残酷な奇跡
魔王クレーと交戦するヘルリオット金の称号魔術士ウェイズと、魔女ルイナ。
一方、ストレイを守ってきたセルシは、独白をはじめ、ストレイに「ある物」を託そうとし……?
「……何、してるの」
夜風が冷たいからと、扉も窓もすべてが閉められていたはずだった。それなのに、今。玄関ドアが開け放たれている。風が冷ややかに入ってくる中、もっと、別の何かを待っているように、銀色の髪をなびかせながら、青年は立っていた。その青年の名を、ストレイは呼んだ。
「セルシ」
正式名称ではない。しかし、ストレイはその呼び名しか知らなかった。セルシ自身、別に正式名にこだわっていなかったし、この時代にはもう、「セルシオン」などと呼ぶものは居なくなっていた為、それが当たり前だとも思っていた。
ストレイが、銀髪の青年の名を呼んでも、青年は振り向きもしなかった。ただじっと、待っている。「何」を待っているのか、それが分からないストレイは、素直に問いかけた。
「何を、待ってるの?」
その問いかけに対しては、ほのかに反応を見せた。セルシは日が落ち散らばる星空を見つめるように、顔を上げる。
「信じますか?」
「……?」
ストレイは、疑問符を浮かべた。セルシは、いつも優しくてストレイを支えてくれていた。一日に数口しか食事がとれない身体のストレイに対し、嫌な顔をせず、実は三食きちんと用意していた。ストレイが、いつ、物を食べたいと言ってもいいように、いつでも準備を怠らなかった。
生活面だけではなく、精神面の支えでもあった。歩くことはおろか、立つことさえままならないストレイが、孤独にならないようにと、彼が手を伸ばせば届く範囲に、セルシは居続けていた。そのため、ストレイにとってはそのあまりにも近い「距離」が当たり前の間となっていた。
しかし、今のセルシが立っているのは玄関口。ストレイが横になっていたベッドからは遠い。さらには、セルシは自分を見ていないのである。遥か遠くを、じっと見つめている。
ストレイは、心細くなり目を伏せた。そのことに、セルシは気づきもしない。ただ、セルシは間を置いてから、続きを語りはじめた。
「神の存在を、信じますか? 誰にもその存在を知られることなく、生きていた神。その、孤独をあなたには分かりますか?」
「……」
答えようがない。これは、ストレイに向けられた言葉ではないからだ。ストレイには記憶がない。だが、馬鹿ではなかった。記憶がない分、研ぎ澄まされた「感性」というものがあった。
「あなたは、怒りと悲しみに満ちた僕を、闇の中から救い出してくれましたね。あなたのご両親を奪った僕を恨むこともせず、再び、自我の中で生きる術を与えてくれました。あれからもう、十年です」
気づいていないのかもしれない。セルシは、思っていることを口にしている自覚がないのかもしれない。はたから見るとそう思えてしまうほど、不自然なまでにセルシは語り続ける。ストレイには、それを聞き受けることしか許されない。邪魔をしようにも、言葉をはさんでもセルシは言葉をやめないだろう。
「ジルも、ヴェリーも優しい方でした。真の魔術士たるものを、彼らは心得ていました。そのために、僕も向かい合わなければならなかったのです。神として……魔王として、力あるものを、排除しなければならなかったのです」
セルシは、悔いるように言葉を紡ぐ。誰もいない、夜空に向かって言葉を紡ぐことをやめない。
ストレイは、徐々に左胸に痛みが走るのを感じていた。消えることのない痛みだが、今は、うごめくようにそれが疼いている。強く切り刻みこまれるような痛みだけではなく、内から燃えるような熱を感じる。
セルシの懺悔に同調しているのか……セルシの言葉を聞けば聞くほど、息が苦しくなっていく。それでも、ストレイは言葉を発しなかった。じっと我慢し、言葉の終わりを待つ。
「神も、魔王も、天士も……結局は、同じなのです。イレギュラーを排除する。それは、この世界にとって必要なことなのでしょう。だから、この連鎖は終わることを知らない。絶ったと思っても、また、連なっていく。それでも、あなたは連鎖を止めようと必死に黙想し続けた。その結果がこれです」
セルシは俯いた。そこには、「絶望」という文字がぴったりと当てはまりそうなほどに、影を落とす。その深い悲しみを、ストレイは見て感じることしか出来ない。自分では、救えない。何もない自分には無理だということを、わきまえていた。
「ストレイ」
「!?」
だからこそ、ストレイは名を呼ばれるなどとは思っていなかった。不意打ちをくらって、返事が出来ず息をのむ。酸素を求めて再び口を開くと、そこからは何の言葉も出なかった。文字通りの絶句。
「あなたに、託したい未来があります」
「……僕、に?」
ストレイは、それは滑稽に思えた。セルシは何を真面目に言っているのだろう。こちらを向かず、外に向けた身体の状態で、俯いている。しかし今、セルシがとても真剣な面持ちでこの言葉を発していると読み取った。そのせいで、余計に現実味がなくなる。
ストレイに、未来はない。
そのことを、セルシは口にはしなかったが、そう思っているに違いないということは、伝わっていた。ただし、ストレイ自身それでよかった。未来を望んでいなかったからだ。やせ細った身体に、日に日に濃くなっていく胸に印された不気味な紋章。記憶は、思い出すどころか、あやふやになっていくばかり。こんな状況で、先を望もうとは思っていなかった。望んではいけないとすら、思っていた。
