第2話 童貞は運が悪い
前回までのあらすじ!
中年童貞が古竜に轢かれたぞ!
服装は破れたスーツだった。
いや、スーツとわかるのが奇跡なくらいのぼろ布だった。
ジャケットとネクタイはどこかへ消えて、シャツなど摩擦熱で溶けている。革靴に至っては片足しかないし、靴底が抜けてぱかぱかだ。
ブロッコリー頭も合わせりゃ、立派な爆発コントだ。
全身は赤い液体で濡れそぼっていた。自分の血にしてはちょいと多い気もしたけど、あまり深くは考えなかった。
おおい、殺すならちゃんと殺してくれ、神様ぁ……。
ところがよ。ぼろ布化した服装に反して、身体には痛みはおろか、疲れもない。死ぬ前よか身が軽いくらいだ。
かつてないくらい絶好調。十や二十は若返った気分だ。
つか、ここはどこだ?
太陽のある方角には延々と続く砂利道、その左右は林だった。それも珍妙な木ぃばっか生えてやがる。
でっけえキノコみたいなのだ。
傘の部分が枝葉で、その下には幹しかねえ。気味が悪いったらありゃしない。それまで、あんな木は見たことがなかった。
おれは途方に暮れたね。どう見ても日本じゃあないよ、これ。
どうやらおれはあのでっけえ生物、古竜の胸に張り付いたまま海を越えて、どうにも知らねえ国に連れて来られたもんだとばかり思った。
もちろん、越えてきたもんが海じゃなかったことは、今はもう知ってるよ。そんなにバカじゃないからね。とにかく当時は知らなかったんだ。次元だか時空だかの壁を越えて、異世界に来てたなんてこたぁさ。
仕方ないんで、おれは砂利道の街道に沿って歩き出した。太陽の沈む方角にだ。
街道にゃだ~れもいやしない。進みゃそのうち町に出んだろと思って頑張ったけど、日が暮れてもそれらしき明かりさえ見えやしなかった。
途中、発見した小川で飲んだ水がやたらとうまかったのはおぼえている。日本じゃとんと見かけねえ、カラフルな淡水魚が群れを成して泳いでいた。
けどやっぱ歩き続けりゃ限界ってのは訪れるもんで。疲れたし、喉渇いたし、腹も減った。
おれはちょっとだけ休むことにした。
「こんなことなら、小川の側で休みゃよかったな……」
街道沿いの岩に背中を預けて目ぇ閉じてたら、すぐに眠くなった。だけど、眠りにつく直前くらいだったかな。なんか獣っぽぉ~い臭いで目を覚ましたんだよ。
目を開けたら、でっけえ虎がいた。虎っちゅーか、なんかそのレベルの大きさじゃあなかったんだけど。三倍くらいかねえ、動物園で見た虎の。
まずった。こんな凶暴そうな肉食獣のいる地域だったとは。
そいつはたぶん、おれの全身を染めていた血の臭いに惹かれたんだろう。
「……ひっ!?」
息を呑んだ瞬間だ。そいつがおれの腹を容赦なく喰い破ったのは。
痛ッッッでえええええぇぇぇぇぇぇっ!!
持ち上げられ、叩きつけられ、腹を喰い破られ、臓物を引き抜かれて意識を失った。まあ、たぶん死んだんだろ、そのときも。
次に目を覚ましたら、そいつの巣だった。岩の洞窟さ。
どういうわけか、おれぁまた無傷だ。例によって謎の絶好調だ。わけわかんねえが、動けるってのはありがたい。
こっそり逃げだそうとしたら、また頭からガブリ! ひどいね!
痛ッッッでえええええぇぇぇぇぇぇっ!!
それが何度か繰り返された。何度かじゃない。何度もだ。やつぁおれのことを減らねえ食い物だと思って、何度も何度も食いやがった。
喰われることにもだんだん慣れてきた頃、おれん中じゃ恐怖より怒りが溜まってた。
こンのクソ獣が! いただきますとかごちそうさまの一言もないのかいっ!?
