否定と対立
「魔王」そして「天士」の復活により、瀕死となったレーゼ。
レーゼをギリギリのところで救い出した「魔女」は、こころに傷を負っていた。
そんな中、「魔王」と「天士」は戦いを繰り広げており……?
レーゼ・ストレイ
「レーゼはもう、覚えてないかもしれない」
「希望を捨てないでください」
「いいえ、もうレーゼなんていないのよ。ここに居るのはストレイ」
「ルイナさん」
「あたしの弟はもう、死んだの!」
「ルイナさん!」
これまで、陰らせた目で心配そうにレーゼとルイナを見つめていたセルシは、目に輝きを取り戻すと、しっかりとした感情を露わにした。そして、程よく筋肉のついたルイナの、埃っぽい腕を確かに掴む。
「何よ」
「自棄になるには、早すぎます。レーゼさんは、目の前に居るんですよ。探し続けていた弟の身体は、此処にあるんです」
「中身は空っぽよ」
吐き捨てるように言い放つルイナの頬を、セルシは右手でバシンと平手打ちした。これまで穏やかそのものであった、元魔王の反応に、ルイナは驚きの眼差しを向ける。何より、親からもビンタなんてされたことがなかったのだ。初めての独特な痛みに、一瞬我を忘れて呆けた顔をする。
「レーゼさんが聞いていたら、悲しみます」
「……聞いていたら?」
ルイナの瞳に、涙が浮かぶ。気丈に振る舞っていても、まだ年若き女であり、弟想いの「姉」なのだと、セルシは実感した。
「聞いていたらいいわよ……幾らでも、反論すればいいわ! レーゼ、悔しかったら何とか言いなさいよ! 恨みたければ、そう言いなさいよ!」
悲痛なまでも続く、ルイナの叫び声に、弟の身体は少しも反応を示さない。医者たちが、麻薬によって抑え込んでいた「死の刻印」からの痛みは、セルシの薬草で対応している。しかし、あまりにも強い麻薬によって記憶は壊れている可能性は高い。正しい思考はもう、出来なくなっているかもしれない。それでも、セルシは諦めたくなどなかった。それは、レーゼは自分の恩人である「ルイナ」の、大切な「家族」だからだ。
ルイナは、「魔王」であったセルシを、遂に殺しはしなかった。ルイナの両親であるジルとヴェリーを手にかけた「魔王」を前にしても、情けをかけ、「共存」の道を模索し、成し遂げてしまった女性だ。そのルイナが今、泣いている。放っておけるはずがない。
ルイナは、大粒の涙をこぼしながら叫び続ける。眠ったまま、ぴくりともしないレーゼの肩を両手で掴み、揺さぶる。
しかし、大きく揺さぶってみても、だらんと力なく重力に従って身体はベッドからずれ落ちるだけ。その光景がルイナには、自分の無力さを見せつけられているようで、悔しくて、やるせなくなる。そして余計に涙があふれ出るのであった。
元魔王であるセルシには、レーゼが今感じているであろう肉体的「痛み」から解放するための薬草を調合できるが、意識を取り戻す術がない。そのことを、どうしようもなく情けないと思っていた。
「僕はもう、魔王じゃない」
「知ってるわよ。セルシはもう、魔術士でもない。今の魔王は、アイツよ」
「……魔王じゃないし、魔術士でもないけど。私は……人間でも、ありませんよ」
それが、何を意味しているのか。賢いルイナはすぐに察した。涙を拭って、先ほどの仕返しとでも言わんばかりに、セルシの頬を平手打ちした。それを、セルシは甘んじて受ける。白い肌が赤く染まる。じんじんとした痛みが広がっていき、ぶたれると分かっても歯を食いしばらなかった為、口の中を切って血の味が広がる。
「二度と、それを言わないで」
「弟さんを助けたいのでしょう?」
「二度と!」
ルイナは、セルシの胸倉を掴み上げた。背丈の高いセルシの胸倉を両手でつかむと、背伸びをしてでも、強く締め上げる。
「二度と、言うな」
「…………わかりました」
