レーゼの疑問
体力づくりの為、ダレンスに向かって歩き出す魔女と弟レーゼ。
道中、残して来たクレーのことをそれぞれ思うふたり。
サレンディーズの血とは、家族の証。
ダレンスに向かって歩き続けること、三時間。照り付ける太陽の輝きは、容赦なくレーゼの皮膚を刺激していた。部屋に閉じこもったまま、しばらく過ごしていたレーゼにとって、この日差しは少々鋭いものではあったが、身体全体の皮膚から噴き出る汗は、どこか心地よいものに感じられていた。汗が頭からも滴れ続ける。長く伸びた癖のないストレートの黒髪も、べっとりと濡れていく。
「レーゼ。大丈夫? そろそろ、休みをいれるわよ。もうあと十分くらい歩けば、大きな木があるから。その木陰で休みましょ」
「えぇ」
「……水分だけは、先にとっておく?」
レーゼの顔色を見て、姉である魔女は足を止めた。その行為に、首を横に振る。そして、口を開いた。乾いた空気で喉がカラカラになっている。渇ききってからの水分補給では、すでに脱水症状を起こしている。そうなってからの対処では遅いと、魔女は判断したのだ。
「もう少しで休憩ポイントなんですよね? そこまで行きます」
「無理する必要性はないわ。急ぎの用じゃないんだから。アンタの体力づくりの為の散歩よ、これは」
「そうですけど……」
「つべこべ言わずに、飲みなさい。はい」
強引に、魔女は二つ目の水筒から塩と砂糖と果汁を混ぜて作った、特性ジュースをカップに入れ、それを弟であるレーゼに渡した。不服な訳ではなかったレーゼは、それを黙って受け入れた。銀色の水筒のカップの中、なみなみと注がれたジュースに口を付けると、少しずつ渇いた喉の中へ流し込んだ。
ゴクゴクと飲んでいく様子を見て、魔女は満足げな笑みを浮かべた。目を細め、飲み物をきちんと飲み干せる弟の姿を見て、安堵したのだ。食が細くなっているところがあったが、飲み物だけでも、しっかりと取らせようと魔女は試行錯誤してきた。
(クレーも、立ち直らせないといけないわね。セルシにちび助。上手くやってくれているかしら)
「姉さん?」
「全部飲んだ? もう一杯くらい、飲んでおく?」
「いえ、大丈夫です」
「そ? じゃあ、あと十分。歩くわよ」
「……はい」
レーゼには、クレーの心配まで背負わせたくはなかった魔女は、レーゼが何か言いたげな表情をしていることに気づきながらも、話を強制終了させた。
レーゼだけではない。
クレーもまた、魔女ルイナにとって大切な弟である。
どれだけの過ちを犯した「元魔王」であるクレーであっても、可愛い弟であることに変わりはなかった。それでも、今。魔女はクレーへの対応を迷っていることも確かであった。いつもと変わらない対応をしているつもりであっても、どこか腫物を前にした人間のようなぎこちなさを生んでいないかと、自問自答を繰り返しているのだ。クレーが嫌がり破壊した時計も、セルシは直してまた設置しようともしていたが、魔女は敢えてそれをしなかった。嫌がるものなら、今は撤去しておいた方がいいと考えたのだ。しかし、それが既に差別的行為になっているのではないかと、考え込むときがある。実際、クレーはそのことを気にしていた。
「姉さん。クレーも連れてきたらよかったんじゃないですか?」
「クレーは、まだムリよ」
「歩けないからですか?」
「歩けないんじゃない。あの子は、歩かないだけ。アンタと違って立てなかたった訳じゃない」
クレーが今負っている傷は、深い。自身で刺した致命傷だった。魔女がすぐに癒しの魔術……いや、奇跡の力によって治癒に当たったのが幸いし、今も生きることは出来ている。しかし、魔女の力によって癒しきったはずの傷が、今はまた古傷ではなく生傷となり、出血し続けている。
このままでは、クレーの先がない。
魔女をはじめ、家族は焦りを感じていた。
「姉さん。クレーを病院へ預けることはしないのですか?」
「バカね。そんなことしてみなさいよ。自害するのが目に見えているわ」
「選択肢を、与えないのですね」
「アンタはクレーを死なせたい?」
「まさか」
このとき、魔女はレーゼが何を感じ、何を考えているのかを読みとることが出来ていなかった。
魔女は、病院に対して良いイメージはない。「天士の歌声」によって、精神崩壊していたレーゼが居たのは、「病院」というよりは研究施設だった。しかし、このヘルリオットの世界での「病院」とは、そのイメージが正解のように思えるのだ。二度による魔王の覚醒により、市民をはじめ文武官に王族貴族たちの間には、「第三次魔王戦」のことも頭によぎっているだろう。二度あることは三度あるとはよく言ったものだ。第三の魔王覚醒に対しては、魔女も同じ見解を示していた。
