天士と魔王
「力」のもとに、覚醒が連鎖する。
恐れられていたふたつの「イレギュラー」が、ついに姿を現し……?
クレーの魔術の爆発によって、部屋が消し飛ぶ。それでも、レーゼ自身は防御魔術でなんとか防ぎ切った。しかし、リズーにまでそれは及んでいない。魔術の直撃を受けたはずのリズーは、その場に横たわっていた。
死体。
一見、そう見えてしまう。
だが、よくよく見ると、少し違う。
「人間共に贖罪のチャンスを与える」
それが、誰の言葉かを理解するのには時間がかかった。放心状態に近いレーゼの前には、長い緑の髪を持ち、黄金の瞳を持つ「青年」が立っていた。見覚えのない人物。しかし、顔つきに若干、面影を残している。二重で、やや細い目つき。眼の色こそ違えども、それはリズーのものであった。
「どういう、ことですか……」
背丈は、姉くらいだろうか。小童といわれていたあの小さな身体は、抜け殻のように横たわっている。いや、本当に「殻」なのだろう。そこに、「生命」があるとは思えない。
これまで、リズラルドという身体の中で、この青年は力を温存してきたと考えるほか、なかった。
ただ、この青年がどうしてそんなことをしたのか。今、何故ここに居るのか。リズーはどうなったのか。わからないことは、時計の秒針が刻まれていくことに、増えていく。
「レーゼ、逃げて!」
これまで、不思議なくらい沈黙を続けていた姉の声が聞こえてきた。それは、レーゼに「逃げろ」と命ずる。緊迫した状況であることがうかがえるが、どうも、姉の声がおかしい。震えているように感じた。
「姉さん。何が、一体……」
「……!」
再び、音波が飛んでくる。脳がかく乱されていく。
「天士だったのよ、そのチビすけ!」
「え……っ?」
一瞬、ときが止まった。
「緑の髪に黄金の目。間違いない、天士が目覚めたのよ!」
「ま、待ってください。そんな、そんなことって……」
悲痛な眼差しで、レーゼは続ける。リズーは死んだのだろうか。それとも、リズーが大人になった姿が、「天士」なのだろうか。そもそも、そこは重要視するべきところだろうか。重要視するべき点は、もっと別にあるのではないか。
そのとき、姿を現した姉の服が、ボロボロになっていることに気づいた。誰かにやられたと考えるのが普通である。
「姉さん、その姿!」
「覚醒」
クレーは繰り返す。
「天士の覚醒が先か、魔王の覚醒が先か……」
レーゼは、ごくりと息を飲む。無理やり飲み込んだ為、次に大きく酸素を必要とした。
「それとも、同時か」
「兄さん……」
悟らなければならないのだろう。レーゼは、馬鹿ではなかった。
リズラルドは、天士に。
そしてきっと……クレーは、魔王に。
覚醒した。
そういうことなのだろう。
「姉さんを、攻撃したのですか。クレー」
「力を、試したかっただけさ」
悪びれもなく、答えてくる兄の言動に、レーゼは少なからず怒りを覚えていた。
「試す……試すですって! 無防備の姉さんを、攻撃したのですか!?」
「イレギュラーは、滅びなければいけない」
「!?」
この兄は、今、「誰」をイレギュラーと言っているのだろう。天士であるリズー。魔女であるルイナ。そして、年齢詐称であるレーゼ。
レーゼは、辺りを見渡した。この騒ぎで、シルドの民が起きてこないはずがない。我が家はもう、崩壊している。此処で、爆発が起きていることは、明白である。次第に野次馬が飛んできそうだ。その前に、争いを食い止めなければならない。
「贖罪を」
天士の短い声は、自制心を今にも崩壊させそうだった。こんな声の中では、とても魔術の構成なんて組み立てられない。魔女であるルイナは、昔。天士と対峙したことがあると言っていただけあって、そこまでの焦りは見せていない。右手で耳を塞ぎ、左手をリズー……ではなく、クレーに向けている。
「人間の魔術は天士には効かない。でも、魔王となったあんたになら、効くはずよ!」
それを、クレーは鼻で笑っていた。何がおかしいというのだろう。レーゼには理解が及ばない。
「やってみればいいさ。ルイナ。キミはもう、負けている」
激しい爆音が、ルイナに向かって続いていく。空気が徐々に膨れ上がり、やがて大きな爆発を引き起こした。しかし、そこにはルイナの姿はない。クレーの魔術によって、消し飛ばされたのかと一瞬嫌な予感がよぎるが、クレーがそれを否定した。
「逃げたか。さて。残るはお前だ」
クレーの目が、レーゼを捉える。冷たい目。兄弟という認識はもう、ここでは通用しないということを、突き付けられているように思われる。
「兄さん……」
「ゆっくりと……だが、確実にお前は死にゆく運命を辿っている」
その言葉の意味なら分かった。これはもう、避けられないレーゼの背負った枷。
「その死を、早めてやろう。せめてもの、優しさだ」
左胸に、強い痛みを感じた。燃えるように、熱く、それは肌に食い込んでいくような感覚。
「う、ぁ、ぁぁ……っ!」
息が吸えないことにより、パニック状態に陥る。無理やり息を吸おうと、左胸に指を突き立て、爪をねじ込みながら、痛みを忘れようとし、肩を上下にさせる。視界は滲んで、よく見えない。それが涙だということまで、意識は回らない。
「贖罪を」
天士の声……いや、これが「歌声」なのだろうか。それはまだ、続く。しかし、魔王には通用しないらしい。ルイナの情報は、何かにおいて正しかった。
ただし、弟が魔王に覚醒し、養子にしていた子どもが天士に覚醒するとまでは、読めなかったのだろう。
現実が、こんなにも残酷な結果をもたらすとは……。
誰もが、予想していなかった。
暗転する意識の中、レーゼは何も考えることは出来なかった。痛みが闇に溶け込んでいくその感覚に溺れながら、意識を手放し、横たわった。
※
次に目を覚ましたとき。
崩壊した家屋の中ではなく、レーゼは清潔感のある一室に寝かされていた。
そこが、病院であるということに気付くまで、時間がかかった。
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