異端児、リズラルド
「てめぇら、いい加減にせぇ!」
怒声響く原っぱに、人影は少ない。辺りを照らすものは、ゆらゆらと光量の弱い白い光の球のみである。その白い灯りは、まぎれもない。この世界に存在する「魔術」というものによって、築かれたものだ。蛍光灯の光の色が近いであろうか。しかし、この光源となるものは、電気などではなく、「魔力」。持続的に光を灯すには、それなりの体力、魔力、そして、能力が必要となる。
「俺の先生が、誰よりも強いんや! 覚えとき!」
甲高く響き渡る少年の声は、背丈が「小童」という言葉が似合うほど、まだ小さいものから発せられていた。濡れているように思えるほどの漆黒色の前髪は、目を隠すほどは伸びている。手入れはされていないように感じさせられるほど、乱雑に伸びていた。
この少年の右手には、大きな裂傷がある。右手の甲から腕に伝って、肘の辺りまでそれは伸びている。まだ、新しい傷である。血が滴れ堕ち、痛みもその見た目からも分かるほど、皮膚を抉られるものである。しかし、それでも少年は涙のひとつも見せたりはしなかった。ただひたすらに、あるひとつのことを訴え続けている。
「だから、先生は間違ってないんや! 悪く言うなや!」
黒髪の少年の右腕は、例によってだらんと力なく地面に向けられて重力に逆らわず垂れている。しかし、左腕には何やら紙が握られていた。この暗さでは、その中身を確認することは難しい。そのことに、少年は気づいていない。
そもそも、この少年は「魔術士」ではない。
ただの、村人。
「リズラルド。いい加減にしなさい」
「先生……」
リズラルドと呼ばれた少年は、自らの名を呼んだ先生の姿を確かめようと後ろを見た。白い灯りの真下に居る、中肉中背の優男。彼が、リズラルドの「先生」であった。先生の一言で、身体のすべての機能が止まってしまったかのように、口も閉じ、目も閉じ、しきりに誇張していた左手……何かしらの紙が握られているそれも下ろし、少年は明らかに落ち込んだ様子で立ちすくんだ。それを見て、威勢を取り戻したのは、少年と先生以外の「その他」の影であった。
「先生の言いなりかよ!」
「魔術士でもないくせに、うるせぇ奴!」
「悔しかったら、魔術放ってみろ!」
「……」
それらの罵倒を前にしても、少年は言い返すことをしなかった。ただ、悔しそうに唇をキリっと噛みしめると、そこに込める力が深まり、ギリギリと濃度の薄い血が滴れこぼれた。
「どんな魔術をお望みかな?」
少年ではなく、声を発したのはこれまで傍観者をしていた「先生」であった。先生は、同じように黒い髪を首元で三つ編みにし、その三つ編みは腰辺りのところで終わっている。三つ編みを結んでいる紐もまた、黒いというくらい、どうやら彼は「黒」に徹底しているらしい。瞳の色は、ブラックホールのように深く、何も映してはいないほどの闇が広がっている。服装は、麻を黒に染めたような、粗末なローブを身にまとい、黒いズボンに黒いブーツの固執ぶりだ。ただひとつ。腰には、銀色が光っている。短剣である。柄は赤く、刃渡りの短いその短刀は、これまで使われているところを目撃されたことはない。よって、使用目的は不明。
「レーゼのお出ましかよ!」
「結局レーゼは、リズラルドの味方なんだ!」
「そんな役立たずの肩もちやがって!」
「……」
少年、リズラルドはますます俯いた。ずっと握って来た決心が、砕けてしまう心境だった。リズラルドは左手に握った紙を、ゆっくりと、だが確実に握りしめていく。食いしばる歯からは、悔しさが益々溢れていく。
「光の雨を」
レーゼと呼ばれたリズラルドの「先生」は、突然謎めいた言葉を口にした。そして、その言葉と共に暗闇の中から幾つもの光の筋が現れ、ヤジを飛ばす町民たちの目にそれを捉えられたときには、その光は「刃」となって、原っぱへ突き刺さっていくのだ。その光景は、「魔王」が降臨したかの如く、恐ろしいものであった。
「な、何をしやがる!」
「あぶねぇだろ!」