「クレーは、サレンディーズに囚われすぎているんだと思います」
「え?」
レーゼは唐突に、口を開き言葉を続ける。
「父さんと母さんはプラチナ魔術士として、ヘルリオットの世界を託された優秀な魔術士。そして、ふたつ年上の姉さんはまた、天才魔術士。幼いながらにして、第一次魔王戦にて実績を残した……魔女」
「だから?」
「私だって、焦りや嫉妬がありました。何もできない自分を、ずっと卑下してきました。恥ずかしく思ってきました。クレーもまた、そうなのではないでしょうか」
ふっと息を吐き、レーゼはゆっくり歩きはじめた。その後ろ姿を見て、魔女もまた歩き出す。
(レーゼ……また、痩せたわね)
薬の力を使って、無理やり身体の成長を遂げていたレーゼは、薬を断ち、魔王に覚醒していたクレーから刻印を受けてから、少しずつ身体がもとの時間に戻ろうとしていた。しかし、世の中うまく回るものばかりではない。縮む骨、皮膚の影響はレーゼに痛みとして表れている。髪にも艶はなく、伸ばしているといっても、昔ほどの長さではない。いくらかは抜け、途中でちぎれてしまった。その髪をある程度綺麗にハサミで切ったのは、魔女だった。
そんな後ろ姿を見つめながら、魔女は弟の次の言葉を待った。
「クレーは、サレンディーズから解放されるべき時なのかもしれません」
「…………ダメよ」
魔女は一拍おいてから、否定の言葉を告げた。その言葉が意外だったのか、レーゼは首を傾げながら軽く後ろを振り返り、姉の姿を確認した。魔女は、神妙な面持ちで黒い瞳を陰らせていた。
「あたしたちは、生まれたときからサレンディーズの血を引き継いでいるんだから。血の繋がりから、解放される術なんてないわ」
「でも……」
「家族である証拠でしょ?」
「…………姉さん」
魔女ルイナは、にこりと笑みを浮かべてレーゼの背中をぽんと叩いた。
「まったく。問題児を抱える姉は、大変よ。でも、やめたくないから……あたしは、アンタたちの姉であることを」
「頼もしい限りですね」
くすりと笑みを浮かべると、レーゼは息をふっと吐いた。そこで、レーゼはまた歩き出す力を得た気がしていた。
レーゼは、六歳のときに良心を亡くしている。そのときから姉ルイナと兄クレーは、レーゼにとっての姉兄というよりは、両親に近しい存在に感じられていた。特に、姉ルイナはそれこそイレギュラーにふさわしいほどの能力を持った魔術士であり、尊敬のまなざしで姉の姿を見て育ってきた。レーゼの中では、ルイナは絶対的存在でもあったのだ。
しかし、第一次魔王戦の後にルイナは消息を絶ってしまった。それからは、兄であるクレーとふたりで暮らし、そして赤子であるリズーことリズラルドを拾い育ててきたのだ。そのときにはもう、レーゼは薬を使いはじめ、大人の姿になることを目論んでいた。
まる十年薬漬けになってきた身体を、たったの一週間やそこらで正常な肉体と精神状態に戻せる訳はない。
レーゼの本当の年齢は十六。
二十一であると、まわりを騙し続けてきた。
「家族なら、クレーだけではなく、セルシとリズラルドも連れて来たらよかったのではないですか? それとも姉さんは、セルシはともかく、リズラルドには偏見がありますか?」
「セルシほど、信頼はおけないわね。ちび助には。だって、あたしが最初に苦戦したのは、魔王であったセルシではなく、天士なんだから」
「でも……本当に、その天士はリズラルドだったのでしょうか」
「え?」
レーゼのふとした疑問に対し、魔女は足を止めた。そして、十年前に見た天士の姿と、現在生活を共にしている天士リズラルドの姿を頭の中で比較してみる。緑の髪に黄金に輝く瞳。その点は一致している。しかし、十年前の天士には、今のような茶目っ気のようなものは一切なかったのだ。殺戮機械とも呼べるほど、冷酷なものだった。
もっとも、覚醒したばかりのリズラルドは、やはり「天士」としての自我しかなかったのだ。月日が経つにつれ、レーゼや自身をとりまく環境に感化されていったとも考えられなくもない。
ただし、「天士」が別に居る可能性も否定はできないという選択肢がここで生まれた。それは、魔女にとっては大きな不安定要素の他ならなかった。