「あなたにしか、出来ないのです。今、この手段をとれるのは、あなただけだと悟りました」
「何を……何を、言っているの? セルシ。僕には、何も望まない。それが、セルシと僕との暗黙の了解だったはずだよ」
「そんな了解を得たつもりも、与えたつもりもないですよ、僕は」
はじめて、セルシは室内の方に向き直った。これまでの行動は、いったい何を意味していたのだろうかと考えても、きっと、セルシは答えない。ストレイは、別の言葉を放った。
「それなら今、約束してよ。僕には、何も望まないで…………僕には、無理だよ」
「逃げない」
「?」
「あなたも、あなたのお姉さんも、あなたのお兄さんも…………ご両親も。サレンディーズの血を引く者は皆、逃げることをしませんでした。それゆえに、僕とぶつかり合い、やむなく僕は…………サレンディーズの若き夫婦を殺した」
「…………」
言葉を失った。この、お人よしのセルシが、「殺人」を犯しているなんて、誰が信じることが出来るだろう。ストレイは、それを自分の両親のことだとまでは、かみくだいていない。それでも、衝撃的な事実を今、突きつけられていると感じる。
ストレイは、涙を流した。
一筋の涙が、頬を伝っていく。
そのことに、ストレイは気づいていない。
「プラチナ魔術士とは……ヘルリオット国王であるゼンティルは、よく考えたものだと思いますよ。存在を知られていないと思い込んでいた神の存在を、察知していたその能力は認めなければなりません。ただしゼンティル国王には、イレギュラーに対して自身が挑むほどの覚悟と能力は得ていなかった。だから、あなたのご両親が選ばれたのです。当時、最高峰の力を保持していた若き魔術士夫婦に、プラチナの短剣が授けられた。それは、希望と呼べるのでしょう」
「なんで……」
涙声になっていることを、気にする間柄でもない。ストレイは、思ったままをセルシにぶつけた。
「なんで、殺したの? 希望、だったんでしょ?」
セルシは、紅い目を複雑な色に輝かせている。いろいろな思いが、そこには映り込んでいるように思えた。
「プラチナの短剣は、イレギュラーを殺す道具だったのです。その短剣が人間界に渡ったことを知った僕は、目の前で短剣を掲げる若き魔術士を帰す訳にはいきませんでした。保身を優先し、世界を闇へと誘った」
「セルシは、悪なの!?」
「誰しもが、見方によっては善であり、悪なのです」
「分からない……分からないよ!」
細くなった気管支が、変な呼吸音を生み出す。これ以上、喋るとまた厄介な咳が出るとストレイも、セルシも察した。そのためか、これまで待つことをせず、言葉を続けてきたセルシがはじめて呼吸を置いた。しかし、ストレイが言葉をやめなかった。セルシが言葉を止めたことで生まれた時間を、自分のものとした。セルシの判断ミスである。すぐに言葉をやめるよう、口を開くが、それより先にストレイは話はじめていた。
「それなら僕は、善であるセルシしか知らない! それでいい、それでいたい! 僕に、何をしろと言うの!? 僕には、僕には…………ッ!」
立ち上がろうとして、自分の身体を支えきれなかったストレイは、ベッドからずり落ちる。そのまま、息を詰まらせて咳き込みはじめる。セルシは、すぐさま駆け寄り、ストレイを落ち着かせようと試みた……が、差し伸べた手を払いのけられる。そこには、戸惑いと悲しみを含んだ黒の濡れた瞳があった。
「僕には、未来どころか……何も、ない。何もないんだよ…………」
「レーゼさん……」
セルシの口から思わず出た、ストレイの本名。しかし、その言葉は余計にストレイを追い詰めるだけであった。
「ごめんね…………その名前は、もう、思い出せないんだ」
「……すみません。僕が、横暴すぎました」
膝をつき、謝るセルシの手には、短剣が握られている。
それを、狙っている者が居たことを……一瞬、セルシは見落としていた。
それが致命的でかつ、最大のミスであると気づくには、あまりにも遅すぎた。
「みーつけた」
「!?」
突如として現れた言葉に顔を上げるセルシだが、目に入った光景に対処出来なかった。
「ぁ……ぅ」
ごぼ……。
大量の血を、吐き出すストレイ。
背後に黒い大きな影。
その影の手には、セルシが持っていたはずの「短剣」が握られている。
それは確実に、ストレイの腹部を…………突き刺していた。
「探していたんだよねー。伝説のプラチナ短剣。まさか、キミが持っていたとは知らなかったよ」
「…………なんで」
黒々とした感情が、セルシを支配していく。
落ち着いていた精神が崩壊し、制御していたはずの、失くしたはずの力が溢れ出す。
「なんで……なんで! この子に手を出した、クレー!」
紅い目に、涙は浮かんでいない。
あるのは、「怒り」と「憎悪」がはっきりと。
「……兄…………さ、ん」
あまりにも多量の失血により、声はほとんど出ていない。
それでも確かに、ストレイはこの短剣の持ち主を認識した。
それは、残酷な奇跡だった。
「残念。僕は、出来損ないのお前を、弟だとは認めていなかったよ……一度たりとも、ね」
セルシの理性を飛ばすには、充分過ぎるほどの「魔」の囁きだった。