レーゼは「おや?」と、お道化て見せた。両手をローブの中にしまい込むと、白い灯に照らされるわずかな光量の中、不敵な笑みを浮かべて見せた。口角をうっすら上げて、ゆったりとした動作で町民を見下ろしている。「光の雨」という名の刃のようなものは、この男とリズラルドの付近には落ちてはいなかった。意図的なことである。
「キミたちが、魔術が見たいと言ったのでしょう? 実際に見せたら文句を言うなんて。可笑しな話じゃないかい?」
やれやれ……と、レーゼはとても面倒くさそうな物言いだった。そして、ひとり取り残されている状況にいる、リズラルドの元まで歩くと、白い球も一緒にくっついて飛んできて、足元を照らしていた。
「さぁ、お前も。いい加減にして、帰るよ? 私はあと何回、こうして飛び出すお前を止めればよいのかな?」
リズラルドは少なからず傷ついていた。右腕の裂傷も、この町民によってつけられたものである。しかし、それよりも少年は、こころの中に大きな傷を負っているのである。
そのことに、先生であるレーゼは当然のことながら、気づいてはいた。しかし、あえてそれを癒そうとはしてこなかった。冷たい男、というワケではない。レーゼもまた、恐れていたのだ。自らの手で、この少年を傷つけてしまうことを。
「先生……」
リズラルドは、それ以上何も言わなかった。腕を治せとも、紙を見ろとも言わない。だから、レーゼは悟らなければならなかった。
いつだって、この少年は言葉が足りない。
「さぁ、腕を見せてみなさい」
「あぁ」
リズラルドは、動かなくなった右腕を先生に見えるように左手で支えた。すると、レーゼは白い球を浮遊させて、傷口を照らした。
「ひどい裂傷じゃないか。痛かっただろう?」
「別に」
強がってみせても、少年はまだ十歳になったばかりの本当に子どもであった。眉をひそめて、二重ではあるが、細めであるその目をより細くし、身体中に走るほどの痛みを必死に堪えているのが目に見えて分かった。
先ほどのレーゼの魔術放出に驚いた町民は、とりあえずのところ、今日はもうこんなにも夜が更けているし、それぞれの家へと帰っていったようだ。だからこそ、リズラルドが意地を張る理由も薄れているのである。自尊心が高く、やけに喧嘩っぱやいのが困りものだと、レーゼは悩んでいた。
黒い布切れのシャツに、黒い皮のベルトをし、黒いハーフパンツをはいた、どこにでも居るような少年、リズラルドは、出生が謎に包まれていた。一説では、魔王の申し子だとか、魔獣の子どもだとか、そんなことまで飛び交うほどの子どもであった。しかし、この少年が年をいくら重ねていっても、「魔術士」の容貌を持ちながらも、一向にその頭角は現れず。むしろ、身体は他の同級生たちと比べてみても、小さいままであり、「魔王」どころか、簡単な「魔術」さえ、一切使えない平凡な人間であることがつい最近になって判明したのだ。そのため、町民の目つきもリズラルドを「脅威」として扱って来たものが一変し、今はただの「厄介者」としか、見なくなってしまったのである。
魔術士ならば、価値があった。王都に派遣すれば、それだけで町には「支援金」というまとまった金が入る。だからこそ、「孤児」として此処「シルド」という名の町に捨てられていた黒髪の赤子は、庇護されてきたのだ。
「魔王」説や「魔獣」説が流れたのは、リズラルドがもう少し成長してからの話である。
黒髪に黒目は、「魔術士」の特徴であるため、それは拾われた当初はまったく疑われなかった。しかし、リズラルドはそれだけではなく、皆が恐れる「魔獣」とこころを通わせたり、従わせたりする力を備えていたのである。それを見たシルドの民は、次第にリズラルドのことを、「脅威」に思うようになっていたのだ。
そんなリズラルドは、産声をあげたばかりではないだろうかというほど、小さな身体の状態で、このシルドの町のゴミ捨て場で見つけられた赤子であった。拾ったのは、町役場の人間であるが、その者は名付け親でもなんでもない。役所に連れて来たところで、お茶をすすっていたこの町の傭兵であり、魔術士である「レーゼ」の目にとまり、彼が保護をすることになったのである。
リズラルド。
名づけ親は、レーゼであった。