目を覚ました瞬間、おれは動いた。
そいつの右目を、自分の右手の指で抉ってやったのさ。獣は驚いた。おとなしく喰われるだけだった肉の減らない獲物が、突然襲いかかってきたんだから。
「この野郎、何度も何度も人の腹ぁ喰いやがっ――あべ死っ!」
右手で抉り取った目ん玉つかんだまま、おれはやつの前足で岩壁に叩きつけられて死んじまった。
だが、次に目を覚ましたとき、おれは迷わずやつの左目を狙って抉ってやった。目の縁に指をしっぽり埋め込んで、つかんで引きずり出す。ヒモごとブチブチィだ。
「おんどりゃあ!」
両眼の視力を失ったやつは、洞窟のねぐらで七転八倒よ。
「ハッハッ! ざまーみろッ!」
そっからは反撃だ。
おれぁ手近なところにあった漬け物石くらいの大きさの石を拾い上げ、そいつの頭部を打った。何度も打った。火サスの殺人犯のように、動かなくなるまでやってやった。
そいつが動かなくなって、おれはようやく石を捨てた。
十回くらいは殺されて喰われたが、最後にはおれの勝ちだ。卑怯だなんて言うなよ。おれだって好きでこんな身体になったわけじゃない。
そうなんだ。気づけばおれは不死になっていた。
ああ、もちろん不老でもあるけど、そのときはまだ死なないんじゃなくて、死ねなくなったことに気づいてなかったんだよ。
ドイツの英雄叙事詩に出てくるジークフリートは、殺したドラゴンの血を全身に浴びて不死になったらしい。
おれは古竜の血を浴びるどころか、一度挽肉にされたことで細胞の一欠片にまで染み込んじまった。だから、死ななくなった。
そう納得することにした。
何日かぶりに岩の洞窟から出ると、外は雨だった。
ちょうど血を洗い流したいと思って外に出たおれの胸に、なんだか尖った金属が突きつけられた。
槍だ。槍の穂先。
ああ……もう……次から次へと、なんだよう……。
泣きたいね、ほんと。
見ると、なんだか緊張で手を震えさせながら、おれに槍の穂先を向けている――中世の時代から飛び出してきたような兵士姿の男がいた。
やべえ。すげえ格好……変態だ。
オーケー、落ち着け。ここはフレンドリーにいこう。
「……コ、コスプレ? いかしてるねぇ!」
そいつはおれを威嚇するように何かを大声で叫んでいたけど、おれには言葉がさっぱりわからなかった。
ただただ、びびった。だって危険人物に刃物なんて、鬼に金棒を超えるくらい天下無敵の組み合わせでしょうよ。
驚くべきことに、おれはもう剣や槍や弓で武装した中世っぽい兵士に取り囲まれていた。数は数えるのもバカバカしいほどだ。
そのうち何人かが、虎っぽいけど虎の三倍くらいの大きさの体躯を持つ怪物のねぐらへと入ってゆく。青白い顔で足を忍ばせ、恐る恐るといった感じで。
だけど、出てきたやつらの顔色は一変していた。興奮した口調で他のやつらに何かを喋っているが、おれにはやっぱり言語がわからなかった。
やがて、おれの胸にあてがわれていた槍の穂先が下げられる。
ほっと胸を撫で下ろしたおれの手を、一人の兵士が両手で固く包み込んだ。上下にぶんぶん振りながら、何やら感涙している。
どうやら、あの虎モドキを殺したことを感謝されているようだ。
「お、おお。い、いいってことよ……」
おれは身振り手振りで腹を空かせていることを彼らに伝えると、彼らはおれを快く街へと案内してくれた。街ってか、国だった。
おれがこの異世界に来て、初めて辿り着いた国。
ナイタール王国だ。
おれはそこで歓待を受け、数ヶ月住まわせてもらった。服をもらい、言葉を教えてもらい、虎モドキのことも教わった。
やつはどうやら魔物の突然変異らしく、あの街道に出没しては旅人をさらって喰らうため、街道そのものを封鎖して討伐隊を組んでいたところだったらしい。
ところが討伐はうまくいかず、初めての討伐隊五十名は全滅。やつに人肉という極めて栄養価の高い食い物を与えるだけの結果に終わった。
そして二度目の討伐隊……ってかもう決死隊だな。
彼らがやつのねぐらに襲撃をかけようとしていたところに、モジャモジャ頭の痩せこけた浮浪者が血塗れで洞窟から出てきたってわけだ。
そりゃあやしいよな。
そんなわけで、おれはナイタール王国の英雄として祭り上げられた。
ナイタール王国は小さな国だった。おれは英雄としてそこでの隠遁生活を望み、王から与えられた土地を耕して過ごした。
ちょいと予定は狂ったが、第二の人生開始だ! イィヤッホーウ!
望みのままの生活! 人生目標といえば、あとは嫁さんをもらうだけ!
これからは愛の狩人として生きるんだぜ!
……と思っていた矢先、ナイタール王国は滅亡した。
どこまでツイてないの……。