ぎらっと強く輝くルイナの眼差しを前にしては、セルシが幾ら何を言っても無理だということは分かっていた。軽く息をつくと、ルイナから解放を求めた。ハっと我に返ったかのように、ルイナはセルシから手を放すと、気まずそうに視線を泳がせた。そして、物言わぬ弟を視界に捉えた。
「あたしは行くわ。魔王を止めるのは、あたしにしか出来ない役目」
「……僕は、レーゼさんが目を覚めるまで、ここに居てほしいんですけど」
「しつこい!」
そういうと、ルイナは部屋の扉を蹴破って外へ出て行った。行先なら分かるけれども、セルシは後を追うことをしない。自分には、その資格はないと思っている。ルイナが決めた道を尊重すべきだとも思うし、ルイナがここまで怒りを露わにすることも、もっともだと思うのである。
しかし、今のルイナの力と魔王の力を比べてみたところ、分があるのは魔王であることは目に見えていた。着実に世界を恐慌状態へ誘う現魔王クレーは、何をもってここまで地上を攻め落としているのか。元魔王であるセルシには分からなかった。
乱雑に寝かされた状態のレーゼを、定位置に戻すように抱き起すと、ゆっくりまた寝かせる。
「薬が効きすぎているのでしょうか」
ルイナが居るうちに、試すべきだったのかもしれない。でも、もがき苦しむ姿を見せるのもまた、辛いと思って出来なかった。それでも、今、決断して動き出さなければ後悔することになる。
「レーゼさん。どうか、打ち勝ってください」
セルシは、自らが調合した点滴を止めた。
※
ひとつの土地に、長居はしなかった。する必要がないからである。一日……いや、半日もあれば、その街は崩壊する。長居しようにも、土地が抉れればそこで過ごそうと思えるような悪趣味はなかった。
「絶対的な力は、嘘をつかないね」
黒々と燃える炎の中、青年は自分の力を試すように手を振りかざす。たったそれだけの動作で、圧倒的な風圧と共に炎が混じった爆発を起こし、地面を抉っていく。
ここは、ヘルリオット王都近辺のキリンジという地域である。魔王クレーは、着実に「王都」に忍び寄っていた。ここまでの道のりで遭遇した街、村、役人、市民はすべて無へと葬ってきた。まるで、それが自然の行いとでも言いたげのようで、無駄なく焼き払う。そこには、もとから何もなかったかのように、無の大地へとしてしまうのだ。
「必要ない」
背後から声がする。いい加減、聞き飽きた声だった。
「まだ、諦めてないの? それとも、一緒に国王を排除する?」
「俺は、役目を果たすだけや」
凛とした声は、それだけでも破壊力を持っていた。地面に大きな亀裂が走る。これが「天士の歌声」だということにはもう、飽きるほど体感している。
「リズー。僕を殺したいのかな?」
「天士は、魔王を倒せる」
「魔王は、天士を倒せるよ」
ふたりの詠唱により、黒々とした炎と緑の爆発が起こる。ここにはもう、住民はいない。家屋は一切存立していない。すでに、クレーによって崩壊させられていた。
リズーの中にも、「正義感」はなかった。「天士」として、「魔王」を消滅させようとしている。それだけのことである。
天士は、精神崩壊を主にする力を持っている。しかし、魔王に対してそのような精神支配が効くとも思っていなかった。そこで、直接的な肉体的攻撃をしかけている。
「俺はもう、リズーやない」
「奇遇だねぇ。僕も、クレーじゃない」
お互い、それぞれの名前を否定すると、緑の髪の青年……天士は、魔王の退路を断つ為の力を放つ。しかし、それを読んでいた魔王は、軽く後ろに飛びのくとそのまま姿を闇の中へと消した。空間を歪ませて、その中に飛び込むことで場所を簡単に移動できる。その入り口も、出口も、高度な術者にしか探れない。
「逃げたか。まぁ、えぇわ。すぐに追いつく」
天士もまた、ふわりと宙に浮くとそのまま姿を空の中へと消していった。
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