーゼはハッと黙考の世界から現実世界へと思考が戻る。
強い風が吹き、砂塵が高く舞った。目に入らないよう、二人とも一瞬目を細めた。少し間をおいて、魔女はゆっくり話しはじめる。
「全てにおいて、楽観的になることは難しいわ。あたしだって、たまにはネガティブにもなる」
「姉さんが?」
それはにわかに信じがたい言葉だった。いつでも強気で前向きな姉の姿しか、レーゼは知らない。今だって、こんな死にかけの自分を見限らず、陽の下へと連れ出してくれている。クレーのことも、誰よりも諦めていない。姉こそが世界の「希望」だと、納得していた。
「あたしだって、人間よ。魔術士であるし、魔女とも言われるけど、結局は人間。天界のセルシとちび助からみたら、ちっぽけな存在にすぎない」
「……少し、意外でした」
「そう?」
呆気なく答えてみせる。それによって姉が、かざりっけなく話しているように感じさせた。レーゼを納得させようと、嘘を吐いている訳ではなさそうだ。レーゼは静かに頷いた。
「おや、お嬢さん。今日は早い時間に来たねぇ? この時間じゃあ、まだ値引きは出来ないよ?」
横の出店から、声を掛けられる。目を向けるとそこには、恰幅の良い白いエプロンをまとった女店主が立っていた。栗色のパーマがかかった短い髪の毛は、今日も日照りで汗ばんでいた。魔女は軽く手を振って、声掛けに応えた。




