焦るヘルリオット
魔王の進撃は止まらない。
焦りを隠せないヘルリオット国王は、乱心。
金の称号を持つ魔術士ウェイズは、ひとり立ち上がる。
しかし、そこへ現れたのは攻撃の手を早めた魔王だった……!
「どうする……どうするのだ!」
こころを乱しているのは、今の状況を考えてみれば自然なことだと見える。この世界はヘルリオットが支配し、文明を築きあげ、現ヘルリオット国王「ゼンティル」は、絶対的権力をもって、「平和」を築いてきたと自負していた。自分自身が魔術士の端くれであるため、「魔術の統制」などというものをつくり、自身の力のもとで、世界中の魔術士を金で支配してきた。そして、すべてはうまくいっていたのだ。十年前までは……。
十年前、この世界に「魔王」なるものが現れて以来、「魔術の統制」の秩序が崩れはじめた。そのときは、サレンディーズの若き夫婦魔術士の犠牲と、その娘……現「魔女」によって、なんとかそれを守り抜いた。しかし今、そのときよりも悪い災難が降りかかっている。昔の「魔王」は、ここまで残忍ではなかったし、甚大なる被害を地上にもたらさなかった。しかし、今はどうだ。
「陛下」
「ウェイズ……次は、どこに布陣を! 魔王はもう、すぐそこまで迫っている!」
「陛下、落ち着いてください。最善を尽くしますから」
「最善? 最善とは何だ! このありさまを見て、民は何を思う? ヘルリオットの株は下がる一方。もはや、平和とは遠い世界に来ているのだ!」
声を荒げる国王は、苛立ちの中にも莫大の不安を抱え込んでいる。ウェイズはわかっている。この、目の前にいるヘルリオットの頂点に立つ者は、実際、ヘルリオットがどうなろうとどうでもいいということも、わかっていた。
国王自身の安全。
それが、何よりも優先されるべきものなのだ。
ひとは、保身に全力をかけるものであり、自らが可愛いものなのだ。しかし、中には「他人」のために、全力を奉げられるものもいる。
「陛下、魔女と手を組んではいかがでしょうか」
「魔女? ルイナ・サレンディーズか……」
国王が魔女の存在を知らないはずがなかった。そして「サレンディーズ」という、「希望」の名を知らないはずもない。国王が見出した、イレギュラーに近しい存在であった、伝説の「プラチナ魔術士」の姓である。
「私は、先日。魔女に助けられました。魔女は、魔王……クレーと言って差し支えないでしょう。クレーには及ばない様子でした。それでも私なんかよりもはるかに力量を得た魔術士であることに、違いはありません」
「……プラチナの短剣」
「?」
「あれは、偶然の産物ではない」
国王は、眉を寄せ険しい顔つきで目を伏せた。
「天界からの賜物」
「天界?」
ウェイズは、切れ長の黒い瞳を、初めて聞くその単語に食らいつくように光らせた。
「サレンディーズに与えられた短剣は、普通の剣ではないということですか?」
「朱色の紐もない。それは、この世界の支配下の物でないことを示している」
「……それは今、どこに? それさえあれば、魔王を滅ぼせるのではないのですか?」
ウェイズは、国王との間に一定の距離を置いたまま、言葉をつづけた。ただのひとりの兵士として、国王陛下に近づきすぎる行為は、愚かだと判断しているのだ。陛下がこころを許している臣下ならまだしも、ウェイズはそこまでの信頼関係は築けていないと踏んでいる。
「その可能性は高い。だが、行方知れずだ」
「そう、ですか」
ウェイズは黙考するしかなかった。
(希望はもう、ないのか? 魔女と、コンタクトを取ることが出来れば……何か、手段を得ることができるかもしれない)
諦めることは、いつでも出来る。
それならば、それは最期に回して考え抜くべき。
ウェイズは、顔をあげ陛下の顔を見つめた。青ざめ、冷や汗を流す陛下は、絶望に伏している。この男には、もう最善の判断は下せないだろうという決断をする。
「陛下。対魔王の布陣は、私に一任させてください」
「お前に? ウェイズ。お前は確かに力の長けた金の魔術士だ。だが、イレギュラーには到底及ばない」
「身の程は理解しております。それでも、誰かがやらなければ、世界は終わるのです」
「お前にクレーを殺せるのか?」
「少なくとも、可能性はゼロではありません」
「魔女は?」
「…………それは」
ウェイズは、即答できなかった。この国王は、魔女のことも始末しようとしているのだと悟ったからだ。イレギュラーはすべて排除し、自らの世界の安泰のみを願っている国王なのだと、思い知った。
ウェイズには、出世願望はなかった。こうして、城に拠点を置いているのは、ウェイズが単に孤児であったからである。帰る家がなければ、希望する配属先もなかった為、六年前からここに居るのだ。
「陛下の意のままに」
ウェイズの言葉に、国王は頷き右手で扉を指した。出ていけという合図である。ウェイズは浅く頭を下げてから、扉に向かって歩き出し、そのまま外に向かった。
(時間がない……)
魔王は、このヘルリオット城の近辺はすべて焼き尽くしていた。残りはもう、西門のある「レイリーシェル」のみが、残された街である。次に狙われるのが、その「レイリーシェル」だということは、明白だ。
どういう布陣を練ったところで、無駄に終わるであろうことも、頭では分かっている。実際に魔王となったクレーと対峙したのは、わずか二回。それだけでも、ウェイズは力の差に圧倒されていた。「ガーデリア」を破壊されたのも、ほんの数分の出来事。ヘルリオット城の門は、東西南北と四箇所に設計されているが、その門にはそれぞれ意味が込められていた。結界を結んでいるのだ。城を強固たる魔力で、護衛するよう、それだけの魔術士が雇われているくらいだ。「ガーデリア」は「南」に存在していた。「はじまりの門」と言われている。そして、残された「西」の「レイリーシェル」は「おわりの門」と呼ばれている。
すべてのものには、はじまりがありそして……終わりがある。
結界を崩すには、それゆえに手順があった。
「東は繁栄。北は栄光」
「!」
城の領域を一歩踏み出し、「レイリーシェル」の街にかかる橋を渡っているとき、ふと、上空から流れるような美しいテノールの声が聞こえてきた。しかし、美しいその声には感情が伴っていないのか、どこか、「味」のない単調なものにも受け取れた。
ウェイズはすぐに、その声がした方向へと顔を向けていた。そして、咄嗟に身体をよじって前方に転がる。直後に、空より刃が降り注いできた。咄嗟の判断がなければ、串刺しとなり、絶命していただろう。
(思っていた以上に、攻め手が早い!)
