第4話 夢見る童貞と現実主義者のエルフ
前回までのあらすじ!
魔王がかわいそう……。
やめて! ブロッコリーの収穫にはまだ早いわっ!?
そんな夢を見て目が覚めた。
ベッドで眠るおれのモジャモジャ頭を頭皮ごと剥ぎ取る勢いで、エルフの小娘が両手で髪を引っ張っていた。
それも、鬼のような形相でだ。
朝からヘビィな目覚めだ。目が吊り上がっちまう。
「……おはよう、シェルランシー。なんでおれの頭を収穫しようとしてんの?」
ともに魔王を殴り合った仲。あの頃の仲間の唯一の生き残り。長い耳を持つ不老長寿の一族が生んだ天性の魔法使い、エルフのシェルランシーだ。
「ふ、ぬ、くきぃぃ……ッ……誰のおっぱいが絶望的に足りてないってぇぇ……?」
白くきめ細やかな肌を紅潮させ、整った顔を精一杯に歪め、シェルランシーがおれのブロッコリーを引く両腕にさらに力を込めた。
「……言ったっけ、そんなこと」
常日頃から思っちゃいるが、口に出した記憶はとんとない。
おれの肩に足をかけてブロッコリーを収穫しようとする彼女の様たるや、もう凄腕の魔法使いというより立派な農家の娘だ。
頭からぶちぶちと毛が千切れる音がしているが、わりとどうでもいい。
どうせ数秒とかからず、すぐに生える。白煙だか蒸気だかをしゅわしゅわ上げてだ。なんたって、おれは不死の英雄だ。
やがて疲れたか気が済んだのか、シェルランシーが肩で荒い息を整えながらおれのベッドから飛び降り、長い白金の髪をひと掻きして吐き捨てた。
「さっさと起きて着替えなよ、ランドウ。今日は野菜を売りに行くんでしょ」
大雅蘭堂、それがおれの名前だ。
「ああ、うん」
「朝食、もうできてるから」
「顔洗ったらいく」
シェルランシーが寝室から出ていく。
低身長ではあるが、後ろ姿はすらりとしていて綺麗だ。特に足の長さなんて、どこに腰つけてんだよってくらい謎だ。
だぁが悲しいかな、尻も胸も足りちゃいない。そもそもエルフってのはスレンダーな種族らしいけど。
ああ、シェルランシーがもう少しグラマラスだったらねえ。
おれの姿も昔から変わらないけど、あいつの姿も大概変わっちゃいない。魔王を殴っ――説得した当時の、小娘のままだ。
人間年齢で言えば、残念ながらローティーン。おっさんにとっては恋愛対象ではない。
そんなことを考えた瞬間、ドアが再び開けられて、彼女が顔だけを覗かせる。
ひぇ……っ!?
つぅと、頬を汗が伝った。
「……な、何?」
「早くしてね。スープが冷めるから」
ぱたんとドアが閉ざされた。
白煙だか蒸気を上げて髪を戻しているモジャモジャ頭に手を入れて、おれは大あくびをする。
おれが古竜の胸に貼り付けられてこの世界に連行されてから、そろそろ三〇〇年が経とうとしているのに、おれは未だ、愛を見つけられずにいた。
どんだけ! どんだけモテないの、おれ! この世界にもおれの愛はないの!? 三〇〇年も生きて、一度も恋人ができたことのない人間とかいるの!?
まずもって、三〇〇年生きた人間がいないんだろうけども。
※
食卓では、シェルランシーが片肘をついて待っていてくれた。
「先に食っててもよかったのに」
「待ってちゃだめなの?」
ぷいっとそっぽを向く。
拗ねた顔は好きだ。可愛い。
なんだか、三〇〇年前に助けた仔猫のことを思い出してしまう。シェルランシーの白金の髪と似ている、薄い茶虎の猫だった。
こねくり回したくなるけど、実際に何度かやってみたところ、マジ顔でどん引きされて三年間くらい変態呼ばわりされたから、最近はしていない。不老長寿種族のエルフだから恨みの期間も長いんだ。
「そういうわけじゃないよ。ありがとう」
「別にっ」
素直に礼を言うと、なぜか照れた顔をする。
照れた顔も好きだ。素直じゃないところも嫌いじゃない。
おれは丸テーブルを挟んで、シェルランシーの向かいの席に腰を下ろした。
ブロッコリーのトマトスープ。バターでタマネギを炒めてワイバーンの骨から採ったスープにトマトを入れ、味を調えてから茹でたブロッコリーを入れたものだ。
エルフって種族は野菜を扱わせたら抜群にうまい。なんでも、植物と生きる森の一族だからだそうだ。
あとは手作り食パンにベーコンエッグとサラダ菜をのせたものだ。ちゃんと塩こしょうで味つけされていて、木皿の横にはマヨネーズも添えられている。
「おお、うまそうだね」
「おいしいに決まってるでしょ。あたしが作ったものでまずかったものってあった?」
薄っぺらい胸を張ってするドヤ顔も好きだ。幸せな気分になる。
「ないない」
「でっしょー!」
機嫌が治ったばかりの顔も好きだ。嬉しくて笑うとき、口を隠すように唇に右の拳を軽くあてる癖がある。
表情がころころ変わっておもしろい。
おれは合掌してから「いただきます」と言う。
シェルランシーは両手を組み合わせから「森の恵みに感謝します」と言う。
異文化交流は楽しい。嫌いじゃない。日本にいた頃より、おれの知識はどんどん増えていく。長く生きているから余計にだ。
三〇〇と四十歳。まだまだ知らないことが世界には溢れている。辺境の未踏領域に、まだ見ぬ魔物、食べたことのない果実に、いつかは行きたい世界の果て。
そして! その最たるものが愛だ! 愛だよ、愛! おれの嫁はどこにいるの!?
