第5話 不死人保護法
前回までのあらすじ!
何が不満なの!? あ、胸か。
朝食を採り終えたおれたちは、二人そろって荷車を引きながらブロッコリー畑に出た。そこで刈り取ったブロッコリーを、荷車がいっぱいになるまで丁寧に積み込んでゆく。
重労働だが、もう慣れた。
もともと畑は商売なんぞと関係なく、自給自足のために栽培するつもりで始めたものだ。日本にいた遙か昔から、第二の人生はそうして生きるつもりだった。
だがナイタール王国跡というべきかゼンテル帝国跡というべきか、はたまた魔王城跡というべきか、なんにせよ広大な土地が手に入ってしまった以上、土を余らせておくのももったいない。
そんなわけで、数十年をかけてシコシコ耕したのだ。
若干やり過ぎた感もあるけど、実のところ収穫以外はそれほど苦痛じゃあなかった。勝手に棲み着いた水精が、水まきをしてくれるからだ。
植物ごとの最適環境は、エルフであるシェルランシーが教えてくれるし、概ね彼女の言うとおりにしていれば、ちゃんと収穫はできる。
だからおれの仕事といえば種まきの他、自爆魔法で鳥を追い払う人間案山子に、定期的に肥料を作ってまくくらいのものだった。
ちなみに虫害はあきらめた。あれは防げん。農薬はあまり使いたくないからね。
日本の無農薬農法のニュースで見たことのあるカモっぽい鳥を買ってきて、田んぼに放してみたこともあったが、三日後には約半数が逃走し、一週間が過ぎる頃には鳥小屋は空になっていた。
呆然とするおれの横で、シェルランシーは爆笑していた。
まあとにかく今はブロッコリーの収穫なわけだが、親近感あるこいつらには試験的に防虫ネットをかぶせていたからか、虫害はほとんどなかった。今後は畑の周囲に虫の嫌いな匂いを放つハーブを植えてみるつもりだ。
そんなわけで、シェルランシーと二人してブロッコリーをひたすら刈り取っては荷車に置いて、また刈り取るを繰り返している。
春先だからか、それほど苦痛な作業じゃあない。腰以外は。
「ごきげんよう、シェルランシー」
「こんにちは、キトカ」
一心不乱にブロッコリーの収穫をしていたおれは、その女の声に振り返る。
空間の一部がゆらゆらと揺れている。よくよく目を凝らせばわかるが、透明な裸の女がいる。ボインちゃんだ。
だが、残念ながら色気は皆無。
何せ彼女は透明だ。いくら目を細めようが、見えるものは彼女を透過した景色、ブロッコリー畑だ。水そのものなんだ、身体が。
誰でも知ってる有名な水の精霊ウンディーネ――なんて上等なもんじゃなく、水の精霊ルサルカのキトカだ。一部地域では冗談女とか、水に人を引きずり込む誘拐者と呼ばれている悪霊でもある。
実際、何度かおれも川や溜め池に引きずり込まれた。
いや、びびったね。初対面のときなんざ、いきなり無言で足つかんで池の底までずりずり~ってなもんよ。なんなの、なんの恨みがあってそんなことするんだよ。
頭にきたおれは、逆に彼女を池の底から引きずり上げて説教してやった。
以来、隙を見つけては定期的に引きずり込まれたり引きずり上げたりする仲になり、熱き拳を交わし合ったすえ、おれたちは友情を結んだ。
……自分でも言ってる意味がわからん。
まあ、こちとらどうせ死ぬわけでもないから、たまになら水底も別にいいか~と思って最近ではあきらめている。苦しいからなるべくならやめて欲しいところだが。
おれはキトカに手を振る。
「よーう、キトカ。水まきあんがとさん。おかげさまで豊作だわ」
「あぁ~ら、ランドウもいたんだ? 頭がブロッコリーに擬態してるからわからなかったわぁ~。オホホホホホ」
キトカが透明の手を透明の口もとにあてて意地悪な笑みを浮かべた。
「やぁめろよぅ! 小学生時代のトラウマが呼び起こされちゃうでしょうがっ!」
見ろよ、あいつの頭、ブロッコリーみたいだぜ!