魔王クレーは、時間をかけてヘルリオットを支配するかのように、じわじわと侵攻していた。それゆえに、最後の砦となった「レイリーシェル」を狙ってくるのも、もう少し時間をかけてくると踏んでいた。ウェイズと国王、周りの武官の見解では、魔王は自らの脅威をヘルリオット世界に浸透させるために、この戦術をとっていると考えていた。遠く離れた地方にまで、魔王の脅威……そして、国王の非力さを伝えるための戦法だ、と。しかし、ここへ来て魔王は、すぐに動きを見せたのだ。まるで、何かに焦りを覚えているかのようにも見えた。
(ダメだ。思考している時ではない……動かなければならない)
街のものたちは、注意喚起するまでもなく、すでにほとんどのものが地方へと疎開していた。魔王の狙いが、王都に向かっていることが明らかだった為、それに背を向ける形で逃げまどっていた。
「南にはじまり、西へ終わる」
それが詠唱だったことに気付くと、対処はある程度とれた。そこまで抜けた魔術士ではないと、自負しているウェイズであった。相手が「魔王」とはいえ、基が「クレー」という魔術士であることも、幸いしていると考えた。クレーとその弟、レーゼとは、「魔術の統制」を共に受けたライバルであったからだ。しばらくの時間を、同じくし、同じ訓練を受け、試験を突破してきた。その時に、少しでも「クレー」という「人格」に触れていた為、「魔王」となった今でも、そのときの「癖」が残っているのではないかという可能性に賭けようとした。
クレーには、無駄が一切ない魔術の構成を練る力があった。魔力は無限に湧き出るものではない。それを有効活用しているようにも、溢れんばかりの魔力を、制御しているようにも見えた。
「母なる大地の恵みを調べに!」
ウェイズの詠唱と共に、黄塵を含んだ地面が隆起し、そのまま「龍」の形となって具現化した。そのまま、土肌で出来た龍は空に浮かぶ魔王クレーの心臓を狙って飛び出していく。勢いよく伸びていくその龍の体を、魔王は口元に笑みを浮かべると自身の右手を差し出した。龍の口に向かって、短く、適確な詠唱を繰り出す。
「粉砕」
緻密に練り上げたウェイズの龍は、無残にも塵と化した。ウェイズは、街の中心部に向かって駆け出しつつも、次なる魔術の構成を練るために、意識を集中させていた。まだ、先日の魔王との一戦の疲れが抜けきっていない。いつ、襲撃にあうかも分からなかった為、ここのところ、まともに睡眠もとってはいなかった。数日間くらい、徹夜しても動けるくらいに鍛錬はつんでいたが、それでも眠気は襲ってきていた。一方、魔王はウェイズよりも圧倒的に高度な魔術を操っているが、身にまとっている簡素な黒いタンクトップ型ローブは、汚れもせず、顔も疲れを知らない……スマートだ。
「キミくらいなものだな。僕に盾突く武官は……実に、愚かだ」
「金の称号の名のもとに、私はここであなたを封じます!」
両手を掲げた。それと同時に突風を巻き起こす。これがどれだけ単純な魔術であるかなどということは、術者であるウェイズ自身が一番分かっている。それでも、誰かがやらなければならないのならば、逃げる理由はない。
「愚かものは、あんたよ!」
空に、一筋の光が差した。
「!」
現れたのは、黒一色と表現できるひとりの女と、緑のさらさらとした長い髪に、黄金の瞳を持った、明らかに「人間」ではない、異質な存在だった。
女の方には、見覚えがあった。ウェイズが、頼ろうとしていたまさにその女性……イレギュラーの魔術士、「魔女」である。
このとき、はじめてウェイズは「魔女」の背後に「希望」を見たのだった。