「声に出てる」
「え~……どこらへんから出てた……?」
「ボインちゃんから」
「そっか。出てたか」
まあ、いつものことだから別にいい。互いの恥部など、これだけ長く一緒にいれば慣れるくらいには見えるもんで。
「あのさあ、ランドウ」
「何?」
おれはトマトスープのブロッコリーを木のスプーンで掬い上げて口に運ぶ。
ブロッコリーには、いつも親近感が湧く。まあ、おれのテンパはアフロってほどでもないから、モズクあたりでも親近感は湧いちゃうわけだけども。
「ランドウって不老不死でしょ」
「そうだよ? 今さらそれが何よ?」
「お嫁さんもらっても、どうせ五十年くらいしかもたないよ。人間なんてすぐ年を取るし、老衰しちゃうし。死別は寂しいって、いつも言ってるでしょ」
「それでもいいっつってんの。つかね、シェルランシーはまだお子ちゃまだからわかんないだろうけど、愛ってのはそんな軽いもんじゃあない。愛はすべてを超えるものなんだよ」
拳を握りしめて力説するおれに、半眼になったシェルランシーが、あきれた表情でフォークの先を向けた。
「子供子供って。見てくれはこんなでも、あたし、ランドウとそんなに歳変わんないからね? で、もしあたしが人間だったら、もうお婆ちゃん」
実際には墓の下だろうけど、面倒なので言わなかった。
「細けえこたぁいいんだよっ。愛ってもんは一度でも生まれたら、そしたらもう相手が年老いていこうがボインが萎もうが、一緒にいたいって思うもんなんだっ。見てくれなんて気にならないくらい好きになってるんだよっ」
自然、おれのボルテージも上昇する。
「おれはそうなりたいの! 真実の愛を見つけたいの! わかる!?」
「はあ……」
ぴんと来ていなさそうな表情で、シェルランシーはハムエッグの黄身を木のフォークで突き刺して潰した。
「でもランドウって一回も女の人に愛されたことないし、愛したこともないんでしょ? それなのにどうして愛がそういうものだってわかるの? おっぱいおっぱい言ってるくせに、見てくれ変わっても愛は変わらないなんて信じられないなー」
ほぐぅふ!?
「い、入口は重要でしょうが!」
「それに、どうせさっきの言葉も誰かの受け売りなんでしょ? 前にいた世界の。ニッポンだっけ?」
はぐふぁ!?
シェルランシーは、潰した半熟の黄身をフォークで隅々まで塗り広げた。
「騙されてるかもねー」
「そんなことはないっ! 絶対にないっ! 愛は尊いものだからね!? 知らんけど、たぶん絶対そうだからね!?」
黄身の垂れるパンを片手で持って、シェルランシーはがぶりと囓りつく。
「ふーん。じゃあさ、ランドウはお嫁さんもらって何がしたいの?」
「そりゃおまえ、決まってるじゃないの」
真っ先に夜の性活が浮かんだが、さすがにそれは呑み込んだ。三〇〇歳程度の子供にする話じゃあない。
「毎朝おっぱいちゃんの声で起こされて、もう朝食ができてたりなんかしてだな。一緒に楽しく食事して、一日の終わりにはお疲れ様って優しい声をかけてもらって、また温かい夕食なんか作ってもらえちゃったりしたら、もう最高でしょうよ? 愛だねえ!」
シェルランシーがもぐもぐと口を動かしてパンを飲み込み、眉をひそめる。
「……それって今とどう違うの? あたし、朝食作ってからランドウ起こして、晩ご飯も作って待ってるんだけど。畑も手伝ってるし、ついでに言えばベッドは別だけど同じ部屋で寝てる」
……お、おお……? ……ええ……。……ううん……? ……あれ?
おれは恐る恐る尋ねる。
「そ、そこに愛はあるのかい?」
「ないけど」
ですよねー!
おれが白目を剥くと、シェルランシーがこっちを指さして楽しそうに笑った。
こいつはいつもこうだ。
こういうところも嫌いじゃない。おっぱいさえあれば見方も違ったのかもしれないと、時々思う。
その暮らしが愛なんじゃないの……。