ブロッコリー! ブロッコリー! あそーれ、歳を取ったらカ~リフラワ~♪
ほら、幻聴が聞こえちゃったでしょうが!
「で、何しにきたのよ? おれたち今忙しいんだけど」
キトカが後ろ手を組んで近づいてきた。
あいかわらず素晴らしい胸だ。透明でさえなければ。
ちなみに数十年前、おれは意を決して男らしく跳躍土下座をして触らせてもらったことがある。額が割れるまで地面で擦ってだ。
だが、残念ながら感触は水だった。水袋でさえない。ほんとにただの水だった。バケツに溜めた水の表面に手ぇついてんのと変わりゃしない。
散々ッ、もったいつけてッ、水だったんだッ!! ただのッ!!
血の涙を流すおれに、キトカは頬を引き攣らせて「な、なんかごめん」とか言ってきたからゆるしてやった。
「何よぅ、ランドウの誕生日だから祝いにきてあげたのに」
「誕生日?」
ああ、と気づく。
この世界での暦は、おれのもといた世界と等しくない。そもそも一年は三六五日じゃないし、一日が二十四時間かどうかだってあやしい。
四季があり、朝があり、夜がくる。月は二つ。それだけだ。それでいい。
だからキトカの言った誕生日とは、おれが転移してきた日のことだ。
「いいよ、もう。転移してから三〇〇年目だぜ? 今さら祝われるような年齢じゃないっての。それとも何? プレゼントでもくれるってのかい?」
「何か欲しいものでもあるのかしら」
「愛」
キトカがなんとも言えない珍妙な表情をした。
「他には?」
「嫁」
シェルランシーはどこ吹く風で、ブロッコリーを手際よく荷車へとのせている。
「ランドウ、結婚したいんだ?」
「そうだよ? 他に願うことなんてなんもないからね。愛こそがすべてだ」
キトカがシェルランシーに視線を向けた。
「シェルランシーはランドウとどういう関係なの?」
シェルランシーがブロッコリーを持つ手を止めて唇を尖らせた。そういう困ったような表情もなかなかに可愛らしい。
「さあ? あたしもよくわかんないわ」
「おれも」
三者が同時に首を傾げる。
キトカが胸の前で両腕を組んだ。
「んー。シェルランシーが別にいいってなら、紹介くらいしてもいいんだけど……」
「え、まじで!?」
「でもなあ、ランドウに勝手に女を紹介したら、三国協定に違反したってことで指定手配魔獣に認定されちゃうからなあ」
……? どういう……?
「三国協定って何!? つか、なんでおれの異性関係がそんな大事になんの!?」
キトカがぱちぱちと瞬きをする。
「あんた知らなかったんだ……。へぇ……」
「何!? どういうこと!?」
「ランドウって二〇〇年ほど前に、魔王を説得して魔王軍を解体させたでしょ?」
説得というか物理的に拳を交えてわかり合えたというか、殴って舎弟にしたというか。
「あれって人間たちにとっては、かなり大きな事件だったでしょ?」
「そりゃあそうでしょ。放っときゃ人間全部殺されてたかもしれないんだから」
もちろん、それでもおれは生きるだろうけど。愛を見つけるまでは。
「うんうん。で、あんたが魔王軍を解体させたあと、不死の英雄の所有権を列強三国で取り合ったのよ。ランドウ・タイガはうちの国の英雄だ~、いやいや、うちの国こそが彼の故郷となるに相応しい、やや、彼は危険だから我が国で管理する~って具合に」
ええ、全然知らなかったんだが。
シェルランシーはブロッコリーを荷車に積む作業にいつの間にか戻っている。まるっきり興味がなさそうだ。
「でも英雄とはいえ、たった一人の人間を取り合って戦争するってわけにはいかなくて、結局ランドウに関しては誰も手出し無用ということで協定が結ばれたの」
「ああ、だから勝手に魔王城跡に居座っても、どこからもお咎めがなかったのか」
「そうそ」
ナイタール王国から始まり、ゼンテル帝国を経由して魔王軍の居座った広大な土地には、おれとシェルランシーしか住んでいない。
一国の土地に、たったの二人だぜ! まあ、キトカもぶらぶらしてるけど。
不法占拠だからいつか接収されるかもしれないと思っていたが、どうやらその心配はなさそうだ。
「けど、それとおれの結婚とどう関係あんのよ。自由なんでしょ、おれは。どこで誰とくっつこうが、王様たちにゃ関係ないでしょうよ」
「ランドウが誰かと結婚したら、その誰かさんの所属していた国が不死の英雄を取り込むも同然でしょ。それは他二国にとってちょっと困るってわけ。ましてや子供なんて産まれたら、数十年後には不死の一族を保有したも同然」
おい……まさか……。
「つ、つまり?」
「ランドウが各国のハニートラップに引っかかったり、その他の国の女に突然かっ攫われたりしないように、三国協定ではこう定められてるの。“ランドウ・タイガに十歳から五十歳までの女性を近づけたものは極刑に処す”ってね」
目が点になったね。
まさかの国家ぐるみで、おれの恋路を邪魔してたってのかいっ!? 魔王をはっ倒して救ってあげたはずの人類の王たちが、おれにそんなひどい仕打ちをしてたってのかいっ!?
頭にきた。
あと、十歳も五十歳も守備範囲外だ! どんだけ飢えてると思ってやがるの!
「ついでにさ、あんた世間様ではもう死んだことになってるよ」
「は……い? え? 生きてるけど……?」
「ランドウは不死だけど不老ではなかったってことにして、これから先も妙な女が近づかないように、“不死の英雄ランドウ・タイガは老衰した”って発表がされたのよ。その列強三国から世界全土にね」
頭にきすぎてくらくらしてきた。
「あれ? じゃあシェルランシーは?」
「シェルランシーもランドウと一緒よ。死んだことになってる。こっちは不老だけど不死じゃなかったってことで、“英雄シェルランシーは大槍の邪竜と戦って死んだ”ってね」
大槍の邪竜。
おれを磨り潰した古竜のことだ。やつは指定手配魔獣の頂点だが、あれ以来三〇〇年、今もこの世界の空を悠々と飛んでいる。腹から背を、この世のものとは思えん大きさの大槍にぶち抜かれたまま。
シェルランシーは黙々と作業をしている。
この距離だ。当然聞こえているだろうに。
「だから彼女もエルフの森に帰れないのよ。天才魔法使いの存在もまた、エルフと人間の軍事バランスを崩してしまうから。列強三国とエルフがにらみ合いになっちゃうのを防ぐために、ここにいるのよ」
一心不乱にブロッコリーを荷車に積んでいたシェルランシーが、事も無げにうなずいた。
「そういうこと」
おれは一拍を置いて叫ぶ。
「シェルランシーは知ってたのかいッ!?」
「知ってたけど?」
道理で里帰りとか一切しないはずだよ、これ!
「なぁ~んで教えてくれなかったんだよ! おまえさんも腹が立つでしょうよ!?」
シェルランシーが細い肩をすくめる。
「あたしは別に。この暮らしに不満とかないから。それなりに幸せだし?」
口をぱくぱくさせてるおれとは正反対に、シェルランシーは平然と作業を再開させた。
キトカが空気を読まず、おれの肩にびしゃりと右手を置く。水が飛び散って肩口がべちょべちょになった。
「そんなわけでランドウとシェルランシーには簡単に異性を紹介できないってわけよ。わかったらなんか他のプレゼントを考えて!」
よし、決めたぞ。
おれは今日、王をぶん殴りにいく! ブロッコリーを売るついでにぶん殴ってやる!
三国協定……ひでえ……。